序章 青華宮の貴人(三)

「聞いたか、悧才りさい


 殿下は後ろに控えておられた側近の方の名をお呼びになりました。


「おまえはいつも妙な者を連れてくる」

「この者を寄越よこしたのはわたしではありませんが」


 はく悧才りさいさまとおっしゃるその方は、心外そうなお顔をなさいました。その頃の悧才さまは、三十手前でしたでしょうか。巴の丞相じょうしょう家のご子息だそうで、殿下の教育係として巴から付き従ってこられた方でした。


大卿だいけいのご配慮です。宮に女官がひとりもおらぬとは不憫ふびんであると」

「余計な配慮だ」


 殿下は不愉快そうにおっしゃられ、わたくしは頰がかっと熱くなるのを感じました。


 俗な言い方をお許しくださいましね。羅大卿は殿下に女をあてがった、というわけでございます。ああ、大卿とは乾の官職のひとつです。朝議でも上席を占めておられた方で、乾王宮における殿下の数少ないお味方でした。羅大卿は、離宮で不自由な暮らしを強いられている殿下に、せめてもの慰めをとお考えになったのでしょうね。


 そのあたりの事情は、わたくしも叔母によくよく言い含められておりました。


 ……いやではなかったのか、と? そうですわねえ、ほかに好いたひとでもいれば、いくら叔母の頼みとはいえ首を縦にはふらなかったでしょうが、その頃のわたくしは、そもそも恋というものがどんなものかもわかりませんでしたから。


 それに、王宮の女官にとっては、王族の方々のとぎも役目のひとつとされておりましたからね。わたくしの同輩や姉さま方のなかでも、陛下のお手がついてそのまま後宮にあがられた方もおりましたし。


 むしろ、殿下のお側仕えにとのお話がきたとき、わたくしほっといたしましたの。いくら栄誉なこととはいえ、祖父と孫ほど年の離れた陛下に召されるのは正直ご遠慮申しあげたいことでしたし、乱暴者で有名な乾の王太子殿下のお目に留まるよりは、よほどましと思えましたからね。


 とにかく、わたくしはもろもろ覚悟の上で青華宮に参ったわけですが、そこで当の殿下に邪険にされて、恥ずかしいやら情けないやらで、涙をこらえるのが精一杯でございました。


「殿下」


 そんなわたくしの窮状を察してくださったのが、悧才さまでございます。

 

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