第三章 落陽の宴(五)

 あの年の模擬戦の顛末てんまつは、きっとご存知でいらっしゃいますよね。乾に騎馬軍が誕生するきっかけになった出来事として、ひろく語りつがれておりますから。


 ……それでもお聞きになりたいと? うれしいこと。ええ、もちろんおぼえておりますとも。あの日の記憶は、色でいえばあか。いまも目を閉じればまぶたの裏にまざまざと浮かびますわ。砂塵にかすむ茜色の空と、夕陽にとける紅の戦旗が。


 殿下は、夏陽公子の挑発……あら失礼、お誘いには応じられませんでした。たとえ一時は夏陽公子の弁にお心を動かされたとしても、結局のところ悧才さまの言をよしとするほかなかったのでしょう。はじめに申しましたとおり、あの頃の巴は、乾の属国に他なりませんでしたから。


 ですから、わたくしが一日のつとめを終えて練兵場へと走りましたのは、同輩やお姉さま方のように夏陽公子のご勇姿が目当てというよりは、観覧席にいらっしゃるはずの殿下の正装姿をひとめなりとも拝見したかったからなのです。


 おりしも最終戦のさなかでございました。ご宣言どおりに勝ちすすまれた夏陽公子率いる騎馬隊と、宏基殿下の戦車隊の対戦です。


 人ごみをかきわけ、塀の間から顔をだしたわたくしの目の前を、人の形をした風が駆け抜けていきました。


 騎馬というものを、わたくしはそのときはじめて目にしたのですが、なぜあれが蛮族の風習などと蔑まれなければならなかったのか、まるでわかりませんでしたわ。馬にまたがり広大な練兵場を駆け回るその姿は、勇ましいと同時にひどく優美なものに思えましたもの。


 騎馬兵の動きに魅せられていたわたくしは、ひときわ大きな喚声で現実へとひきもどされました。

 

 見れば、夏陽公子側の一騎が宏基殿下の陣に躍り込んだところでした。目指すは敵陣にひるがえる紅旗。させじと横合いからくりだされた矛に体勢を崩して鞍から落ちる寸前、その兵が投じた剣が紅旗の結び目をかすめたのは、おそらく偶然でしたでしょう。


 一瞬、練兵場は水を打ったように静まりかえりました。最後の落日とともに、ひらりと紅旗が地に落ちたとき、わきおこった歓声は天を震わせんばかりでしたわ。


 わたくしも夢中で手をたたいておりましたが、夏陽公子に勝利をもたらしたその兵が冑を脱いだとき、思わずあっと叫んでしまいました。


 駆けよってきたお仲間に肩や背中をたたかれながら、どこか呆然とした面持ちで立っていたその兵は、巴公子、こう天祥てんしょう殿下そのひとにございました。

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