幕間:「あいつ⑤」
俺達は自宅へと到着した。有海が寝室へバックを置きに行っている間、俺は除霊の効果を確認するためリビングの脱衣所ドア前へと移動した。
「おお……」
俺は感嘆の声を上げた。
なぜならば、昨日まであれだけ広がっていた水たまりの跡が、跡形も無くなっていたからだ。
「有海! おい有海! こっち来てみなよ!」
一転気分が晴れた俺は、寝室で荷物整理をしている有海を呼んだ。
「何昭人?」
有海が寝室から顔をのぞかせる。
「水たまり跡がなくなったぞ!」
「え?」
信じられないと顔に書いてある有海が、寝室からリビングの脱衣所前のドアへと移動する。
「本当だ……。今朝はまだでっかいのが存在していたのに……。こんなに即効果が出るんだ……」
「ね。除霊ってすごいんだね」
俺達は目を見合わせ、微笑みあった。
これで本当に心の憑き物が取れた。そんな気がした。
「『悪霊にとりつかれるのは、心が弱っているから』っていうのを本で読んだことががあるな……。 これからは気負いせずにいこう! そうすれば、『あいつ』が俺達に憑く隙がないはずだからね」
俺は有海にこう告げた。
「そうだね! 今まで通り、あまり考えないようにして生きていこうね!」
有海の声にも元気が戻ったようだ。
『やっぱ有海は元気いっぱいじゃなきゃ有海じゃないよな』
俺は見た目だけでも元の元気な姿に戻ってくれた有海を見て、少し安心した。
◇
あれから5日が経った。あれ以来俺達は奇妙な体験をすることはなくなり、『あいつ』を少しずつ忘れることができるようになっていた。
今日は出勤日だ。二人で出勤し、同じ研究室で仕事をし、仕事を終わらせたら一緒に帰宅する……。いつもと変わらない一日を俺達は過ごすはずだった。
そう、仕事帰りでこんな体験をしなければ、いつもと変わらない一日だったのに……。
「有海! 今日の晩御飯は何にしよっか」
仕事の終わった俺は、有海と一緒に家へと歩みを進めながら、今晩の献立を相談する。
「う~ん……。回鍋肉とロールキャベツにしよっか!」
「ん……。何かキャベツばっかだね。もしかして、特売か何かでまた買い込んでたりしてる?」
「よくぞお分かりで! 昨日キャベツ1玉100円だったから、2玉買い込んでしまったのだ! 今日はキャベツ祭りだぞ!」
「やっぱりそうだとおもった……。今度は俺の体が緑色になりそうだな……」
「お、葉緑体を体にため込むんだね! 日光に浴びるだけでデンプンを生成できるぞ! 食べなくても生きていけるようになるじゃん! やったね!」
「そうだな! やったな! ってそういうことじゃないんだよなぁ」
「え、違うの?」
デジャウなやり取りをしながら、俺達は家路を進む。
その時、有海が突然歩みを止めた。交差点も信号も障害物もない、ただの道でだ。
「ん。どうした有海?」
『……』
どこか不安な顔をした有海は、肩を震わせ俺を見上げる。
「何か、感じない?」
「感じるって何を?」
「なんか、今すごく冷たい視線を感じるの……」
「え?」
俺は周りをきょろきょろと見まわす。しかし、不審な人は見当たらない。
「まさか……。あいつか?」
「うん。あいつの視線を感じる……。あっちの方に」
震える有海は、100m程先の交差点の対岸を指し示した。そこにいたのは……。
黒いコートを着て黒いフードを目深にかぶっている、『あいつ』だった。
あいつがニタっと気色悪い笑みを浮かべた。そして口を動かす――。
その瞬間、あいつの目の前をトラックが通過する。
通過し終わった後、交差点の歩行者用信号が青へと変わっていた。
交差点を渡り始める通行人たち。その時、あいつは消えていた。
俺は有海を見返す。まだ有海は震えていた。
「あいつが出てきた……。あいつが……」
壊れた人形のように同じ言葉を連呼する有海。
「有海!!」
俺は大きな声で目の前の有海を呼んだ。
「ん……。 あいつの視線を感じなくなったよ。 あいつは一体どこにいったんだ……」
体の震えが収まってきた有海は、体を縮こませながらいそいそと歩き始めた。
俺はゆっくりと歩く有海に見かねて、彼女の手を強引に引きながら自宅へと急ぐことにした。
驚いた有海から声が上がったが、俺は気にせず家路を突き進んだ。
なぜなら、この道中でもっと悪いことが起きるような気がしたからだ。
しかし、この心配も杞憂に終わり、俺達は無事自宅へと到着することができた。
自宅へ到着した時には有海の容態は安定していた。
俺は手早く部屋着へと着替えると、有海へあることを聞くことにした。
「前言ってた、仕事の行きかえりで感じる不審な視線っていうのはこれのことだったのか」
「うん、そうだよ。なんだか体に刺さる、そんな視線なんだよね……。ただ、今日のは一段と強かった気がするよ……」
有海は続ける。
「いつもなら視線を感じるだけで、振り向くとすぐにその視線は消えるんだよね。だけど、今日のは違ったよ。すごく強い意志を感じた気がする……」
「意志?」
俺は有海へと聞き返した。
「私を妬むような視線だった。体の芯に突き刺さってきた……」
「……」
俺は言葉を失った。あいつの意志が途絶えていない。やっぱり、秋山先生の言っていた通り、あいつが俺達へと憑きなおすかもしれない。俺は危機感を覚えた。
◇
その後俺達は夕食を作り、二人でキャベツパーティーを行った。
作った料理は、公言していた「回鍋肉」と「ロールキャベツ」に追加で、有海考案の「キャベツ丸ごと焼き」を作った。
キャベツのミルフィーユ状の葉に挟み込むように、コンビーフを薄く敷いて蒸した料理だった。
コンビーフ由来の塩辛く濃厚な味が、キャベツの芯まで浸透していて非常においしかった。一緒に開けたビールにとってもマッチする料理だった。
しかし、流石にキャベツ2玉を使い切っただけあって、すごい料理の量だった。もう1週間ぐらいはキャベツはいらないかもしれない……。
夕食の後、俺達はリビングでくつろいでいた。
先ほどの夕食に合わせて俺達はお酒を飲んでいたから、二人はほろ酔い状態となっていた。
「あきと~」
少し離れたところでテレビを見ていた有海は、突然俺に懐くように擦り寄ってきた。
俺はソファに座っていたから、二人で寄り添うようにソファに腰掛けるような状態となった。
「どうした有海。やけに今日は懐くね」
「えへへ~」
にへらと笑った有海は、俺の胸に顔を埋めてくる。
なんだこの小動物は。やけにかわいい……。
酔っているのか、いつもより有海の体温が高い気がした。
「だって……」
有海は呟く。
「こうしてるほうが安心なんだもん」
こう言い放った後、今度は何かを伝えるように俺を見つめてきた。
目は不自然に涙が溜まっているような気がした。
そう、天敵を前にしたリスのような目みたいに。
その時、俺は背筋が凍りつくような冷たい視線を背後から感じた。
『パシャ……』
合わせて背後からあの水音が聞こえてくる。
――どうやら、招かれざる客が俺達のアパートにやってきてしまったらしい。
「なるほど……。大丈夫だよ有海。安心して」
俺は、目の前の有海をきつく抱きしめた。抱きしめられた有海は、俺の腕の中でキュッと縮こまる。
そして、俺は後ろにいると思われる『あいつ』を見据えようと後ろを振り返った。
しかし、俺はぎょっとしてしまう。なぜなら、『あいつ』は目と鼻の先、3m程離れた場所に既にいたからだ。
『有海……』
あいつの声が部屋の中に響き渡る。
しかし、あいつの声はいつもより不気味ではなかった。なんというか、今までに聞いたことのあるような声だった。
『なぜその男の中にいるのだ。そいつはお前の彼氏なのではない』
あいつは言葉を続ける。
『真実を見失ってはいけない有海。そいつは偽者。俺がお前の彼氏。お前は俺と一緒にいくんだ』
そう言ったあいつは、黒いフードに手をかけた。
俺の中で縮こまり震えていた有海は、顔を上げあいつを見据えた。
そして、あいつは目深にかぶっていたフードを取り払った。あいつの顔が目の前に現れる。
そう、そこに在った『顔』は、信じがたいことに俺の一番身近に存在していた顔だった。
――そうそれは、俺の顔だった。
訳の分からない状況を前に、ソファに座っていた俺の顔は引き攣り固まった。
『さあ、偽者から離れ俺のところへ来るのだ』
あいつこと俺のドッペルゲンガーは、有海をそう諭し始めた。
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