第三話 ランデヴー(1)
レイハネは、ウールディが生まれたときから彼女と共にあった。
白と茶色の柔らかい体毛をまとった、温和で賢い犬だった。放牧された家畜たちを監督する牧羊犬としての役目を立派に務め、一方で幼いウールディの面倒を見るのも厭わなかった。むしろ彼女はウールディの保護者を自負していた。家事に仕事に追われる主人シャーラの分まで惜しみない愛情を注いでくれるレイハネのことを、ウールディももちろん全面的に信頼していた。
賢いレイハネは、ウールディの読心力を当然のように承知していた。主人のシャーラからして読心者であった影響も大きかっただろう。レイハネとウールディの間で交わされるコミュニケーションは、ヒトとヒトの間に交わされるものよりも、あるいは濃密だったかもしれない。
生まれた瞬間からレイハネと過ごしてきたウールディにとっては、だからヒト以外の生物にも思念を感知するのは、ごく当たり前のことであった。
レイハネのような犬や家畜の羊たちはもちろん、森を飛び交う小鳥たちや、花畑に舞う虫にすら、なんらかの思念が存在する。あるいはもっと極小のもの、目に見えないような生物にすら、思念と呼べるほどではないにしろ、なんらかの精神感応力が感知するものがある。
無論、ヒトと異なる生物たちの思念そのものを理解出来たわけではない。
食欲や好奇心、警戒心といった原始的な思念の動きすら、判別可能な生物はごくわずかだった。はっきりと意思の疎通が可能だったのは、あくまでレイハネだけである。『カナリアン・テラス』でルスランにも言った通り、ヒトとレイハネ以外の思念とは、ウールディにとってただそこに在るものに過ぎない。在るからといって煩わされるものではない、風景の一部のようなものだ。
だから簡易軌道エレベーターで惑星クロージアに降下途中の居住ユニットの中でも、ウールディがパニックに陥ることはなかった。
「さっきからぞわぞわするのは気のせいか」
しきりに身じろぎするユタを落ち着かせるように、ウールディは努めて穏やかな声をかけた。
「クロージアの生態系の思念はまだ感じられないわ。安心して」
惑星クロージアの静止衛星軌道上にある監視ステーションから、簡易軌道エレベーターで地表に降下するまでおよそ五日間かかる。無事に地表に降り立つまでの間、ふたりは外界から閉ざされた居住ユニットの中だ。
今日はその三日目。ふたりはその日の朝食を終えて、リビングと覚しき一室のL字型のソファに、斜向かいになって腰掛けていた。
「安心してって言われてもな。いずれその、よくわからない生き物たちの精神感応力が、俺たちにも干渉してくるんだろう」
「そうだね。そのはず」
「俺はファナとしか《繋がった》ことないからさ。やっぱり、正直びびってるよ」
ユタは唇の端を引き攣らせながら、それでも強がって笑ってみせた。
彼らふたりがクロージアに派遣されたその目的を、ウールディは昨夜とうとうユタに打ち明けた。
そもそもクロージアに対する知識が皆無だったユタにとっては、ウールディに告げられたクロージアの生態系、それ自体が衝撃の存在であった。
「それにしても未だに信じられない。惑星上の生物全てが精神感応的に《繋がって》いるって」
「憶測だけどね。三百年前にここに来た調査隊も、この星を調べ尽くしたわけではないし」
「でもその精神感応力のせいで、その調査隊にいたレンテン……なんだっけ」
「レンテンベリとシュレス。ふたりとも中等院で習うわよ。銀河連邦創設の立役者なんだから」
「ヴューラーとアントネエフしか覚えてねえ……いや、そんなことはどうでもいい」
ウールディに余計なことを指摘されて、ユタは煩げに手を振った。
「そのふたりのN2B細胞が変に刺激を受けて、《クロージアン》になったっていうんだろう?」
「うん」
テネヴェにいる間、ウールディは《クロージアン》の思念を探り続けてきた。それは惑星クロージアの航宙座標を知るためであったが、その過程上で《クロージアン》という精神感応的な超個体群の根底に横たわるとも言える、強烈な記憶に何度も触れた。
イェッタ・レンテンベリが体験した、クロージアの生態系の記憶。ただでさえ精神感応的な《繋がり》を初めて味わう彼女にとって、その相手がヒトではなく未知の生物たちであったのは、なおさら混乱に拍車をかけたことだろう。いったい何が起こっているのか、それすらも把握出来なかったに違いない。
その上同僚たちの思念と《繋がって》、お互いの赤裸々な部分まで互いに晒し合うという状況に突き落とされて、よく無事に帰還出来たものだと思う。常人よりもはるかに生存への希求が強い女性だったということは、《クロージアン》の記憶からもひしひしと伝わってきた。
「そんな、普通のヒトが《クロージアン》になっちまうような星に、今度は俺たちが乗り込むんだよな」
ユタの口角がひくついたとしても、それは仕方のないことだった。
未知の生物に取り囲まれるだけではない。そんな得体の知れない、思念とも呼べないかもしれない精神感応力に干渉されることがわかって、動じない方がおかしい。
「大丈夫」
それでもウールディに怖れはない。より正確には、怖れを上回る別の想いがあった。
「言ったでしょう。私はレイハネとずっと一緒だったせいか、昔からヒト以外の生物の思念も感じることが出来たって」
それは母シャーラにもかなわない、ウールディが生まれ育った村でも彼女特有の能力だった。もっともそれが極めて稀なものだということに気がついたのはもっと後、スタージアで精神感応力について様々に学んでからのことだ。
「だからクロージアの生き物たちの思念に囲まれても、私はそれほど心配してない。だってそれはヒトに理解出来なくて当たり前のものだから、受け流してしまえばいいのよ。その他大勢の人たちを無視するのと同じこと」
「お前は大丈夫なのかもしれないけど、俺はヒト以外の生き物の思念なんて触れたこともないんだぜ。そんな上手いこと受け流せるか、わかんねえよ」
ユタがややふて腐れたように反論する。するとウールディはおもむろに彼の側ににじり寄り、ソファの座面に投げ出されていた彼の左手を両手で持ち上げた。
「心配しないで」
ウールディの褐色の、細い指に掌と甲を挟まれて、ユタが驚いた顔で見返す。
「昔ここを訪れた調査隊員たちは、クロージアの生態系の干渉によって、互いに精神感応的に《繋がっ》た。だからあなたも私と同じように慣れるはず」
彼の目に映る自身の黒い瞳に、胸の奥から湧き上がる高揚感が宿っている。そのことに気づいても、ウールディは言わずにはいれなかった。
「私たちも《繋がる》んだよ、ユタ。私の気持ちも、あなたに伝わるの」
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