第二話 旅の軌跡(3)
思念という概念は実際には様々な意味で解釈されるが、精神感応的な《繋がり》と絡めて用いられる場合、それを口にする者がイメージするところに大きな差異はない。
《クロージアン》や《スタージアン》、《オーグ》といった精神感応的に《繋がり》合う超個体群の場合、彼らを構成するヒトの思念はやがて混ざり合い、融合していく。だが決して完全なひとつの思念になるわけではない。たとえばヒトひとりを見た場合、そのヒトは膨大な細胞の集合体と見做すことが出来る。だからといってそのヒトを指して、巨大な一個の細胞と呼ぶことはないだろう。精神感応的な超個体群と思念との関係は、ヒトとヒトを構成する細胞との関係に置き換え得る。
(混ざって、ひとつになって、個々の思念の意識や思考、感情は大いに変容していく。でもひとつひとつの思念そのものが失われるわけではない)
(なぜならヒトの思念をいかほど積み上げるか、それこそが精神感応的な超個体群の力の源泉だからだ)
(無論ヒトを集めるだけではその力は発揮されない。個々の思念を有機的に《繋げ》るためには、それ以上の計算資源と電力の存在が不可欠だ)
(《オーグ》にしろ《スタージアン》にしろ《クロージアン》にしろ、そのどれもヒトの進化の一形態に過ぎない)
精神感応的な超個体群とは詰まるところ、ヒトが進化して獲得した姿である。それを理解することは出来ても、ルスラン個人の思念には同時に複雑な想いが去来する。
(N2B細胞を欠く僕のようなヒトにとっては、反応に困る話だね)
(そんなことはないでしょう)
彼の苦笑めいた呟きを優しく否定したのは、ファウンドルフの思念だった。
(これまでN2B細胞ありきで存在してきた《オーグ》は、つまり天然の精神感応力を発掘する土壌をみすみす見逃してきたんだもの)
ウールディのような天然の精神感応力者は、N2B細胞欠損者からしか見出されることはない。天然の精神感応力の可能性は、ファナの力を得た《オーグ》が今まさに存分に発揮しているところだ。
(それにこの先を歩むことが出来るのは、先天性N2B細胞欠損者だけかもしれない)
そう告げるファウンドルフの思念からは、つい先刻《オーグ》に《繋がる》ときのような恐怖や悲壮感といったものは感じられない。
(私たち《オーグ》は、クロージアとの接触を喜んで受け容れるわ)
(《スタージアン》が講じた最後の手段のつもりが、これほど《オーグ》の興味を惹くことになるというのもわからないもんだ)
(そもそも《原始の民》が放たれた目的が、彼らにとって見知らぬものを産み出すためだからね。ヒトの手によらない、真の未知との出会いとなればなおさらだわ)
(それが《スタージアン》の意図通りの結果を引き起こせば、千年かけて《繋げ》てきた三百億人が発狂死するかもしれないのに)
理解は出来ても、納得は出来ない。それはルスランの思念がまだ《オーグ》に《繋がった》ばかりだろうか。それとも彼がN2B細胞を欠くためだからであろうか。
(それすらも、ヒトの進化の礎ということよ)
ふたりに囁きかけた新たな声は、ルスランの思念に懐かしいという感情を抱かせた。
(ヴァネット)
(ルスラン、あなたが無事に《オーグ》と《繋がって》安心したわ)
既に死せるはずのヴァネットの思念。彼女の思念と出会えたことに、ルスランが混乱することはなかった。それは《オーグ》と《繋がった》時点で、彼も既に理解済みの事象であったからだ。
それどころか彼女の存在自体が、《オーグ》の取る対策のひとつでもある。
(クロージアとの接触によって生じうる可能性は、《オーグ》も十分に計算している。最悪の場合でも私のように、個々人の記録は機械に蓄積されて残るでしょう)
であれば仮想思念としてのヴァネットと再会する可能性は、多少でも残されているということだ。生き残った人々がそれで良しとするかは、また別の話だとしても。
(それは本当に最悪のケースだね)
(少なくともこの第七の世界に限れば、一部を除いたほとんどのヒトは若干の後遺症程度で済むはずよ)
淡々と語られるヴァネットの言葉に続いて、ファウンドルフの思念は一抹の寂寥感と共に一言を付け足した。
(残念ながら私は、多分無理でしょうけど)
生まれながらにN2B細胞によって《繋がる》ファウンドルフには、その《繋がり》を解きようがない。それは《オーグ》に《繋がる》前からわかっていたことだ。
(ヒトの進化の前には、多大な犠牲は避けられないものなのかな)
ため息混じりに呟くルスランの思念もまた、クロージアとの接触を回避しようとは思っていない。既に十分に《オーグ》に《繋がって》いることを、彼も自覚していた。
(そうなってしまったら、仮想思念になった私に会いに来てちょうだい)
(遺言はまだ気が早い。まだどうなるかはわからないのだから)
それはルスラン個人の想いのようで、実のところ《オーグ》全体の共通認識であった。
宇宙を切り拓いてきたヒトはこれまでも様々な未知に直面してきたが、そのいずれも《オーグ》から《スタージアン》たちへと引き継がれてきた科学力によって、克服や支配を可能にしてきた。
だがクロージアの生態系に対して有効か否かは未知数だ。
どうなるか想像もつかない、それ自体が《オーグ》の興味を惹いてやまない要因であった。
ヒトの進化を促すには、そういった想像もつかない未知との邂逅が不可欠である。
無分別な好奇心のようにも見える《オーグ》の望みは、結局ヒトのためにある。かつてのヒトとは見違えているとしても、《オーグ》はやはりどうしようもなくヒトなのだ。
(やることやったら、最後はなるようになれってこった)
ルスランが昔から聞き慣れたラセンの低い声が、不意に耳元で告げた。そこに被せるようにして言葉を発したのは、父ラージの思念であった。
(考えすぎても良いことはない。打てる手は打って、それ以上は成り行きに任せる。《オーグ》だろうがヒトだろうが、そこに変わりはない)
言い回しこそ異なれど口にする内容が全く同じなのは、《オーグ》によって《繋がった》からだけではないだろう。この期に及んでふたりの血の濃さを見せつけられて、ルスランは大いに苦笑した。
ふと気がつけば、彼の想いに共感する思念が側にある。
(あのおふたりは《オーグ》の《繋がり》の中にあっても、そっくりの親子であることは変わりませんね)
それはウールディの母、シャーラの思念だった。
ウールディと同等の読心者であるシャーラが《オーグ》と《繋がった》ということは、それ自体が彼女の娘と《オーグ》が《繋がり》得る可能性を示している。
ただそれが万全でないこともまた、《オーグ》の共通認識であった。
(私たちのような読心者の精神感応力は、人それぞれに微妙に異なりますから)
天然の精神感応力者は、その力の源泉である感覚器官の成長具合によって、個々人で相応の差が生じる。《オーグ》や《スタージアン》たちのように、全てのヒトにとって一律化されたN2B細胞とは事情が異なるのだ。《オーグ》はウールディと《繋がる》ことを、まだ確約出来ない。
(大丈夫だよ、シャーラ)
彼女の不安を吹き飛ばすようにあっけらかんと告げたのは、心配も懸念もしていないファナの声であった。
未知の存在との接触という《オーグ》の悲願に突き動かされたわけでもない。それは彼女個人の根拠のない、だが根っからの信頼に裏打ちされた、楽天的な想いだ。
(ウールディとユタ、ふたり一緒なんだから、きっとなんとかなるよ)
《オーグ》の関心も、ヒトの進化も、ファナにとっては些事に過ぎない。彼女はただ、ウールディとユタと共にありたいという想いを込めて、彼らに向けて手を伸ばす。
そして《オーグ》の精神感応力は、ついに惑星クロージアへと及んだ。
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