第二章 エビネ

第二章 エビネ -1-

 軌道ステーション〈イザナギ〉は、協力関係にある〈機構軍〉と〈土星防衛軍〉が共同で開発し、使用しているステーションである。衛星タイタンのもう一つのステーション〈イザナミ〉が民間宇宙港として使用されているのに対し、〈イザナギ〉は完全な軍用宇宙港で、〈機構軍〉の戦闘艦や長距離巡視艇、〈土星防衛軍〉艦隊など、さまざまな軍用艦が入港しては出てゆくのが日常となっている。

 木星と土星からなる〈木・土星連合〉は、それぞれ独立した国家という形をとってはいるが、その母体はほとんど〈惑星開発機構〉によって運営されているといってもよい。これは二国が〈地球連邦政府〉から独立する際、当時まだ国際機関としての役割をもっていなかった〈機構〉がその独立を後押しし、国家としての基盤を作り上げたことに所以する。

 その後〈惑星国家法〉が制定され公的機関となった〈機構〉は、両国への国家運営に干渉できなくなった。しかし〈木・土星連合〉は、最大の加盟国として多額の加盟金を〈機構〉に支払い、〈機構〉は二国に対し開発援助を行うことによって、以前の関係を保とうとしていた。それというのも、天王星をめぐる問題で、〈地球へ還る者〉や〈地球連邦政府〉の後継である〈月・火星連邦〉などによる、〈機構〉への不穏な態度からくる危機感が、いっそう〈木・土星連合〉と〈機構〉との結束を堅くする要因になっていたためである。

 特に〈機構〉の総本部がある木星は、政府、軍共々いまだ〈機構〉の管理下にあり、しばしば同一視されているのは周知の事実だ。土星の方は木星ほど〈機構〉と密着してはいなかったが、〈機構〉に属さない者から見れば、どちらも似たりよったりに見えるだろう。

 いま太陽系では、衰弱しきった地球を手放し新天地を切り拓こうという〈惑星開発機構〉、地球再生への希望を捨てきれない〈月・火星連邦〉、そして半強制的に地球から自分たちを追い出した連中を恨み、反発している〈地球へ還る者〉という、それぞれ考え方の違う三つの勢力が、微妙なバランスをもって牽制しあっている。

 もとは〈地球〉から飛び立った、同じ人類である。しかし人々が太陽系の各地へ散っていくうちに、それぞれの考え方、生き方が変わり、そして似たような考え方を持つものが集まろうとするのは、自然な流れともいえよう。

 その結果として三つの勢力が生まれ、それぞれの意見を主張し合い、些細な小競り合いを繰り返すこととなった。だが現在の太陽系では、相容れぬ考えであるからといって無視しあうこともできず、お互いの持つ食料や資源に依存しあってでないと生きていけないのが実情だ。そのため裏では喧嘩をしつつも、表向きは友好的な態度をとって、自分たちの利益を守ろうとしているのである。

 保たれている均衡がわずかでも崩れると、太陽系はたちまち戦いのるつぼと化す。

 いまの段階において、どの陣営もそれは避けたいし、避けねばならなかった。

 太陽系はそんな主導者たちの勝手な思惑の上に、現在の平和が成り立っていた。

 そのような事情もあって、このステーション〈イザナギ〉では、〈機構軍〉の濃紺の制服と、〈土星防衛軍〉の臙脂色の制服とを同時に見るのが、ごく当たり前の光景であった。

 そしてその光景を、エビネ・カゲキヨ士官候補は圧倒された面持ちでロビーに突っ立って眺めていた。

 活気はあるが、民間宇宙港である〈イザナミ〉とはまた違った活気である。それが妙に印象的だ。

 これから旅立つ者。戻ってきた者。送りだす者。迎え入れる者。

 港での登場人物はどこも同じはずなのに、ここには他と違う、なにか張りつめたような空気があった。

 ここにいる者は、バカンスのために宇宙旅行をするわけではない。軍人としての任務を全うするために、ここから旅立ち、または任務を終えて帰ってきたのだ。それは「楽しいだけ」というものでは決してない。常に死の影につきまとわれている。だから、旅立つ者の顔は厳しく引き締まり、戻ってきた者の顔は「無事に帰ることができた」という安堵に満ちていた。送り出す者は旅行者の無事を願い、迎える者は温かい気持ちで微笑みかける。

 だが軍人としての第一歩を踏み出したばかりのエビネに、その空気の意味はまだ実感できなかったようだ。ただただ目の前で大量の兵たちが蠢いているのを見て、茫然と立ち尽くすばかりだった。いや、茫然というより、あまり考える余裕がない、というのが正しいのかも知れないが。

 まあ、それも止むを得ないだろう。

 彼が校長室で例の辞令を受け取ったのが、ちょうど一二時間前。エビネはその後開かれた卒業記念パーティも早々に引き揚げ、木星に向けて荷物の手配を済ますと、級友たちとの別れを惜しむ間もなく、〈イザナギ〉行きの軍用シャトルに飛び乗ったのだから。

 木星行きの船の都合とはいえ、彼に残された時間はあまりにも少なすぎた。家族への連絡も、シャトル待ちの間に短い通話を入れただけだ。シャトル内でひと寝入りできたが、一時間ほどの浅い眠りは、卒業式にともなう連日の行事で疲れきっていた身体にとってあまり効果はなく、かえって疲れを増大させたようだった。

 とにかくもう、何でもいいから早く船に乗って落ち着きたい。

 いまはそんな思いに、彼の頭は支配されていた。ぼんやりと辺りへ視線を漂わせる。と、不意にこちらへ向かってくる臙脂色の制服が目に入った。詰襟タイプの制服に身を包んだ人物は、親しげに手を振りながら駆け寄ってくる。

 エビネは一瞬、人違いかと思った。思わず自分の背後を振り返るが、男に向かって手を振り返している者はいない。ということは、男が手を振っている相手は自分だということだ。

 エビネは首を傾げながら視線を戻すと、まじまじと相手の顔を見つめた。

「――っ!」

 眠気が一気に吹き飛んだ。

 まさかこんな所で会えるとは。

「カゲ!」

 懐かしい声が、エビネの名を呼んだ。

「トキ兄!」

 エビネも思わず、兄と呼んだ男の傍へ駆け寄る。自然と顔がほころび、疲れと緊張で強張っていた肩の力が抜けてゆく。

「会えるとは思ってなかったよ」

「ついさっき帰港したところだ。家に連絡入れたら、おまえがここに居るって言うんで、すっ飛んできたんだ」

 エビネの三番目の兄トキヒコは、息を整えながら応えた。彼は〈土星防衛軍サターン〉艦隊に所属し、この数ヶ月、土星近辺のパトロール航海に出ていた。

 エビネより頭半分高いその姿は幾分ほっそりしているが、充分に武人らしい体格を持っている。顔つきは、パーツごとは似ているようだが、全体で見るとさほどエビネとは似ていない。同じ短く刈った黒い髪、黒い瞳であるが、四角く地味な顔立ちのエビネは生真面目そうな、一方トキヒコは細面で快活そうな印象を、見る者に与えていた。

 それもそのはず。

 二人は血は繋がってはいるが、実の兄弟ではなかった。理由わけあって兄弟として育てられた従兄弟である。

 エビネにはトキヒコを含む七人の兄姉がいたが、本当にエビネと兄弟だといえるのは、長男のツネキヨと長女のウチョウ、四女のカスガの四人だ。それでも両親ともに同じ、というわけではないのだが。

 しかし末っ子のエビネにとっては、どの「兄姉」も生まれた時から兄であり姉であって、それ以外の何者でもない。

 それでも性格的に合う合わないというのは確かにあるもので、エビネは三人いる兄たちの中では、一番トキヒコに懐いていた。歳が近いということもあって、幼い頃はトキヒコに遊んでもらっていたし、いまでは同じ軍人としての道を選んだ「同志」という連帯感が、より親しみを深くしている。トキヒコは、エビネにとって何でも話せる存在だった。

 だからエビネは、そんな兄に会うこともなく木星へ出発することを少し寂しく思っていた。

 だが偶然とはいえ、こうして最後にトキヒコに会うことができた。

 兄に話したいことがたくさんありすぎて、どれから話していいか判らない。

 エビネが迷っていると、トキヒコの方が先に口を開いた。

「でもおまえ、前に会ったとき確かタイタン司令部へ行くって言ってたような気がするが、何でいきなり木星になったんだ?」

 家の者からある程度のことは聞いたのだろう。トキヒコは今回の件に関して誰もが疑問に思うことを、開口一番に訊いてきた。

「や、それが俺にもよく解からなくて。何でいきなり木星に行くことになったのか」

 そう前置きして、エビネは半日前に交わされた校長とのやりとりをかいつまんで兄に話した。

 トキヒコは時々相槌を打ちながらじっとエビネの話に耳を傾けていたが、弟の話が一段落すると率直な感想を洩らした。

「確かに土壇場の変更は変だな。でも、トーゴー校長の考えも悪くないと思う。いきなり偉くなったって、実力が伴ってなければ部下はついてこない。一度、下っ端として修行を積んでみて、どん底を味わっとけ――ってコレ、経験者の助言な」

 軽く片目を瞑ってトキヒコは弟の肩を叩いた。エビネは苦笑いでそれに応える。

 からかうようにニヤニヤしていたトキヒコだが、ふと神妙な顔になって訊いてきた。

「それに、これはおまえ自身が考えて、決めたことだろう?」

 エビネが重々しく肯定すると、納得したようにうなづく。

「だったら大丈夫だ。俺は、おまえが強運の持ち主だと信じてる。おまえが自分で考えて決めたことで、ハズレだったことはないからな」

「そうかな? そんなの思ったことないけど」

「そうなんだってば。おまえが強運の持ち主だと確信したのは、忘れもしない八年前。俺が一五でおまえが一二の時だ」

 何を言い出すのか見当もつかず、エビネは語りモードに入ってゆく兄を呆然と見つめた。

「タカノ家の茶会で、余った茶菓子が子供たちに配られた。水饅頭と羊羹だ。どの子供も口当たりのいい水饅頭を手にしたんだが、ただ一人、おまえだけが羊羹を選んだ」

「そーだっけ?」

「そうなの! おまえはガキのころから渋好みだったよ――って、まあそれはいいとして。とにかく、おまえは羊羹を選んだんだ。で、その数時間後、菓子を食った子供たちは腹を壊した。羊羹を選んだおまえを除いてな。で、そのとき『なんて運の強いヤツなんだ!』と、俺は思ったわけよ」

「……トキ兄、それ……なんか違う」

 もっとすごい例えを出してくるのかと思えば、たかが羊羹とは。

 エビネは一気に疲れが増し、力なく息をついた。

 しかしトキヒコは珍しく大真面目だ。真剣な表情のまま、エビネの目を覗き込んで言葉を続けた。

「冗談だと思うなら、それでもいいさ。だがこれから先、もし重大な選択を迫られることがあった時は、いまから言うことを思い出せ」

 自分の姿を映す兄の瞳に圧倒され、エビネはゴクリと喉を鳴らした。トキヒコは人差し指をエビネの胸に突きつけると、ゆっくりと、ひと言ひと言を区切って言った。

「周りが何と言おうと、それに振り回されるな。常におまえ自身の心の声だけを聴け。何かを選ばなきゃいけない時は、おまえ自身で決めろ。それが、どんなことであってもな――いいな?」

 俺はいままで自分のことは自分で決めてきた。これからも、そうあり続けるつもりだ。それはトキヒコも当然知ってるはずだ。なのになぜ、改めてそんなことを説くのか。

 ふと、そんな反論がエビネの頭をよぎった。

 思ったことをすぐに顔に出す弟を見て、トキヒコは苦笑した。そして一瞬、なぜか悔しそうに軽く唇を噛んだあと、いつも見せるおちゃらけた笑顔を作ってこう言った。

「軍隊では、『自分の意志』など必要とされないからさ」

 その言葉は、エビネの心に深く突き刺さった。急に自分の選んだ職業が、ずっしりと肩に圧しかかってきたような気がした。

 殉職した父と同じ仕事がしたかった――ただそれだけで選んだ道は、想像以上に辛いものなのかもしれない。

 しかし、父は軍人であることに誇りを持っていたし、この兄も「辛い」などとは決して言わない。だったら自分だって頑張れるはずだ。頑張らなくてはならない。二人に笑われないためにも。

 今度いつ会えるかわからない弟への「兄からの言葉」を、エビネはしっかり受け止めた。

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