第四章 霜天の孤影(五)

 たいそう驚きましたことに、殿下は本当に東嘉宮で歓待されているようでした。宏基殿下の側近くにお座りになっていたばかりか、ときおり宏基殿下と親しげに言葉までかわされていたのです。


 模擬戦で紅旗を落とし、夏陽公子を勝利にみちびいた巴公子――殿下が、いったいどんな術をつかって宏基殿下の信を勝ち得たのでしょう。予想だにしていなかったその光景に、酒肴を運んでいたわたくしはつい足を止めてしまい、すぐそばにいた年嵩としかさの女官に叱りつけられてしまいました。


 その叱責の声がお耳にはいったのか、殿下がふとこちらに顔をむけられました。わたくしの姿をみとめるなり殿下はわずかに顔をしかめられ、すぐに隣の宏基殿下に何事かを耳打ちされたのです。


「――そこの女」


 広間に宏基殿下のにごった声がひびきわたりました。声をかけられたのは、ほかでもないわたくしでございます。その場にひざまずいたわたくしのもとへ、宏基殿下は足音もあらく歩みよってこられました。


「顔をあげろ」


 ご命令にしたがう前に、乱暴に顎をつかまれました。とっさに身をよじらなかったのは、われながら上出来でございました。


「……ふん、たいしたことはないではないか」


 酒くさい息を吐きかけられて、胸が悪くなりましたわ。相手が王太子殿下でなければ唾をひっかけてやりましたのに……あら、たびたびごめんなさいまし。もう十分おわかりのことと思いますが、わたくしの育ちなど所詮この程度にございます。どうかご容赦くださいませ。


「おぬしも変わっているな。どうせならもっと美しい女をえらべばよいものを」

「そちらは王太子殿下にお譲りいたしますよ」


 すずやかなお声とともに、横からのびてきたお手がわたくしを宏基殿下から救ってくださいました。ええ、青華宮の殿下でございます。殿下はわたくしの腕をとって立たせると、宏基殿下にむかって優雅に礼をとられました。


「中座のご無礼、お許しを」

「ああ、かまわん。ゆっくり楽しんでこい」


 下卑た笑みを浮かべた酔漢に、氷のような微笑を返されると、殿下はわたくしの腕をひいて広間をあとにされたのでした。

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