第一章 桃園の少女(二)

 悧才さまは、薬をこしらえるのがお好きな方でした。もともと、病弱な殿下のためにお始めになったのだそうですが、すぐにその奥深さのとりこになってしまわれたとか。好きが高じて庭園の隅に小さな薬草畑まで作ってしまわれまして、荒れた庭でその一角だけは整然と管理されておりました。


 わたくしは、花木の世話にくわえて、悧才さまの薬づくりのお手伝いもさせていただくことになったのです。手伝いと申しましても、本当にささやかなものでしたが。悧才さまのお言いつけどおりに畑に水をやったり葉を摘んだり……そのうち薬づくりの簡単な下ごしらえもやらせていただくようになりました。あれはなかなかに楽しいものでございましたわ。そのときの経験は今でも生きておりますのよ。ほら、このお茶も、疲れに効く葉をひとつかみ加えております。もう一杯お注ぎいたしましょうかね。


 悧才さまのご配慮のおかげで、青華宮での日々は楽しくおだやかに過ぎていきましたが、たったひとつだけ、不満がございました。


 おわかりでしょう? 殿下にお会いできないことですわ。


 青華宮に伺候しこうしてひと月ほど経ちましたが、殿下には初日にお会いして以来、いちどもお目にかかっておりませんでした。わたくしが館への出入りが許されていない上に、殿下が庭園におりていらっしゃることもなかったのです。桃の花が咲いた頃に、いちばん綺麗な花をつけた枝を悧才さまにお預けしたのですが、とくにお返事もございませんでした。物語のように、返礼の詩などいただけるのではないかと、そんなだいそれたこと……正直に申しますと、ほんのすこしだけ期待していたのですけどね。


 馬鹿な小娘でございましょう? うっかりその気持ちを叔母にもらしてしまったときは、たっぷり一刻もお叱りをうけましたわ。そのようなよこしまな心でお仕えしているならば、羅大卿に願い出て青華宮からさがらせてもらうとまで言われまして、わたくし泣いて詫びましたの。今後は女官としての分をわきまえてお仕えすると誓って、どうにか許していただけました。それからは殿下のお姿を頭から追い出して、ただ庭園を美しくすることだけを考えていたつもりです。


 ですから、あの日、殿下が小亭にいらっしゃったときのわたくしの驚きはいかばかりであったか、きっとおわかりいただけることと思います。


 

 

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