第二話 乱心(3)
ファウンドルフの言葉は、切って捨てるかのように断定的だった。彼女の口上がいささか不自然に思えて、ユタはまた思ったことをそのまま口にしてしまう。
「そんなもん、誰だって知らないに決まっているだろう」
片方の眉をわずかに上げて顔を向けてくるファウンドルフに、ユタは躊躇うことなく言い放つ。
「実際の《オーグ》を知ってるのは《スタージアン》だけなんだろう? ほかに知っているとしたら、《スタージアン》の思考まで読み取れるウールディだけだ」
それともひょっとして、今現在の《オーグ》について一番詳しいのは、現在進行形で《オーグ》と共にいるファナかも知れない。
だがそんな彼の指摘を、ウールディが頭を振って否定する。
「ユタ、彼女が言う未知の存在ってのは、《オーグ》のことだけじゃない」
そう言うとウールディはファウンドルフに真顔を向ける。
「《クロージアン》にとって未知の存在の恐怖とは、クロージアの記憶のことよ」
ウールディがそう告げた途端、彼らが座るテラス席の周囲の空気が一変した。
ファウンドルフは目を見開き、青い瞳を剥き出しにして、ウールディの顔に突き刺すような視線を射かけている。全身の毛を逆立たせたかのような《クロージアン》の女の、グラマラスな肢体から匂い立つ得もいえぬ香りが、テラス席の室内に充満する。ユタは彼女の顔を見返そうとしても、濃密さが目が染みるような錯覚すら覚えて、その表情をまともに捉えることが出来ない。
「……あの記憶があるから、今の私たちがいる」
肉感的な唇の間から、一言一言が噛み締めるように紡ぎ出される。
その言葉と共に、ファウンドルフが放つ圧倒的な空気が緩やかに収束していく。
「容赦なく《繋がろ》うとする未知の生物たちに取り囲まれる――その恐怖は体験した者でなければわからない。あの経験は《クロージアン》の原点だわ」
「あんたたちがそこまで怖れるって、どれだけなんだよ」
一瞬の息苦しさから解放されて、ユタはなんとか呼吸を取り戻したかのように大きくため息をついた。
「正体不明の《オーグ》に比べれば《スタージアン》を選ぶってのは、そういうことか」
「……《スタージアン》を信用しているとは言わないわ。でも彼らの考える手段以外に《オーグ》に抗う術がないというのも、立派な理由よ。それに私たちが見越しているのは、その後のこと」
先ほどの怒りとも動揺ともつかない激発がまるで嘘のように、ファウンドルフは再び艶然とした笑みをたたえていた。
「《繋がり》を維持するには膨大な計算資源と電力が要る。《スタージアン》の地力は《クロージアン》をはるかに凌駕するけど、それにしたって彼らが銀河連邦全域の《繋がり》を長期間維持出来るとは思えない。どんなに長く見積もっても百年、いやもっと短いかもしれないわ」
百年という時日を短いと言い切る時間感覚には、違和感しかない。そんなユタの表情を気に留めることなく、ファウンドルフは滔々と語り続ける。
「彼らが考えているのは《オーグ》の処理能力を凌駕して、その浸食を撥ね除けることだけ。それ以上干渉するつもりはないし、そして《オーグ》を退けた後はもうそんな力も残ってないでしょう。そういう意味では
ひとしきり言い尽くしたファウンドルフは、目の前の三人の顔を満足げに眺め回す。彼女の青い瞳と視線が合った瞬間、憮然とした顔で口を開いたのはルスランだった。
「《オーグ》を排除して、《スタージアン》も力を失った銀河系人類社会に君臨するのは、《クロージアン》というわけか」
「君臨だなんて、大袈裟よ」
ファウンドルフは彼の発言を笑顔で窘めながら、その言葉を必ずしも否定しているわけではなかった。
「私たちは今までと同じく、ただ銀河連邦の安定に努めるだけ。何も変わることはない、そうでしょう?」
ファウンドルフは嘘はついていない。
それでもルスランが渋面でいる理由は、ユタにも理解出来た。嘘はついてないないにしても、彼女の説明はいかにも言葉足らずだ。
たとえ《クロージアン》の在り方は変わらずとも、周囲を取り巻く状況が変わってくる。《スタージアン》は力を失い、そして銀河連邦の全域には
ファウンドルフが示した未来図に納得出来ないのは、ルスランだけではなかった。
(冗談じゃないよ!)
ファナの思念が金切り声に近い響きで、ユタの脳裏に突き刺さった。
(じゃあ《オーグ》を打ち負かしても、私たちは《クロージアン》に支配されるだけってことじゃない。《繋がる》よりももっと
(落ち着け、ファナ)
なんとか宥めすかそうとしながら、ユタも実際にはファナと同じような感想を抱かざるを得ない。《オーグ》と《クロージアン》とどちらを選ぶべきか、自分たちの前にはそんなろくでもない選択肢しかないのか。
「そんなに上手くいくのかな」
それまで押し黙っていたウールディが、疑わしげな口調で疑問を差し挟んだ。
ファウンドルフの雄弁にただ耳を傾け続けていたウールディは、テーブルの上に突いた片肘の先、軽く拳を握った右手を顎先に当てながら、《クロージアン》を見返す黒々とした瞳には強い光が宿って見える。
「《オーグ》の処理能力をパンクさせたとして、その後どうなるかなんてことは《スタージアン》だって正確には予測出来ていないのよ。あなたの言うことは、皮算用もいいとこだわ」
プラチナブロンドの《クロージアン》が、厚ぼったい唇の端を微かに歪ませた。ファウンドルフの顔に注がれるウールディの瞳は、彼女が持って生まれた黒曜石の如き深い輝きをいや増していく。
「《スタージアン》が予測出来ない、一番の理由はなんだと思う?」
「……《繋がる》集団が処理能力を破綻させるなど、誰も経験したことのない事態だから。それが上手くいくかわからないというならその通り、そもそも博打には違いないわ。ほかに何かあるのかしら」
「わからない?」
そう言ってウールディは、ユタもあまり見た記憶のない挑発的な表情を浮かべて、心持ち小首を傾げてみせた。
「でも、まあいいわ」
「いいってこたないだろう」
ふたりのやり取りを固唾を呑んで見守っていたユタは、肩透かしを食らわされた気がして思わず声を上げた。だがウールディは彼の抗議にも振り返ることなく、彼女らしからぬ芝居がかった表情を、徐々に打ち消していく。
「早く《クロージアン》に会って、なんとかして探り出さなきゃいけないって思ってたけど、そんなに慌てる必要はなかったみたい」
「どういう意味だよ」
するとウールディはテーブルの上から肘を下ろし、組んでいた脚の上に両手を乗せる。そして訝しげなユタを横目でちらりと見て、次いでルスランの硬い表情をわずかに一瞥し、口角を微かに歪めたままのファウンドルフへと再び視線を戻してから、おもむろに口を開いた。
「《スタージアン》と《繋がる》のは、今日なのね」
その言葉の意味をユタが理解するよりも速く、ルスランの水色の瞳がファウンドルフに非難がましい視線を投じる。
「どういうことだ、ファウンドルフ。スタージアとのネットワーク接続は来週じゃなかったのか」
「あれからまたスケジュールが早まったのよ」
釈明ですらない言い訳を臆面もなく口にして、ファウンドルフの顔はいつしか神妙な面持ちを浮かべていた。
「もう間もなくだわ」
そう告げる彼女の顔には、ある種の覚悟を決めた者の表情がよぎったように見えた。
「あなたたちには《クロージアン》と《スタージアン》が結びつく歴史的な瞬間を目撃してもらおうと思って、それで今日このときまで待ってもらったの」
「趣味がいいとは言えないけど。じゃあそのときまで待たせてもらうわ」
既に知り得ていたであろうウールディは当然ながら驚くこともなく、そう言って心持ち瞼を伏せる。
「《スタージアン》と《繋がった》あなたなら、教えてくれるだろうから」
「思わせぶりね。何をそんなに知りたがっているの」
「私が知りたいのは、クロージアの航宙座標よ」
さらりと答えて、ウールディが今一度目を開く。
その視線の先では、ファウンドルフが席を蹴って立ち上がっていた。
「さっきから探らせてもらってたんだけど、あなたの脳には記憶されていないみたいだから、どうしたものか困ってたの」
ウールディが語るに連れて、ファウンドルフの表情からは直前の覚悟や余裕はとうに吹き飛んでいた。プラチナブロンドの下で青ざめた顔が、苦しげに問い質す。
「どういうつもりだ。まさかクロージアに手を出すつもりか」
「だとしても、あなたにはもうどうしようもないわ」
ウールディはことさら事務的に、突き放すように言い放つ。
常ならぬ彼女の振る舞いが、凜々しさと危うさの紙一重の緊張感を湛えて、生来の美貌を一際引き立てる。これほど緊迫した瞬間だというのに、ユタはウールディの横顔に思わず見入ってしまっていた。
だからこそ、その褐色のこめかみにうっすらと汗が滲んでいることに気がついた。
ウールディの態度は、彼女自身の迷いを強引にねじ伏せようとする、相当な無理の産物だ。
「クロージアに接触しようというのは《スタージアン》か、奴らは何を考えている!」
ファウンドルフの叫びに、ウールディは努めて冷静な声で告げた。
「それはあなたにも、もうすぐわかることよ」
♦
銀河連邦常任委員長ハイザッグ・オビヴィレの直接指揮の下で秘密裏に進められていた、テネヴェからスタージアまでの銀河ネットワーク基幹線が開通したのは、それからわずか三十分後のことであった。
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