第三章 落陽の宴(六)

 菊花節の宴が果ててから、わたくしはふたたび青華宮にむかいました。手に菊灯籠きくとうろうをひとつさげて。


 布と竹でこしらえられた灯籠は、宴席を飾った分の余りものでした。同輩からひとつわけてもらったのですが、そこに描かれた菊の絵がとても綺麗でしてね。その年は青華宮で菊を咲かせることができなかったものですから、せめて灯籠のひとつも飾りつけて、ささやかながらわたくしも殿下の勝利をお祝いしたいと思ったのです。


 殿下がなぜ模擬戦にお出になったのか、その理由はわたくしにもわかりませんでした。ただ、聞いたところによれば、宏基殿下との対戦の直前に、夏陽公子の副将格の兵が何者かに襲われてひどい怪我を負ったのだとか。その暴漢をさしむけたのが、じつは宏基殿下であると、まことしやかにささやかれておりましたよ。連勝する夏陽公子におそれをなし、どうにかその力をごうとしたのだろうと。


 頼りの配下を失った夏陽公子がいまいちど殿下にかけあわれたのか、あるいは、事情をお知りになった殿下が自ら名乗りをあげられたのかは存じませんが、ひとつだけ確かなことは、見事に活躍された殿下のお姿に心を奪われた女官が数多くいたということですわ。


 おかげで、わたくしは自室にもどるなり朋輩にとりかこまれて、殿下のことをあれこれと尋ねられましてね。菊灯籠を手に部屋を抜け出したのは、皆の追及から逃げるためでもありましたの。もちろん、殿下のすばらしさが皆に認められたのはうれしくもあり、鼻も高かったのですが、競争相手が増えるのはいただけませんでしたから。


 風の冷たい晩でございました。夜空に月は見えず、厚い雲からはいまにも雨が落ちてきそうでした。わたくし、菊灯籠は庭園の木につるすつもりでいたのですが、雨に濡れては台無しですので、館の屋根の下におかせていただくことにいたしました。


 館に歩みよったとき、中からあの声が聞こえてこなければ、わたくしのその後のせいも、いまとはだいぶ違ったものになったのかもしれませんわね。


「……もうたくさんだ!」


 若い殿方のお声でしたので、わたくしの頭にはとっさに殿下のお姿が浮かびました。ついぞ耳にしたことのない、激したそのお声に、わたくしはその場に立ちすくんでしまったのです。

 

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