第二章 エビネ -2-

 木星に到着するまでの一ヶ月間は、エビネ・カゲキヨ士官候補にとって退屈とは縁遠いものだった。生まれて初めて他の惑星系へ旅するのである。それも人員輸送艦とはいえ、武装した軍用艦に乗って。

 戦闘艦には、士官学校時代に研修として短期間だけ乗り込んだことがあった。しかし所詮は体験学習に過ぎず、土星圏内をほんのちょっと「クルージング」するだけのものだった。しかも艦内での行動が厳しく制限されていたため、次々湧いてくる好奇心を満たすことはできなかった。

 だが今回は違う。もう学生ではないのだ。以前ほど行動の制限はない。そのうえ「輸送されるのが初仕事」とあって、これといってすることもない。他の将校たちのように割り当てられた自室にこもって任務データの整理をしたり、また兵たちのように過酷な任務の束の間の息抜きとして、食堂やサロンで飲み食いして騒ぐだけの日々を送るほどの軍務経験も当然ない。そしてこの艦は、所属していた部署も違えばこなしてきた任務も違うという者たちの集まりだ。そういった連中の体験談を聞くだけでも充分楽しめるし、これから始まる軍人生活の予備知識を仕入れるのにも役立つというものだ。

 エビネは飽きることなく艦内をうろついた。立ち入りを許可されたところは隈なく覗いて回り、手近にいる下士官や兵に疑問をぶつける。サロンで騒いでいる連中にも声をかけて、体験談をねだった。

 そんなエビネを、艦の乗務員や乗客である将兵たちは、「ごくたまにいる、知ったかぶりで稚拙な知識をひけらかせたがるヒヨッコ」と同じだと思い、うっとうしさから初めは適当にあしらっていた。だが、好奇心いっぱいに目を輝かせ、礼儀に適った態度でかつ的確にツボをついた質問をしてくる様や、語って聞かせる体験談に子供のように驚いて目を丸くしたり笑ったりするのを見ているうちに認識を改め、次第に態度を軟化させていった。一週間もする頃には、逆に乗務員や兵たちの方からエビネを呼び止め、訊かれもしない艦の説明や体験談を披露するようになったのだ。まあ彼らも充分退屈していて、ちょうどいい「おもちゃ」を手に入れたようなものなのだろうが。

 そんな、木星到着が目前に迫ったある日。

 今日も存分に好奇心を満足させたエビネは、ほどよい空腹とともに食堂へと足を運んだ。さほど広くない部屋にテーブルが所狭しと並べられ、エビネと同じく木星へ輸送される兵や下士官が、押し合い圧し合いして夕食を摂っている。

 食事の載ったトレーを手に、エビネがどこに座ろうかとキョロキョロしていると、あちこちから「ここへ来い」と声がかかる。だがどのテーブルも満員御礼で、どう見たって座る余地はなさそうだ。連中はどうやら、その場にいる誰かを追い出して、エビネを座らせるつもりなのだろう。そしてどの連中も、自分がその「誰か」になるつもりなど更々ないらしい。

 自分を巡って「男たちに」争われるのは遠慮したい。

 エビネは苦笑しながら、片手を上げて「また今度」と誘いを断り、ゆったりと座れる席を探した。また誘いの声がかかる前に、素早く周囲を見渡す。

 すると奥の方に、「空いてるぞ」と手を振っている中年の下士官が見えた。最近よく話をする海兵隊員のガウ曹長だ。なんでも、タイタンで怪我をして入院している間に、所属している艦隊が出航してしまい置いてけぼりになったとか。そしてこのたびやっと退院でき、いまは母艦を追いかけて、木星経由で〈後方トロヤ〉基地へ向かう途中らしい。言動は大雑把でがさつだが、軍での経験は豊富だった。いくら聞いても尽きることのない彼の「武勇伝」は、エビネだけでなく、その場にいる者みんなを楽しませてくれる。

「おう。ちょうどいま、二人ばかり席を立ったところだ」

 エビネが近づくと、ガウ曹長はニヤリと笑った。エビネと入れ違いに席を立ったのが二等軍曹だったところを見ると、どうやら曹長に追い払われたようだ。

「すみません……」

 去り行く軍曹たちに謝って、エビネはガウ曹長の向かいに座った。曹長は嬉しそうにビールを呷っている。

「モテモテだなぁ、おい」

 からかうように曹長が言う。

「喜んでいいのかどうか。いろんな話を聞けるのは嬉しいんですけど」

 エビネは「男にモテてもなぁ」と困ったように呟き、肩をすくめた。

「ま、素直に喜んどけって。狭い船内に一ヶ月も閉じ込められて、連中も退屈してるのさ」

「話が聞きたい自分と、話がしたい皆さん――需要と供給ですね。バランスは一対多数で取れてませんが」

「難しいことは解かんねーが、それよそれ!」

 曹長は人差し指を振り回しながら、豪快に笑った。そして手にしたビールをまた一口飲んで、言葉を続ける。

「しかし、おまえさんも飽きねーなぁ。毎日あちこちで話聞きまわってよ。この調子だと、到着までにこの船に乗ってる全員の話が聞けるんじゃないか?」

「いくらなんでも全員は無理ですよ。でも可能な限りたくさんの『先輩たち』から話を聞きたいとは思います。みなさんの経験に基づいた話はどれも興味深いし、勉強になりますので」

 曹長の大げさな表現に苦笑しながら、エビネは率直な感想を述べる。

「たーっ! いい心がけだねぇ! 近頃の〈ヒヨコちゃん〉にしては珍しいよ。だいたい近頃の〈ヒヨコちゃん〉は、マニュアルがすべて正しいと信じ込んでて、経験者の話を聞こうとしないんだからな。んで失敗したら、責任は全部こっちになすりつけるんだ。ったく、いい迷惑だってーぇの! おまえさんはそんな士官になってくれるなよぉっ」

「はい、肝に銘じておきます」

 すでにビールの空き瓶が数本転がっているところから見て、ほどよく酔いが回っているのだろう。ガウ曹長は管巻きモードに入ったようである。エビネは曹長を刺激しないよう素直に答え、続けてさりげなく話題を変えようと試みた。

「それはそうと、ガウ曹長は〈森の精〉ヴァルトガイスト基地のことについて、何かご存知ではありませんか? 自分でいろいろ調べてみたんですが、『カリスト司令部が移転した後にできた航空隊』ということぐらいしか判らなくて――」

 しゃべりながら携帯端末を取り出してメモの準備をしていたエビネは、ふと顔を上げて驚いた。

 ガウ曹長が、ビールを飲みかけた状態の姿で固まっているではないか。信じられないことを聞いたとばかりに見開かれた目は、瞬きひとつせず新米士官の顔に向けられている。

 エビネは何か変なことでも言ったのかと思い、首を傾げながら淡いクリーム色の髪の曹長にそっと声をかけてみた。

「ガウ曹長?」

「おまえさん、〈森の精〉ヴァルトガイストへ行くのか?」

 曹長はエビネの呼びかけに、質問でもって応えた。

「え、そうですけど、言ってませんでしたか?」

「聞いてない。――って、それよか〈森の精〉ヴァルトガイスト送りって、おまえさん何したんだ?」

 一気に酔いが醒めたらしい曹長は、驚愕の表情のままエビネの方へ身を乗り出した。その勢いに、乗り出された方は思わず仰け反る。

「何って、何もしてませんけど、え?」

 疑問が解けるどころか、さらに増えていく状況に、エビネは混乱し、激しく目を瞬かせた。だが曹長はさらに質問を浴びせかけてくる。

「何もしてないのに、どうして〈森の精〉ヴァルトガイストになんか……。あ、〈士官学校卒業生ヒヨコちゃん〉だったな。じゃ、成績がものすご~く悪かったのか?」

「主席ではありませんが、上から数えた方が早かったのは確かです」

 悪気はないのだろうが、随分と失礼な言い草に、エビネは少しムッとしながらも答えた。だが、あくまでも丁寧な口調は崩さない。

「そっか、タイタン育ちだっていうしな。ま、知らないのも当然か」

 〈機構軍〉の管理下にある宇宙港で、訪れたことのない処はないと豪語する曹長は、エビネの答えを聞いて考え込むように腕組みをし、眉間にしわを寄せた。が、不意に思い切ったように顔を上げると、無精ひげの浮かぶ顔をしかめて言った。

「木星以外じゃあまり知られてないが、〈森の精〉ヴァルトガイスト航空隊――あそこは〈流刑地〉って言われてるんだ」

「〈流刑地〉!?」

 エビネは曹長の言う意味が解からずにきょとんとする。

 予想に違わず何も知らないらしい〈ヒヨコちゃん〉に、ベテラン曹長は「しゃーねーなぁ」と舌打ちし、周りを気にしたのか頭をエビネの方へ寄せると、声を潜めて話しはじめた。

〈森の精〉ヴァルトガイストは、何か重大な問題を起こしたり、軍のお偉いさん方の不興を買った奴らが放り込まれる処だって言われてる。新人の場合は、箸にも棒にもかからないような『軍のお荷物』が対象だったりするんだが――って、まあおまえさんはそんな風には見えないから、別の理由があるんだろうけど」

 曹長はエビネが不安にならないよう言葉をつけ足した。しかしエビネの硬い表情を見るかぎり、あまり効果はなさそうだった。そして追い討ちだとは解かっているが、自分の知ってる事を彼に伝えてやるのが務めだと思い、話を続けた。

「部隊の任務としては、戦闘機の戦術研究や開発、または訓練といった、まあ地味っちゃあ地味な任務を担当してるらしい。けど、これはあくまでも噂なんだが、技術研修のために一時的に入隊するパイロットは別にして、一旦そこへ編入されると、二度と他の部隊へは移れないんだそうな」

「他の部隊へ移れないって、なぜ?」

「さあ、それは解らない。なんたって『〈森の精〉ヴァルトガイストから転属してきた』って奴に、誰も会ったことがないからな。また、ヘマやらかして〈森の精〉ヴァルトガイスト送りになった奴を何人か知ってるが、なぜかそいつらの『その後』ってのは聞こえてこないんだ。結構使える連中だったのに、今頃どうしてるんだか」

 どことなく怪談めいたガウ曹長の口調に、エビネは背筋が寒くなった。

「大体、司令官のヴィンツブラウト大佐だって、一部の上層部から『お荷物』扱いされてるって話だしよ」

「大佐は、〈天王星独立紛争〉の英雄だって聞きましたが」

 エビネはキナ教官に聞いたことを思い出した。かなり動揺しているのか、声が喉に引っかかる。

「英雄だからさ」

 エビネの問いに、曹長は鼻で笑いながら答えた。

「仮初とはいえ、平和な時に『英雄』なんて要らん。むしろ邪魔な存在だ。大した働きもせずに立派な肩書きを手にした連中にとってはね。いつ足元を掬われるか判らないからな」

 滅多に会うことのできない雲の上の存在を、曹長は嘲るように笑った。

「それに彼は、〈地球へ還る者〉から狙われている。先の紛争で〈地球へ還る者〉を検挙しすぎたってのが、テロリストの言い分だ。だから大佐は、〈森の精〉ヴァルトガイスト航空隊司令官という閑職をあてがわれて、隔離されてる――というのが、もっぱらの噂だ」

「……」

 キナ教官の希望ある話とは打って変わり、不安の海に投げ出すような曹長の話に、エビネは色を失って黙り込んでしまった。

 曹長の話が事実だとしたら、なぜ自分がその〈流刑地〉とやらへやられなければならないのだ。自分は何かヘマをやらかしたのか?

 だがいくら考えても、心当たりは全くなかった。

 士官学校では友人たちとたまに羽目を外すことはあったが、さして問題になるようなことでもなかったし、タイタン司令部での隊付教育もそつなくこなしてきたつもりだ。強いて挙げれば、上級生の卒業記念ダンスパーティーの実行委員を担当した時、通例の社交ダンスをクラブ風に変更して、教官たちに大目玉を食らったことか。卒業生たちには大好評だったのだが。

 でも、まさかそんなことが原因とは考えられない。現に初めは司令部勤務と決まっていたではないか。あれはロメス大佐の方から「ぜひに」と声をかけてくれたのだ。だからその時点では何も問題はなかったということだ。だとしたらヘマしたのはその後ということになるが、それこそ全く身に覚えがない。

 エビネが考え込んでしまったため、ガウ曹長との間にどんよりとした空気が流れはじめた。周りのざわめきがうるさく感じる。

「き、気にするなって! 単なる噂だ、ウワサ!」

 エビネが落ち込む原因を作ってしまったガウ曹長は、気まずくなって、無理に笑いながらその場を取り繕う。

「それに、もうここまで来てるんだから、今更考え込んだってしょうがないさ。実際に行ってみりゃ判ることだし。そもそも噂なんだから本当は全然違ったりして――な?」

 もし噂が本当なら、「行ってしまえば、二度と他の部署へは移れない」ことになるのだが、曹長はそれをすっかり棚に上げて、エビネを元気づける。

「そうですね。行ってみれば判ることですね」

 そして、曹長の理屈も気遣いも理解わかるだけに、エビネもぎこちない笑みを作ってうなづき返すしかなかった。

 そう、今更じたばたしたってしょうがないよな。

 半ば自棄やけになって、エビネは自分を納得させた。そして表向きは普段どおりに、でも心の中ではもやもやした気持ちを抱えたまま、木星到着までの残り数日を過ごした。

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