第一章 桃園の少女(三)

 その日、わたくしは小亭で薬草の葉の選別をしておりました。同じ種類の葉でも大きさや色味によって効能に強弱があるということで、悧才さまから選り分けておいてほしいと頼まれていたのです。


 緑の葉を目の前にかざして、さてどちらが濃いかしらと首をかしげておりましたところ、突然背後で物音がしました。ふりむくとそこに殿下がいらっしゃったのです。わたくし、思わず悲鳴をあげてしまいました。ずっとお会いしたいと思っていた殿下が現れたからだけではなく、そのときの殿下のお姿があまりに酷いものだったからでございます。


 殿下はお怪我をなさっていました。まず目についたのが、左頬の青あざです。あのお美しいお顔にくっきりと、誰かに殴られたにちがいない跡が残っておりました。とっさにひとを呼ぼうと、わたくしは声をあげかけたのですが、殿下は「しっ」と唇の前に指を立てられました。


「静かに。たいした怪我ではない」


 殿下はそうおっしゃいましたが、どこからどう見ても「たいした怪我」でした。おまけに髪はくしゃくしゃに乱れ、衣は泥だらけ、はだけた胸もとにも打ち傷とすり傷がいくつもついております。


「そなたがいるとは知らなんだ。ただ水をもらおうと寄っただけなのだが、驚かせて悪かった」


 謝られてわたくしはさらに驚きました。王太子殿下ともあろう方が女官に頭をさげるなど、あってはならないことにございますから。


 あまりに驚き混乱して、その後わたくしが何とお答えしたのか、まるでおぼえておりません。ただ、おろおろしつつも、とにかく殿下のお手当てをと、水にひたした手巾で殿下のお体をお拭きしようといたしました。


「ああ、すまない」


 殿下はひょいとわたくしの手から手巾をとりあげ、慣れた手つきで傷口を洗われました。ひととおり体を清めたところで、殿下ははたと困ったような顔をされました。


「汚してしまったな」


 殿下の手の中で、わたくしの手巾は泥と血に染まっておりました。


「しばし待て。すぐに洗って……」

「おやめください!」


 わたくしは叫ぶように言って殿下の手から手巾をひったくりました。……ああ、呆れたお顔をなさっていますね。わたくしのささやかな名誉のために申しあげておきますが、これでも王宮付きの女官にふさわしい礼儀作法は身につけておりましたのよ。それが、殿下の前では初手から恥ずかしいふるまいばかり。あれが恋ゆえのことなれば、本当に、恋とはなんと見苦しい、愛おしいものでございましょうね。

 

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