第8話 道草

 「ねぇ、一緒に帰ろ。」

 彼女が隣で唇を動かした。帰り支度をしているせいか、机の上が慌ただしかった。彼女はロッカーに置き弁をしていないのか、大量の教科書を鞄の中に入れるのに忙しくしていた。肩から掛けるタイプの鞄であり、あの重さだと片方の肩がえぐれるのではないかと大げさにも考えていた。

 「うん、一緒に帰ろ。」

 自分はリュックを背負いながら彼女に向かった。

 彼女の手は未だ慌ただしく宿題があったかなどを確認していた。

 彼女は鞄の小ポケットから手帳らしきものを取り出し、紙面を指でなぞった。この後の予定を確認しているのだろうか、表情が少し真剣味を帯びていた。

 確認し終えたのか、彼女は手帳の両表紙を押し、パタッと閉じた。小ポケットを開け、手早く元に戻した。チャックの鳴る音がし、鞄の大きな口が閉められた。

 「さぁ、行こ」

 彼女の言葉に促され自分たちは教室を出た。


 教室を出て、校舎を抜けコンクリート詰めの道に出た。それは、長年の歴史のせいかアスファルトにも情緒が含まれており、無機質にも感情を揺さぶる何かがあった。自分は足跡を残しながら考えた。

 二人は並んで歩き、お互いが気を遣うように歩幅を合わしていた。まだしゃべって日が浅いのかリズムが一定というよりテンポが定まらないメロディーを刻んでいるようだった。

 靴音が空を鳴らし、リュックや鞄のチャックなどがビートを打ち続けていた。彼女は伏し目がちで何か考えているようだった。

 住宅街の中に学校があるせいか、小学生や中学生が多く目についた。彼女と自分はここから少し外れたところに住んでおり、数分か歩かなくてはならなかった。

 「ねぇ。本屋。行かない?」

 彼女は横目で提案した。

 「本屋?別にいいけど。」

 僕は彼女の言葉に続いた。

 「どういう、ジャンルが好きなの?」

 彼女は住宅街に張り巡らされている電線を目で追っていた。

 音符のない旋律というものは、果たして美学を伴っているのだろうか。電柱から伸びた五線譜は音符を自分の中にとどめることができず、音符を逃がしてしまった。そんな、物語が現在進行形で行われていると感じた。

 横で彼女が答えを聞くために耳を傾けていた。

 「そうだな、ほとんど学術書、かな。」

 「学術書…」 彼女の口が重たく開いた。そう言ったきり、彼女の足取りが少し重たくなった。足取りが不思議と気になり始めた。

 「どうした?」彼は彼女の足取りに合わせながら尋ねた。

 「いや、学術書で嫌なことがあって…」

 謎の黒歴史が掘り起こされたところで、この話題に終止符が打たれた。相当、嫌な記憶なのだろう。口元を押さえ少しどんよりしていた。

 「小説だったら、推理小説とか社会小説とか」

 自分は彼女の気分が明るくなるよう、話題を変えた。

 「そうか。推理に社会小説か…」

 明るく振舞おうと笑おうとしていた。だが、その頬は引きつっており、不自然な笑顔であった。

 「ごめん。俺が学術書なんて言うから」 

 解決策はこれしか浮かばなかった。ひどく、無力に感じた。人に接してこなかったせいで、こういうときどうすればよいのか自分ではわからないのである。 

 花が萎んだように、自分の元気がしぼんだ。

 下を向いたとき、住宅街に似合わない泥のようなものが転がっていた。「あ、着いた」彼女は何事も無かったように歩くのをやめ、道の右を見て言った。

 顔を上げてみれば、そこは畑だった。畑の間を一本真っ直ぐにアスファルトの道が続いていた。

 百姓が通るのだろうか。道の上には土汚れがひどく目立っており、車輪の後を作っていた。土は乾いており、足を動かせば靴と一緒に土が付いてきた。

 一瞬、ここがどこだがわからなくなった。確か、自分たちは住宅街を歩いていたはず。

 「やっぱり。裕翔君って、視野狭いね。」

 手で口を押えながら彼女は微笑んだ。その微笑は少し人を馬鹿にしたかの様だった。

 いや、しかし。自分は確か住宅街を歩いていたはずだ。彼女に付いて行き、気付けば両側が畑である。誰だってパニックに成り得るだろう。

 「え?どういうこと?」

 「裕翔君。一途過ぎ。裕翔君は一人としゃべっていると、その人以外見えなくなってしまう。授業中しゃべったとき皆の視線、気にならなかったの?」彼女はそう言って、また頬を微妙に上げた。

 確かに、あの授業中、多少の視線は感じたもののそこまで気にはならなかった。それは、最近のことではなく生まれてからずっとだと両親にも聞かされていた。それ程なのか、と自分でも驚愕した。

 自分が驚いて、動かずにいるのをおかしく思ったのか、今度は声を出して笑った。

 彼女がそこまで笑う印象は無かった。謙虚で物静かでおとなしい印象だった。いかにも、女の子の中の女の子の印象であった。男の偏見、というかそれは自分の偏見らしかった。

 笑う姿があまりにも爽快であったため、自分が恥をかいているなど、遠くに感じ忘れつつあった。

 「でも、まぁ、着いたから入ろう」

 指をさし、店らしき建物の扉に歩を進めた。彼女が扉に手を掛けた。引き戸があり、戸とレールが土と当たり合い、ジャリジャリと音を立てた。ここからは中の様子を窺うこともできず少し不安に思った。

 彼女に続こうとしたとき、この店が気になり半歩下がった。のけ反るような形で上を見やり、看板らしき分厚い板が目についた。

 「古本屋 御堂」

 そう行書で豪快に彫られていた。

 

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