第33話〔啓蟄(けいちつ)奇譚〕
高安女子高生物語・33
〔啓蟄(けいちつ)奇譚〕
関根先輩の話によると、こうらしい。
先輩が昼前に二度寝から目覚め、リビングに降りると、リビングに続いた和室の襖が密やかに開いた。何事かと覗くと、和室の奥に十二単のお雛さんのような女の子がいて、目が合うとニッコリ笑って、こう言った。
「おはようさんどす……言うても昼前どすけど、お手水(ちょうず)行かはって、朝餉(あさげ)がお済みやしたら、角の公園まで来とくれやす……なにかて? そら、行かはったら分かります。ほなよろしゅうに……」
そう言うと、女の子は扇を広げて、顔の下半分を隠し「オホホホ……」と笑い、笑っているうちに襖が閉まったそうな。
「……なんだ、今の?」
そう呟いて襖に耳を当てると、三人分くらいの女の子のヒソヒソ声が聞こえる。そろりと二センチほど襖を開けてみると、声はピタリと止み、人の姿が見えない。
そこで、ガラリと襖を全開にすると、暖かな空気と共に、いい香りがした。
訳が分からず、ボンヤリしていると、ダイニングからトーストと、ハムエッグの匂いがした。
「じれったい人なんだから。ほら、朝ご飯。飲み物は何にする。コーヒー? コーンポタージュ? オレンジジュース?」
「あ、あの……」
「その顔はポタージュスープね。いま用意するから、そこに掛けて。それから、あたしは誰なのかって顔してるけど、名前はアンネ・フランク。時間がないの、さっさとして。着替えは、そこに置いといたから、きちんと着替えて、公園に行ってね」
先輩がソファーに目を向けると、着替えの服がキチンとたたんで置いてあった。
「あの……」
アンネの姿は無かった。
のっそり朝食を済ませ、トイレに行って顔を洗うと、なぜか、もう着替え終わっていた。なにかにせかされるようにして外に出ると、桜の花びらが舞って四月の上旬のような暖かさ。桜の花びらは公園の方から吹かれくる。
花びらに誘われるようにして公園に行くと、満開の桜を背にし、ベンチにあたしが座っていた。
「なんや、明日香か。公園まで来たら何か有る言うて……いや、説明しても分かってもらわれへんやろな」
「分かるわよ。あたしのことなんだから」
「え……」
「今日は、啓蟄の日。土に潜っていた虫だって顔を出そうかって日なのよ。心の虫だって出してあげなきゃ」
「明日香、難しいこと知ってんだな」
「先輩、朝寝坊だから時間がないの。先輩が好きなのは一見美保先輩に見えるんだけど、ほんとは、あたしが好きなんじゃないの?」
「え……?」
「ちなみに、あたしは保育所のころから先輩が……マナブクンが好き。どうなの、答を聞かせて!」
「そ、それは……てか、なんで明日香、東京弁?」
「どうでもいいじゃん。時間がないの、ハッキリ言って!」
「どうしても、今か?」
「もう……時間切れ。明日返事を聞かせて」
で、桜の花びらが散ってきたかと思うと、あたしの姿はかき消えて、ようやく梅の咲き始め、いつもの公園に戻ってしまっていた。
「なんかバカみたいな話だけど、夢なんかじゃないんだぜ」
そうやろ、せやなかったら、わざわざうちを高安銀座の喫茶店に呼び出したりせえへんわな……うちは、お雛さんと馬場先輩の明日香と、アンネの仕業やと思た。けど、そんなん言われへん。
「そら、やっぱり夢ですよ。卒業して気楽になって、三度寝して見た夢ですよ。だいいち、うちが東京弁喋るわけあらへん」
「そうか……でも、明日香、演劇部やから、東京弁なんか朝飯前やろ」
「そら、芝居やからできるんで、リアルは、やっぱり大阪弁です。だいいち演劇部は辞めてしもたし」
「そうか……オレ、一応考えてきたんやけど」
先輩が真顔で、うちの顔を見つめた。心臓が破裂しそうになった。
「そ、そんな、無理に言わんでもええですよ!」
「……そうか、ほなら言わんとくわ」
「ア、アハハハ……」
うちは赤い顔して笑うしかなかった。
うちに帰ると、敷居にけつまづいて転けてしもた。拍子で本棚に手が当たって『アンネの日記』が落ちてきて頭に本の角が当たった。
「あいたあ……」
『アンネ』を本棚に仕舞て、ふと視線。お雛さんと明日香の絵が怖い顔してるような気がした。
「怒りなや。花見の約束だけはしてきたんやさかい」
それでも、三人の女の子はブスっとしてた。
うちと違うて、ブスっとしてもかいらしい……。
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