第二話 旅の軌跡(2)

《オーグ》が六つの世界を平らげてきたその航跡は、累計すれば一万光年余りに上る。一万光年という距離を長いとみるか短いとみるか、それは判断する側の基準によって左右されるだろう。ただ《オーグ》が千年かけてたどってきた一万光年は、決して順風満帆なものではなかった。


 未知の宇宙空間へと放たれた開拓移民船一千隻のうち、極小質量宙域ヴォイドを発見しその先へと向かった百隻余りの行方を、《オーグ》は追跡することは出来なかった。彼らの通信索敵範囲は一星系より先に届かないため、極小質量宙域ヴォイドを経由して恒星間距離の先に跳び立った開拓団たちを追うには、物理的な手段を駆使するしかなかった。


 そのために開発されたのが、自律型通信施設レインドロップの原型である。


 開拓団たちを送り出すと同時に、《オーグ》は彼らの住まう星系を基点として開拓団たちが向かったと推測される方角へと、自律型通信施設レインドロップの敷設を進めていった。開拓船たちの行方を手探りで追いながら、広大な宇宙空間に砂粒を一粒ずつ散りばめていくような、気の遠くなるような作業だ。だが《オーグ》は黙々と、自律型通信施設レインドロップをひとつずつ着実に設置していった。


 最初の世界にたどり着くまでに、三百年ほどの月日が必要だった。


 それも《オーグ》が自力で発見したわけではない。無事に植民を果たした開拓移民たちが、律儀にも《オーグ》たちに居場所を知らせる連絡船を送り返してきたお陰であった。


 彼らは極小質量宙域ヴォイドを超えて間もなく発見した惑星を開拓し、三百年かけて一個の文明と呼びうるレベルまでの発展を遂げた。極小質量宙域ヴォイドを超えてなお《繋がり》を維持し続けてきた彼らは、彼ら自身が《オーグ》の播いた可能性の種であり、やがて《オーグ》に摘み取られるべき果実であることも自覚していた。十分な成果を積み上げたと判断した彼らは、自らの意思で《オーグ》に収穫されることを選択したのである。


 彼らはまた、自分たち以外にも《オーグ》が播いた種子がいることも心得ていた。


 彼ら自身の世界は一惑星上にとどまるものであったが、周辺の、さらにその先の天体を隈無く観測することを、彼らは怠らなかった。そして《オーグ》が訪れるまでの間に、彼らとはまた異なる世界を花開かせている可能性のある候補地を、三桁にまで絞り込むことに成功していた。


 この第一の世界の観測結果と《オーグ》自身の観測結果を重ね合わせることで、以後の探索効率は飛躍的に向上する。


(そこから第六の世界までを《繋げ》るまでにかかったのが、二百年余り)

(最初の三百年で試行錯誤した経験を活かして、その後の作業は速やかに進められた)

(その間に自律型通信施設レインドロップの機能も格段に進化している)

(エカテ・ランプレーに提供した自律型通信施設レインドロップは初期型に近い、この世界の技術力限界を考慮した簡易版だ)


 最新型はデブリや小惑星から自ら資源を採掘し、現像機プリンターを用いた自己複製機能も備えている。《オーグ》がここ、第七の世界にたどりつくまでに散りばめた《レインドロップ》の数は、ゆうに十億基を超えるだろう。


(だがこの世界を発見するには、それからさらに四百年以上がかかった)


 宇宙に播いた種で開花したのは、第六の世界で全てではないか。《オーグ》もその可能性を念頭に置きつつ、地道な探索作業はやむことなく続けられていた。


 たとえ第七の世界が存在しないとしても、彼らには宇宙を探索し続ける動機があった。

 一星系にとどまり続けたまま悠久の時を過ごし続けてきた《オーグ》にとって、第六の世界を《繋げ》たところで立ち止まっては、再び変化と刺激のない日々に還ることにほかならない。そこで歩みを止めてしまえば、結局それ以上の発展のない、緩慢な死を先延ばしにしたことにしかならないのだ。


 星系をも超越した行動が可能になった《オーグ》が追い求めたのは、この宇宙に彼らの想像を超えるような未知なる存在を見出すことである。


 それは彼らが播いた種の行く末を追う以上の、渇望にも似た原動力であった。


(残念ながらここまで、そんな存在と出会うことはなかったけどね)

(だが第七の世界――この銀河系人類社会は、我々の落胆を吹き飛ばすに十分だ)


 この世界に至るまでに《オーグ》がたどってきた道程が、ジュアン・フォンの脳裏に雪崩のように流れ込む。膨大過ぎる記録を黙然と受容していたフォンの思念は、次の発言を認識して初めて反応を示した。


(明らかに人工的な爆発光を確認したのが、ほんの百年ばかり前のことだ)

(爆発光……スタージア星系の会戦か)

(《オーグ》の探索範囲の、ぎりぎりのところで発見された。あの爆発光がなければ、第七の世界にたどりつくのにさらに何百年かが費やされていただろう)

(なるほど)


 フォンの呟きにはわずかに苦笑めいた響きがあった。


(シャレイド・ラハーンディの言う通りだったというわけか)


 かつて外縁星系コースト諸国連合軍と銀河連邦軍との間で交わされた、銀河系人類史上最大の艦隊戦――スタージア星系の会戦を演出したのは、ほかならぬ《スタージアン》である。その真の意図は、《オーグ》の住まう《星の彼方》方面の極小質量宙域ヴォイドを大艦隊の残骸で埋め尽くし、封鎖することにあった。


 だが史上最大規模の戦火は、それがほんの数時間のことであっても、《オーグ》なら見つけてしまうのではないか。《オーグ》にこの銀河系人類社会の存在を知らしめることにならないか。生前のシャレイドはその点を懸念していた。


(スタージア星系の戦火を発見したのは、既に第六の世界も《繋げた》後のことだ)

(この第七の世界に向かうには、《星の彼方》よりも第六の世界の方が単純に近い)

(そうして最初に《オーグ》と接触したのが、サカだったということだ)


 万全のつもりだった対策が裏目に出続けていたことを指摘されても、フォンは今さら歯噛みするということはない。彼自身も既に《オーグ》に《繋がる》身であれば、ただ事実を受け容れるのみである。


 だが彼に代わって感心とも嘆きともつかない、大きなため息に似た思考を迸らせる、別の思念があった。


(千年かけて一万光年を迂回されれば、防ぎようもない)


 この場に身体からだを伴っていれば、その巨躯で大袈裟に両腕を広げていたことだろう。ラージ・ラハーンディの思念は、いかにも残念そうな言葉を口にした。


(いくら未知の多様性に溢れているといっても、それは想像を上回る豊作だったというだけの話だ。結局この銀河系人類社会は《オーグ》に互することも出来なかった)


 ラージ自身も《オーグ》に《繋がった》からこそ、この思念の交換の場に在る。彼の言葉は単なる悲嘆ではなく、むしろ様々な意見を聞き出すための呼び水に過ぎない。


(それは何をもって互するかという基準次第だろう)

(精神感応的な《繋がり》を解いて複数の星系にまで生活圏を広げることが出来たのは、この第七の世界だけだ)

(そしてここに生きるヒトの数だけ、それぞれに異なる意識・思考を育んできた。その点で見れば明らかに《オーグ》に勝る)

(既にこうして《繋がった》ヒトの思念の差異を受けて、《オーグ》そのものも急速に変容しているのだ)

(見方によっては、この第七の世界の多様性が《オーグ》を塗り替えつつあるとも言える)

(それに、まだ全てが《オーグ》に《繋がった》わけではないだろう)


 その一言に反応したのは、フォンでもラージでもない。

 まるでその場に最初から参加していたかのように、ファナの思念が口を挟む。


(まだ、ユタとウールディが《繋がって》ないよ)


 既にサカ、旧バララト系諸国、エルトランザ、そして銀河連邦の全域が《オーグ》に《繋がって》いる。互いを《繋ぐ》のはファナの持つ特殊能力を解析して我が物とした、《オーグ》が得た新たな精神感応力だ。


 そして未だ《オーグ》の《繋がり》の外にいるのはファナの言う通り、ウールディ・ファイハとユタ・カザールを残すのみとなっていた。


(彼らと《繋がる》のも間もなくだよ)

(早く《繋げ》てあげて。『レイハネ号』はもう、クロージアにいる)

(もちろんだ)


 ファナの言葉に反応した思念は、ひとつではない。わずかな躊躇と、それをはるかに上回る好奇心と、抑えきれない興奮と共に彼女に応えたのは、《オーグ》に《繋がる》全てのヒトと言っても過言ではない。


(クロージア――我々の想像の及ばぬ未知との邂逅こそ、《オーグ》が求め続けてきたものだ)

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