第三章 落陽の宴(七)
「あの王太子も、夏陽公子も……悧才、そなたもだ!」
いけないと思いながらも、わたくしはその場を動くことができませんでした。つづいて、激昂したその方をなだめるような低い声が聞こえてまいりましたが、なんとおっしゃっているのかまではわかりませんでした。
「だまれ!」
怒声とともに、なにかが砕けたような音がいたしました。なにか、硬くて重いもの、そう、
「いちばん我慢ならんのは、おまえだ!
はじめて耳にしたその名は、
「……そなた」
そのときのあの方の表情を、なんと言いあらわせばよいのでしょう。蒼白な顔のなか、いっぱいに見ひらかれた青い瞳に浮かんでいたのは驚愕と焦燥、それに、ひとかけの安堵でございました。
……いいえ、見まちがいではございません。ねえ、こうはお思いになりませんか。ひとというものは、そう長いこと秘密をかかえては生きられぬものだと。その秘め事が重ければ重いほど、隠しとおしたいと強く願うほど、心の奥底では誰かに明かしたい、いえ、誰かに
小杏、と、唇の動きだけでわたくしの名を呼んだその方の頬にひとすじ、赤いものがつたいました。こめかみにできた真新しい傷から流れる血を見た瞬間、わたくしは我に返ったのです。
それからどうやって青華宮をあとにしたのか、気がつくと、わたくしは見知らぬ回廊に立っておりました。回廊の両側にずらりとならぶ朱の柱の、そのひとつひとつに掛けられた菊灯籠が暗闇にぼうと浮かぶさまは、まるで夢の中の光景のようでございました。
さんざん迷った末にどうにか自分の住まいにたどりついたときには、降りだした雨にうたれて体の芯まで凍えておりました。心配して待ってくれていた朋輩の顔を見るなり、急に膝の力が抜けてしまいまして、わたくしはそのまま気を失ってしまったのです。あとで聞いたところによると、ひどい熱を出していたのだとか。
熱で朦朧とするなかで、くりかえし夢を見ました。夢にあらわれるのは決まって同じ。青い瞳の、悲しげな顔をした貴公子でした。
――あなたは、だれ。
名を問うても、その方は答えてくださいませんでした。
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