第36話〈有馬離婚旅行随伴記・1〉

高安女子高生物語・36

〈有馬離婚旅行随伴記・1〉        



「ちょっと冷えそうだな」


 明菜のお父さんは、ブルッと身震いし、ジャケットを掴んで助手席から車を降りた。

 仲居さんや番頭さんたちが、案内や荷物運びのために車の周りに集まった。


「あ、タバコ切らしたから買ってくるわ」

「タバコやったら、うちのフロントに言うてもろたら……」

「ありがとう。おれのは、特別の銘柄だから。なあに、店はとっくに調べてあるから。じゃ、ちょっと」

「すみませんね、お寒い中、お待たせしちゃって」

 お母さんが恐縮する。

「お日さん出て温いよって、ちょっと庭とか見ててよろしい?」

「ええ、いいわよ。この玉美屋さんの庭はちょっと見ものよ。そうだ、あたしもいっしょに行こう」

「ほなら、お荷物ロビーに運ばせてもろときます」

 仲居さん達は甲斐甲斐しく荷物を運ぶだけとちごて、何人かは、お父さんとあたしらを玄関前で待ってくれてる。客商売とは言え、なかなかの気配りや。

「やあ、ほんま、きれいなお庭」

「回遊式庭園では有馬で一番よ」


 梅が満開。寒椿なんかも咲いてて、ほんまにきれい。まだ春浅いのに庭の苔は青々としてた。

 ほんのりと温泉の匂い。


「そこの芝垣の向こうが露天風呂になってます」

「じゃ、そこの岩の上に上ったら覗けるかもね」

「ホホ、身長三メートルぐらいないと、岩に上っても見えしまへんやろな」

 と、お付きの仲居さん。

「見えそうで見えないところが、情緒あっていいのよね」

 明菜のお母さんは面白がっていた。


 パン パン パン


 わりと近くで、車がパンクするような音がした……おかしい、三回も。こんな立て続けにパンクが起こる訳がない。


「えらいこっちゃ、人が撃たれた!」


 どこかのオッサンの声がして、あたしらも、声のする旅館前の道路に行ってみた。


「キャー! お、お父さん!」

 明菜が悲鳴をあげた。明菜のお父さんが胸を朱に染めて倒れていた。

「え、えらいこっちゃ。さ、殺人事件や。け、警察! 救急車!」

 旅館の人たちも出てきて大騒ぎになった。


「みなさん、落ち着いてください!」


 お母さんは、つかつかとお父さんに近寄ると、お父さんの横腹を蹴り上げた。

「痛いなあ、怪我するやろ」

 ぶつぶつ言いながら、血染めのお父さんが立ち上がった。


「え……」


 女子高生二人を含める周りの者が、あっけにとられた。



「こんな弾着の仕掛けで、あたしがおたつくとでも思ったの。しかし、あなたもマメね。いまどき潤滑剤の付いてないコンドームなんて、なかなか手に入らないわよ」

 お母さんがめくると、お父さんの上着の裏には、破裂したコンドームがジャケットを真っ赤にしてぶら下がっていた。

「おーい、失敗。カミサンに見抜かれてた」


 向こうの自販機の横から、いかにも業界人らしいオッサンがカメラを抱えて現れた。



「これ、年末のドッキリ失敗ビデオに使わせてもらえるかなあ」

「やっぱ、杉下さん。あなたの弾着って、クセがあるのよね」

「アキちゃんにかかっちゃ、かなわないなあ」


 そのときの、お母さんの横顔で思い出した。梅竹映画によう出てる稲垣明子や!


 当惑を通り越して、憮然としてる明菜には悪いけど、うちはワクワクしてきた。


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