幕間:「あいつ①」

 時は2023年8月。照り付ける日光によりアスファルトは灼熱状態となっていた。それに暖められた空気はよどみ、そしてゆがみ、セミの鳴き声も変な抑揚をつけたような音になりながら俺の耳に届く……。そんなうだるような暑さを受けてか、俺と有海の部屋はクーラーをつけていても全く冷えなくなってしまっていた。

「「あ、暑い……」」

俺たちは口をそろえて先ほどから同じ言葉を繰り返していた。

二人とも暑さで今の位置から立ち上がることもできなくなり、二人でリビングのクッションの上で寝転んでいた。

「ねぇ、クーラーつけてるんだよね? なんでこんなに暑いんだろうね……?」

有海がぼやく。

「さあね……? ていうか、この部屋今何度あるの?」

俺は立ち上がり、部屋の温度計を確認する。

「何? 32度? おい、クーラーはどうしてしまったんだ」

有海も立ち上がり、クーラーの状況を確認する。

「今23度設定にしてるよ? なのにクーラーから全く冷気が出てきてないんだけど! 温風しか出てこないよ!」

有海が嘆く。


そして俺たち目を見合わせ、悟った。

「「暑すぎてクーラーが故障したかな……」」

今外の温度は39度。一応クーラーで内気は7度程度下がっていることにはなっているが、いつもよりクーラーの冷却能力がだだ下がりなのは誰にでもわかった。


クーラーの状態に絶望し、二人でまたクッションの上で寝転ぶ。

「有海。冷蔵庫にたくさん水は冷やしてあるから、熱中症にならないように飲もうな?」

俺は有海に注意をする。

「うん。そうする……」

有海のしゃべる言葉にいつもの元気さがない。これは相当暑さに参っているのだろう。

「あ、『水』か……」

有海が何か思いついたようだ。

「そうよ、『水』よ!」

何かに気づいた有海は急に立ち上がり、何やら風呂のほうへ向かっていった……。



「お待たせ」

何やら有海が急に立ち上がってから10分後、俺の前に有海が戻ってきた。寝転んでいた俺は有海の方を見ると、その服装に俺は驚いてしまった。

「……なんで水着姿なんだ?」

俺は有海に確認してしまった。

そう、有海はビキニ姿で俺の前に立っていた。有海の小柄ですらっとした体に似合う水着だった。人より少し小さい胸はビキニの装飾により盛られ、かなり危ない感じになっている。

「『水』で思いついたのよ! 昭人! 水風呂にはいりましょ?」

そう言い放った有海は、敵を倒す方法を思いついた冒険者のような、勝ち誇った顔をしていた。

「へ? 入りましょ? って俺と一緒に入るつもりか?」

困惑してしまう俺。

「もちろんよ! だから『水着』着てるんでしょ?」

いや、水着着てても一緒に入ったら色々とまずい気がするんだけど……。

そう思ったが、せっかく彼女からの誘いだ。俺も水着に着替えてお風呂に向かったほうがいいだろう。

「な、なるほど。ちょっと自分の水着探してくるから待っててな」

俺は寝室へ向かった。



10分後、俺達は水が張られた浴槽の中で涼んでいた。

「あ~。生き返る~! やっぱり夏はこうでなくっちゃ!」

有海は今俺の目の前にいる。彼女は俺の肩やお腹に背中を預けているような状態となっていた。

「ね、昭人!」

俺の肩に頭を預けた有海は、俺の方を振り返りながらそう言った。やばい、有海のうきうきしたようなこの顔がかなり可愛い……。

そんなことを思っていたら、そのまま有海がキスをしてきた。俺はドキドキしてしまう。

「ふふ。今『キスしたい』って思ってたでしょ? 顔に書いてあったよ」

お見通しだったようだ。

「あれ……? 顔に出てた?」

「書いてあったよ! この有海サマにかかれば、昭人のことなんて全てオミトオシなんだから!」

天真爛漫な彼女の雰囲気で、暑さにやられていた俺の心は癒されている気がした。


こんな涼しいところで彼女とイチャイチャできるとは、なんとも素晴らしいことか……。

そんなことを思っていた俺だったが、そんな思惑はすぐに打ち砕かれてしまう。


『……』

そう、俺は何か「別の」言葉を聞いたような気がした。


「ん、有海小声で今何かしゃべったか?」

俺は有海に確認する。

「いや、しゃべってないよ……。でも私も何か聞こえた気がする……」

有海も何かを聞いたようだ。

「お隣さんかな? なんか男の人のような声だった気がするな……」

有海がそう分析した。

『……』

また聞こえた。俺達は顔を見合わせる。

「どこから聞こえてくるんだろうね?」

この不気味な雰囲気のせいで、俺はさっきまでの高揚していた気持ちが吹き飛んでしまった。

「とりあえず一回あがろうか?」

心の芯まで冷えてしまった俺は、水風呂から上がることにした。


俺に続いて浴槽から出る有海。その時、彼女はあることに気がついてしまった。

「なによこれ……」

有海が水風呂を見て固まる。俺もつられて水風呂を見てしまった。

「え……」

そこには俺達から出たとは思えないほどの多量の髪の毛が浮いていた。

その髪の毛は1本1本が短い。男の人の髪の毛のように見えた。


「あ、昭人髪抜けすぎじゃない!?」

若干引き気味の有海は、俺の髪だと決めつけるように話を進めてきた。

「そ、そうだな。生え変わりの季節カナ」

俺は訳の分からないことを言いながら、そそくさと浴槽の栓を抜く。


『ゴー』

浴槽に浮かんでいた髪の毛を巻き込みながら流れていく水。俺はその水をただ見つめることしかできなかった。

「なんだろう、なんだろう……」

有海は何か自分を思い詰めるように、自分に問いかけるようにつぶやいていた。





浴槽から上がった俺達は、先ほど暑い暑いと連呼していたリビングにいた。先ほどと違い俺達は部屋の暑さを全く感じないような気がした。

「昭人。実はね……」

有海が俺に話かけてきた。何かを打ち明けるような雰囲気に、俺は少し緊張する。

「ここ半月ぐらい前からなんだけど、誰かにつけられているような。そんな気がするの……」


「……は?」

突然の告白に、俺は気の抜けた返事をしてしまう。

「つけられてるって誰に?」

俺は聞き返す。

「いや、気配がする方向を見てもいつも人がいないんだ……。ただ、朝出勤する時とか、帰り昭人と一緒に帰る時とか、ずっと後ろで足音がするような気がして……」

涙目になりながらそう告白する有海。

「そんなこと……あるのか」

俺は本や話でしか聞いたことがないような情報を聞き、信じられないような気持ちでいっぱいになった。

「さっきのあの異常な状況も、もしかしたらつけてきたその『人』の仕業かも……」

既に少し泣いている有海はそう推測した。

俺は、『冗談ゆうなよ!』と有海に言い返そうとした。しかし、そんな最中……。


『パシャ……』


俺達の後ろ、浴室の方から、濡れた足で床を踏み込むような音が聞こえた。


「「…………」」

恐ろしさで目を見合わせる俺達。

「よし、ちょっと見てくる……」

俺は有海のところを離れ、浴室を見に行くことにした。


「待って! 一人にしないで!」


恐ろしさでふるふる震えた有海は、俺の背中に抱き着くように飛び込んできた。

背中の柔らかい感触が素晴らしい。

しかし、いつもならとっても嬉しい状況なのだが今回はそうも言ってられない。


「よし、2人で見に行こうか……」


俺は有海に宣告し、二人で浴室の確認に向かった。


しかし……。そこは普段と何も変わらない浴室が存在していた。あの多量にあった髪の毛も、全て水で流れてしまったのか存在していなかった。


「なんだ、とりあえず何もなさそうだな」

俺は有海に報告する。うつむいたままの有海は、その言葉を聞いて安心したのか顔をあげて俺の目を見つめた。しかしその目は「まだ終わってないよ」と訴えかけていた。

「うん。昭人が知ってくれたから、いつもより安心だよ……」

そう有海はつぶやいていた。

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