第五章 絳雪の擾乱(四)
夜になっても雪は降りやまず、館の外に走り出たわたくしは歯の根もあわぬほど震えておりました。それはきっと寒さのせいだけではなかったのでしょうが。
殿下に教えていただいた塀の穴はすぐに見つけることができました。穴というより、塀の上半分、わたくしの頭の高さのところが一部崩れていたものでして、傍らに立つ
……それにしても、あのような逃げ道をお教えくださった殿下は、わたくしをどんな跳ねっ返りだと思っておられたのでしょうね。むしろ望むところにございますが。
足にからみつく裾をしばり、いざ、と槐に手をかけたときでした。塀の外から雪を踏む足音が聞こえてきたのは。それもひとつではなく、複数の。爪先立って崩れた塀の向こう側をそっとうかがった瞬間、体中の血が凍りつくかと思いましたわ。わたくしのすぐ鼻先を、武装した兵の一団が通り過ぎていったのです。
その兵たちがただの警護の者などではないことは、その張りつめた気配から明らかでした。いずこかの軍が、東嘉宮をひそかに包囲せんと集まっていたのでございます。
わたくしは塀にぴたりと背をつけ、体の震えを必死におさえつけました。殿下のもとへ戻ったほうがよいのではという考えが浮かびましたが、すぐにそれを打ち消しました。殿下はこの事態を予見された上で、わたくしをお逃がしくださったにちがいありませんでしたから。
さいわい、兵はわたくしに気づかずその場を通り過ぎていきました。いまを逃してはならじと、わたくしは急いで木をよじのぼり、塀の外に飛び降りました。
あとはもう夢中でした。逃げる前に一応王宮内の見取り図を頭におさめてはいたのですが、夜の闇と恐怖が頭の中の地図をぬりつぶしてしまったようでした。ただひたすら、人気のない方へ、灯の差さない方へ駆けるだけで精一杯でございましたよ。
結果としては、それでよかったのでしょう。わたくしと同じように、人目につかぬ道を選んできたあの方にばったり出会えたのですから。いえ、正確には出会ったのではなく、あちらが先に気づいて物陰からわたくしの体を抱き止めてくれたのです。
「――小杏」
わたくしが叫ぶ前に、その方は耳元でささやきました。暗闇になれた目でその方の顔を見たとき、わたくしは思わず膝から崩れ落ちてしまいました。
「天祥さまはご無事か」
はっきりとその名を口にしたあの方は、すでに己が何者であるか、隠すつもりなどなかったのでございましょう。
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