幕間:「あいつ②」
水風呂での不可解な現象の後、特に何も起きることはなく俺たちは夜を迎えた。
いつもなら夕ご飯を食べた後、我先にとお風呂へ向かう有海なのだが、今日ばかりは俺がいるリビングから動こうとはしない。
「有海〜? お風呂入らないのか?」
俺は有海に問いかける。
「うん。入りたいんだけどね……一人じゃ怖いんだ……」
「そうなんだ……」
俺は不謹慎ながら、若干期待混じりに返答してしまう。
「だから。 私がお風呂に入っている間、脱衣所の前で待っててほしいの……」
「あ……。了解」
残念。一緒にお風呂に入ることにはならなかったようだ。
「昭人~! いるよね? いるよね?」
「いますよ。安心してお風呂に入っておくれ」
俺はリビングから脱衣所へ通じるドアの前に、椅子を持ち出して座っていた。
その脱衣所へ通じるドアの横には、カーテンがかかった窓が存在する。
ときより有海から俺の存在を確認する問いかけがくるので、それには必ず返答するようにしていた。
シャワーから水が流れる音に混じり、有海の鼻歌が脱衣所越しに聞こえてくる。
いったい何の歌なのだろうか……? 俺にわかることは、1昔前の曲調だということだけだった。
しばらくして、シャワーを流す音が止まった。
「昭人~。時間取らせちゃってごめんね? 今度昭人の好きな〇〇屋のラーメンおごってあげるから!」
「お! 本当? じゃあ具全部のせ頼んじゃおっかな」
「遠慮ないね……。お手柔らかにお願いします……」
有海と他愛もない会話を続ける。
ふと俺は自分の足元を見る。すると、俺は見つけてはいけない物を見つけてしまった。
『ん……? 水だまり? なんでこんな物がリビングの床に……』
その時、俺は得体のしれない鋭い視線を、すぐ横の窓の外から感じた。
『……』
恐ろしさのせいか悪寒を感じる。俺はこの世の物とは思えないほど、冷たい視線を感じていた。
有海をつけまわすやつが今窓の外にいる……?
俺は、恐る恐るリビングの窓の方を確認しようとする――。
「ちょっと~! 昭人聞いてる?」
有海からの問いかけで、俺は我に返った。
「聞いてる聞いてる!」
俺は有海の問いかけを適当に返した後、改めてすぐ横の窓を確認する。
『いや、まあ何もいないか……』
窓の外には、目視する限り不審な人は確認することはできなかった。
そして、有海の声を聞いた後からあの冷たい視線は全く感じなくなり、また足元にあった水たまりもなくなり、かわりに水が存在した跡が残されていた。
『やっぱ幽霊なのかな……。しかしそんな物本当にいるのか……?』
実体を確認できない以上、俺はこの状況を受け入れることかできなかった。
その後俺達は寝室で眠ったが、その後不思議な現象が起きることはなかった。
◇
翌日、俺達は河合エレクトロニクスの研究棟へ向けて出勤していた。
「有海、今日は誰かにつけられている気はするか?」
俺は有海に確認する。
「ううん。今日は感じないみたい……。 何なんだろうね……?」
「そっか……」
俺は続ける。
「ちなみに『男の人の声が聞こえた』って言っていたよね? その声に心当たりがあったりはしないよな? 幽霊は、生前に一番思い入れがあった人につきやすいって聞いたことがあるんだけど」
「うん……。声が聞こえたような気がしたのは昨日が初めてだったんだけど、正直『だれの声か』までは見分けがつかなかったな……」
「そうか……。そりゃそうだよな。 最近有海の周りで亡くなった男の人って、おじいちゃんぐらいか?」
「うん。でも亡くなったのはもう5年も前になるかな」
「そうか。じゃああまり関係なさそうだよな……」
結局手掛かりをつかむこともできないまま、俺達は研究室前まで移動した。
その間、特に不審なことが起きることはなかった。
俺達は有海ラボのドアを開ける。
「「おはようございます~」」
ラボ員に向けて俺達は挨拶をした。
「おはようございます~。全く、仲が良くてうらやましいですなぁ」
いつも通り桜井さんからいじりが入った。
「桜井さんならその気になれば相手なんてすぐ見つかりますよ」
俺は桜井さんの真意を悟り、そう返した。
「いやまあもう既にその気なんだけどね! だけど彼氏できないんだよね~。いい人どこかにいないかなぁ」
桜井さんのぼやきがまた始まってしまった。しばらくそっとしておいてあげよう……。
そして職場での時間も過ぎ、午後となった。
「そういえば聞いた~? 安川課長の話」
パソコンでAIのコードを書いていた俺は、桜井さんから話しかけられてキーボードを叩く手を止める。
「いや、知らないです。何の話でしょう?」
「本当? 安川課長盛岡支店の技術課に異動だってさ。役職はまた課長みたい」
「そうなんですか。 研究棟の課長から支店の課長に異動ですか……」
河合エレクトロニクスでは、研究棟は本社付属機関。支店は地方機関の分類となる。そして双方に課長職は存在するのだが、本社付属機関の課長職は地方機関の部長職と同等の偉さとなっていた。そのため、本社付属の研究棟の課長から、地方機関の同じ役職へ異動になることは、あまり良い人事とは言えなかった。
「うん。 やっぱり横井リーダーを管理しきれなかったのが人事に効いてるのかなー?」
桜井さんは有海に聞こえないように小声で俺に問いかけてきた。
それと同じタイミングで、研究室のドアを開く音がラボ内に響く。俺は音がした方向を見ると、ちょうど安川課長がラボ内に入り終わる所だった。
「横井、ちょっといいか?」
部屋に入るなり、安川課長は有海を呼んだ。
「あ、はい。なんでしょう?」
呼ばれた有海は、安川課長に連れられ有海ラボから出ていく。
その後研究室の中は、俺と桜井さんの2人だけとなった。
「『人事関係の報告』かもね! ちょっと遅い気もするけど安川課長と横井リーダーの関係上しょうがないかもね」
桜井さんはそう分析していた。
その後仕事が終わり、俺と有海は家路についていた。
「安川課長と何を話していたんだ?」
俺は、午後ずっと気になっていたことを有海へ確認する。
「人事異動の話だよ。課長異動しちゃうんだって」
「異動先はどこだって?」
「いや、異動先は特に言ってなかったかな? 異動は10月1日付予定のようだし、異動までの時間もまだあるからね~」
「なるほど。10月1日付か」
「それよりさ~! 課長その話が終わるとまた小言が始まるのよ?『上司の話はちゃんときけ』とか『柔軟に対応できないと昇進できないぞ』とか……。適当にあしらってすぐラボに戻ってきたけどね!」
「課長も有海のこと心配しているんじゃないか?」
そういえば俺は有海と課長の関係を取り持つ役目もあったんだった……。最近忘れていたが、今回は課長を少し持ち上げておこう。
「そうなのかなー? ただのストレスの吐き口にされてるような気しかしないんだけどね~。課長も私のこと『じゃまな存在』としか見てなさそうだしな~」
「そっか」
俺は有海に対してこれ以上の説得はやめておいた。課長の話を続けると、有海の機嫌が悪くなるんだよな……。
そして自宅に帰り、有海がお風呂に入る時間となった。
「ごめんね昭人! しばらくおねがいするかも……」
俺は昨日と一緒で、脱衣所の前に椅子を置き座っていた。そう、お風呂に入る有海の話し相手となるためだ。
「おう、問題ないぞ。 一回ラーメン1杯な」
「え~! ちょっと高くない? 毎回はつらいかも!」
そんな他愛もない話をしながら、有海は入浴をする。
そこで俺は気づいてしまった。
『あれ……? 昨日できていた水たまりの跡……。昨日より大きくなってないか?』
そう、その水たまりの跡は、昨日より俺と有海の寝室の方に向かって少し大きくなっていた。
『まさか……。このまま大きくなり続けたりはしないよな?』
俺の心には不安がよぎった。
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