幕間:「あいつ⑥」

「お前は……誰だ?」

俺は、目の前にいる「俺と同じ顔をした男」を信じられないといった気持ちで凝視した。

俺の腕の中にいた有海も、何が起きているのか分からないような顔をして、俺のすぐ横で固まっている。

『俺は……本当のお前だ』

そいつは、俺の声で話した。というか、俺の声だと思われる声で話した。普段発している声は録音しない限り聞けない。そいつは、その録音した声と全く同じ声質で発声した。

「え……。昭人と全く同じ声……」

有海の困惑した声が俺の耳に届く。有海がそう言うなら、本当に俺の声なのだろう。

『有海』

男が声を上げる。

『何度も言うが、お前が今体を預けているそこの青年はお前の本当の彼氏ではない。騙されてはいけない』

男はそういい切った。

「俺が偽者……? 何を言っているんだお前は。この状況からどう考えてもお前が『この世のことわりに含まれない偽者』だろう」

恐ろしさを感じながらも少し苛立ちを覚えた俺は、俺のドッペルゲンガーことその男に反論した。


『ふ……。俺が偽者だというか。確かに俺はこの世のことわりにとらわれない身であろう。しかし、俺は本物だ』


「お前は矛盾していることを言っていることに気づいていないのか?」

震える声で俺は追い討ちをかけるように反論した。「人間」でないものが俺の本体な訳がないからだ。

『甘いのだよ』

ドッペルゲンガーは続ける。

『そんな偽心で塗り固められた心を持ってよくそんなことがいえるな。実体を持つものが本物だとは限らないだろう』

「は……? お前は何を言っているんだ?」

『わからないようだな。なら教えてやろう……』


『俺は、お前の有海への「嫉妬心」そのものなのだ』


目の前のドッペルゲンガーはそう言い切り、さらに続ける。


『俺は、お前の本心の権化なのだ。つまり俺は「小林昭人」の本体。そんな本心を嘘偽りで隠したお前とは違うのだよ』


しかし、俺は合点がいっていなかった。

「俺の嫉妬心だと? いったい俺がいつ有海に嫉妬したと言うんだ?」

『気づいていないのか? お前は仕事上は有海の部下だ。プライドが高いお前は、有海に命令される状態に反感を持っていただろう? しかもAIの技術力は有海の方が高い。ただでさえ有海とのギャップに苦しんでいたお前は、この状況に相当なストレスを感じでいたのだよ。ただ仕事は仕事。お前はその気持ちに蓋をして、心の奥に本心を隠しやがった。俺はそんな状況から生まれたお前の本体だ。正直外に出られて良かったと思っている』


「まさか。そんなことが……」


 目の前の「俺」からの思いも及ばない発言に、俺の声は震える。確かに、有海という出来の良い彼女を持っていた俺は、俺の出来の悪さと比べてしまい、悩んでいた時代があったからだ。

しかし、俺は今そんなことを強く思い悩んではいなかった。なぜなら、自分の自尊心より、もっともっと大事な物があったから。


--それは、「有海」という存在であった。

 自分が得意な分野以外でよくやらかしてしまうこいつを未来までずっと守り続けたい。そんな「愛」が俺の中の自尊心よりもずっとずっと上回っていたからだ。

俺の胸に身を預けている有海が、不安な表情でこちらを覗き込む。


不安にさせてごめん有海。俺は、これからお前のその不安を吹き飛ばしてやるよ。

心の奥底からそう思った俺は、ドッペルゲンガーに対してこう強く言い放った。


「その理論はおかしい!!!」


『何を言うか。お前はまだ俺が言っていることを理解できないのか……』

ドッペルゲンガーがたじろく。俺は、その隙をついてさらに話を進めた。


「……たしかにそんな気持ちを持っている時代が俺にはあったかも知れない。だけど、俺はそんな気持ち以上に有海をもっとずっと大事に思っている。だから、俺の化身が有海に危害を加えるはずがない!!」

俺は言い切った。

「で、それを踏まえて教えてほしい」

俺は間髪をいれずにドッペルゲンガーへ問いかける。


「俺の姿をしたお前。お前の正体は本当は誰なんだ?」


 俺はドッペルゲンガーを睨み付けた。

『だから言っているだろう。俺はお前だ』

若干言葉が引きつっているドッペルゲンガーはそう反論した。


「いいや、おかしい。絶対におかしい。何がおかしいのか分かっていないなら詳しく教えてやろう」

俺は話を続ける。

「俺は有海を愛している。その気持ちに比べれば、俺の自尊心や嫉妬心なんて無いに等しい。なのにお前は俺の嫉妬心の権化だと言い張る。生霊は当人の強い念が無ければ生まれないはず……。俺には嫉妬心に関して言えばそこまで強い念はないんだよ。だからまず俺から生霊が生まれるはずがない。

しかもそいつは俺の愛している『有海』に危害を加えているんだぞ? 俺は今有海に満たされている。こんな状況で俺の生霊が有海に危害を加えるはずが無い。だから、正体が本当は俺ではないと思うのが普通だろう?」

俺は目の前のドッペルゲンガーを威圧した。さらにドッペルゲンガーがたじろく。


 ちなみに目下の有海の目は、俺を見つめきらきらと輝いているように見えた。抱いている有海の体温が若干高まるのを俺は感じる。有海が照れている……? そんな可愛らしい有海の姿を一目見たいと一瞬気持ちが揺らぐが、そんな気持ちはすぐに投げ捨てた。まずは目の前のこいつをどうにかしないとね。


『ぐっ……』

ドッペルゲンガーは悔しさを滲ませた声を張り出す。


『何なんだお前は。何なんだよお前は!!!!!』


目の前のドッペルゲンガーはヒステリックにそう叫びながら、うつむき、頭を抱え、うめき声をあげ始めた。


「まずい……」


 本能的に危険を感知した俺は、ドッペルゲンガーから目を離さないようにしながら、ソファの前の机の上にあった白い調味料を掴もうとする。


その隙に、あいつのうめき声が鳴り止み、また顔を上げた。

その顔は、誰が見ても顔を引きつらせるような恐ろしい形相をしていた。


しかも、ある事実により俺と有海は一瞬たじろいた。

なぜなら、そこにいたのは俺の顔を持つ男ではなかったからだ。


『これが、俺の本体だよ。見たかったんだろう? 小林?』

ねちゃっとした気味の悪い笑みを浮かべながら、そいつは元いた位置に立っていた。

そう、そこにいたのは、俺達が仕事でよく話をしている人物だった。


「安川課長……。あなたなのですか……」


そう、そこにいたのは俺達の直属の上司。安川課長だった。


『そうだよ。俺はお前たちのせいで「盛岡」というあんな遠方な地へ飛ばされることになってしまったんだよ。しかも、実質的な降格つきでな!』

安川課長の生霊は、有海を指差す。

『それもこれも横井。お前のせいだ! お前の我が強かったせいなんだよ! お前は技術力だけは高かった。だから、研究棟の所長はお前を甘やかしていた。だが、会社の経営に背くお前は、会社としては害悪だった! ただ、上層部の息がかかったお前をただの平社員として野放しにすることはその上層部が許さなかった……。だから俺は、上層部から「社会人としての心得を教えてやれ」とミッションを課せられていたんだ。「横井を改心させるように」とな! しかしそれは全て失敗。俺は責任を取って遠方へ左遷……。これも全て、お前のせいだ』

冷たく低い声で、安川課長は有海に対して言い切った。

俺に抱きかかえられている有海は、その声に反応してびくっと身を震わせる。


 安川課長はねちゃっと笑った。そして、安川課長は俺に向かって話を始めた。

『本当は、今日小林と横井の関係をずたずたに引き裂いてから、じっくりと横井を追い詰めていくつもりだったのだがな……。本当にやってくれるよね小林。お前のせいで俺の計画はぼろぼろだよ』


安川課長の生霊は俺を見据える。

『お前、邪魔なんだよね』

そう安川課長は言い放つと、着ているコートの中から光る何かを取り出した。そうそれは、


刃渡り10cm程のだった。


『お前たちのキッチンからちょっと拝借しちゃった。まずは小林、お前から地獄に落としてやる……』


気色悪い笑みを浮かべた安川課長は、俺に向かって包丁を高々に振り上げ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。


やばい。やばい。このまま包丁が振り下ろされれば俺と抱きかかえている有海共々怪我をしてしまう!


そう思った俺は、手に持っていた「食塩」の蓋を開け、安川課長の顔へぶちまけた。


 一転、実体が薄くなった安川課長は、手に持っていた包丁を落としてしまう。

ソファから1m程先で浮いていたは、落下しフローリングの床にぶすりと突き刺さった。


『何? 何だこれは!?』

安川課長の生霊が悲鳴を上げる。

『まずい。まずい。痛い。痛い! 痛い!!!』

『やめろ……。やめろ……。ヤメロ……。ヤメテクレ……』

訳の分からないことを連呼する生霊は、塩を全身に浴びた状態で消えていった……。


『パシャ……』


 最後に安川課長がいた場所から水音が聞こえる。

安川課長の生霊が消えた後、消えた後のフローリングには消えたはずのあの水溜りの跡が残されていた。


俺はこのあり得ないこの状況を前に、中身が空となった塩の瓶を片手に持ち呆然としていた。

少し経ち俺は気づいた。

俺に抱きかかえられていた目下の有海が、俺に向かって微笑みかけていたことに。


「終わった……のかな?」


そう有海が俺に聞いてきた。


「ああ……。ひとまずは大丈夫だろう……」


俺は、有海に対してそう返事をした。


返事をした後、涙目の有海は俺の首に顔をうずめ、俺の背中に腕を回してきた。


「昭人……。昭人……。ありがとう」

俺の耳元で有海はそうつぶやいた。


俺も有海に釣られて、彼女を先ほどより強く抱きしめる。


そして俺たちは、二人で抱き合ってキスをした。





 その日の深夜、俺は安川課長の生霊に警戒するため起きていた。有海は俺の隣で体育座りをしながら、こっくりこっくりと舟を漕いでいる。最初は有海も「昭人に任せてばっかりじゃ悪いから起きているよ!」と意気込んでいたが、仕事での疲れと安川課長の亡霊の件で疲れ果てていたようだ……。

俺は隣の有海に微笑ほほえみかけ、無言で毛布をかけてあげた。





 翌日、俺達はアポなしで秋山先生のいるお寺を訪ねた。無論今日は金曜日。会社への出勤日ではあったが、今は有海の身の安全の方が大事だ。「体調が悪い」と嘘を付き突発年休を取得した。

お寺に到着すると、俺は受付の3号君に「生霊に襲われているから助けてほしい」と秋山先生へ事伝えをお願いした。


そして、緊急性を理解したのか数分後にお寺のドアが開いた。

「お待たせしました。小林様、どうぞお入りください」

3号君は、そう言い俺達を案内した。


そして俺達は先週案内された客間へと案内された。

「では、この座布団へ座りお待ちください」

3号君にそう案内され、俺達は客間の座布団へ座った。


少し経ち、客間のドアが開く。

「おはようございます。先週ぶりですね」

にっこりと微笑ほほえみながら秋山先生は部屋へと入ってきた。

そして、俺達の対面へと座る。

「ふむ……。3号君から、『生霊に襲われている』と事伝えをもらったのですが、どんな状況なのでしょうか」

秋山先生から問いかけが来た。なので、俺は先生へ今週の出来事について事細やかに伝えた。

有海はその話を聞いていただけだったが、安川課長の件の時はうつむき落ち込んでいるようにも見えた。

「なるほど……。塩で撃退したんですが……」

信じられないといった面持ちで秋山先生は続ける。

「『塩』は生霊には効かないと言われています。なぜなら、生きている人には塩は必須だから。なのに、今回は塩を生霊に振り掛けることで撃退したとのことで……。普通ならありえないのですが……。

取り急ぎ今分かることは、その方法だけでは生霊を抜本的に撃退できたとは言えないことです。今日も除霊を行わせてください。また、生霊が憑きにくいように貴方たちのオーラに介入して負のオーラを全て取り除かせていただきます。前回同様時間を2時間ほどいただきますが問題ありませんか?」

「はい。問題ありません。私たちの命が助かるのなら、是非ともお願いします」


 その後俺達は秋山先生より除霊の儀式を受けた。除霊の儀式を受けている際、俺の中に潜んでいた安川課長への悪い気持ちが取り除かれていくような気がした。


 除霊の儀式が終了した後、俺たちは秋山先生からこう助言をもらった。

「今回生霊の正体が分かったようで何よりです。それが今回の何よりの前進だと私は思います。

生霊に襲われないようにするには、貴方たちが生霊を飛ばしている相手にしっかりと向き合うことが一番の対策になります。貴方たちの何気ない行動が相手を傷つけていることがあります。自分達の今までの行動をかえりみて、相手と腹を割ってしっかりと話あってみてください。きっと事態は良い方向へと進むと思いますよ」

「「了解です。ご助言ありがとうございました」」

俺達は、秋山先生へお礼を伝え、その場を後にした。





 その後、有海は意識して安川課長をないがしろにせずにしっかりと話合うようになった。安川課長の話を聞き、聞き入れるところはしっかりと聞き入れるようになった……。

俺はというと、有海と安川課長が話している際、話の展開上こじれそうになった時は無視せず介入するようにした。そう、有海と安川課長の関係が良くなるように、色々とフォローをした。


 この有海の変化が影響してか、安川課長の異動話は消滅した。会社の上層部が安川課長を評価したのだろう……。


あれ以来俺達は変な体験をしなくなった。そう、秋山先生の言うとおり安川課長との関係改善がこの問題を解決したのだ。


「秋山先生、ありがとう」

 俺は桜井さんと研究室でロボットを組み立てながら、秋山先生への感謝を呟いた。

そして腹を割って人と話し合うことの大切さを俺は今回の件で学んだ。


人との大きなすれ違いが、今回のような事件を生むのだから……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る