第四章 惑える星々

第一話 狂騒(1)

 大小様々な建造物に埋め尽くされた街並みが、見る者の視界を圧倒する。


 まず目に入るのは、何本も屹立する高層ビルの群れだ。細い真っ直ぐな針のようなものから、いくつもの直径の異なる円筒を積み重ねたようなもの、何本もの直方体が無造作に束ね上げられたような形状のものから、昔ながらのシンプルな直方体のビル群まで、まるで競うように天に向けて聳え立っている。その間隙を縫うようにして多層の空中回廊が張り巡らされて、辺り一帯は巨大なひとつの有機物の如き様相を呈していた。


「おまけに地下まで何層も居住区が広がっているんでしょう。とんでもない規模ね」


 ウールディがユタに向かって漏らした感想は、やや正確ではない。

 彼らがたたずむ高層ホテルの足下に広がるのは、その全てが海上に浮かぶメガフロートである。地下というよりは端から人工物の上に、多くのビル群が林立しているというのが正しい。


 テネヴェの中心街区エクセランネ区は、かつてセランネ湾と呼ばれた海上をほとんど埋め尽くして、水産業の中心だった昔の街並みは見る影もない。エクセランネ区は拡充の度にメガフロートを海に向けて伸張させて、今や水平線を駆逐して地平線に塗り替えつつある。


「パイプ・ウェイだらけのデスタンザも大都市って感じだったけど、テネヴェはやっぱり桁が違うなあ」


 思わずそう呟いてから、ユタはその台詞がいかにも迂闊だったことに気がついた。慌ててウールディに目を向けると、窓の外に視線を注ぐ彼女の長い睫毛は、重たげに伏せられている。


「悪い。無神経だった」


 ユタの謝罪に対してウールディは振り返るでもなく、ただ無言で首を振った。


 サカや正統バララトに続いて、ついにエルトランザ領デスタンザまでが音信不通に陥ったという報せを、ふたりともルスランから受け取っていた。それはつまりデスタンザを支配するガーク家と、ガーク家に嫁いだベルタ・マドローゾもまた、連絡の取れない闇の中に囚われたということを意味している。


 ヴァネットを失い、ラセンとファナが囚われ、今またベルタまで同じように呑み込まれてしまったのだ。立て続けの凶報に打ちのめされて、ウールディが精神的に参ってしまったとしてもおかしくなはなかっただろう。


「それはユタも同じでしょう」


 ようやくユタを見たウールディは、心なしか面持ちが青ざめている。彼女の言葉にユタもまた口をつぐんだ。もしかすると自分の顔色はウールディ以上に悪いのかもしれない。自身も精神的に追い詰められていることは、ユタも自覚していた。


「でも今は踏みとどまっている場合じゃない。そうなんだろう?」


 そう言って声を絞り出すユタに、ウールディも頷きながら再び窓の外を見やる。


「うん。とにかく早く《クロージアン》に会わないと」


 スタージアを発ったふたりがまずトゥーランに立ち寄ったのは、自治領総督ラージ・ラハーンディに銀河ネットワークの敷設を促すためであった。


 ラセンが《オーグ》に《繋がり》、ファナも捕らえられ、あまつさえ長年ラセンを支え続けてきたヴァネットが命を落としたという事実を突きつけられて、ラージもついに《オーグ》による浸食を認めざるを得なかった。

 だが自治領総督という立場からすれば、自治領がそれ以外の連邦加盟国と完全にネットワークで結びつけられることについて、慎重にならざるを得ない。

 自治領内のネットワークの完備を終えて後、領外のミッダルトとのネットワークを開通させるという手順は、ラージにしてみればぎりぎりの妥協案であった。


「本当はミッダルト=トゥーラン間のネットワークの運営権を自治領が確保する見通しが立つまで、開通させるつもりはなかったのよ」


 ウールディはラージの真の狙いをそう説明した。


「そのためにルスランが常任委員会で頑張ってたらしいけど……」

「今はもう、それどころじゃないだろうな」


 窓ガラスに手を当てるウールディの横に立って、ユタも同じように眼下の光景に目を向けた。林立するビル群の合間に幾層にも張り巡らせられた空中回廊の一部にはそれなりの、おそらく数千人規模の群衆がひしめき合っている。


 テネヴェのみならず銀河連邦の政治の中心であるこのエクセランネ区では通常、行き交う人々といえばビジネスライクな装いが大半を占める。だがユタが見下ろす先の集団にはそういった人々以外にも、学生と覚しき若者などの人影も多く混じっているように見受けられた。

 集団はめいめいに声を張り上げたり拳を突き上げたりしながら、ゆっくりと行進していく。その先にあるのはエクセランネ区の象徴のひとつである、銀河連邦常任委員会ビルであった。


「なんでまたよりによって、常任委員長への抗議デモとかと鉢合わせるかなあ」


 苛立たしげな口調でそう零しながら、ユタが短髪の頭を掻き毟る。


 ウールディとユタがテネヴェに降り立ったのと、世間に銀河連邦常任委員長ハイザッグ・オビヴィレへの反発が渦巻き始めたのは、ほぼ同時期のことである。


「だいたいどうして常任委員長へのデモなんかが起きてるんだ?」

「私もよくわかんないけど、あの人たちは独裁者とか暴君とかって非難してるみたい」


 ウールディ自身がテネヴェの政情に詳しいわけではないから、彼女の感想がその程度なのも無理からぬことであった。周囲の人々の思念を拾うことが出来るといっても、整理して彼女の中で理解出来なければ、それは単なる雑音の群れに過ぎない。かといって報道から情報を集めようとしても、デモの様子を伝えるニュースが流れることは全くないのだ。


「報道管制が敷かれてるのかな」

「というよりも《クロージアン》が抑え込んでるんじゃないか」


 ふたりともある程度推測することは可能だったが、だからといってこの状況が打破出来るというわけではなかった。問題なのはデモそのものよりも、その原因とされる常任委員会そのものが混乱しているらしいことなのだ。


「ルスランとはまだ会えないのかな」

「そうだな。余裕が出来たら連絡くれるとは言ってたけど」


 ふたりがテネヴェ入りして既に一週間近くが経つというのに、未だにルスランへの面会はかなっていない。常任委員会や評議会の混乱を受けて、その中枢にいるルスランは不眠不休の日々を送っているという。彼がそう言うのだから、相当に多忙なのであろう。


「こんなとこで足止め食っているわけにいかないのに」


 青ざめたままのウールディが、口元に当てた親指の爪を噛む。焦りを滲ませる彼女の横顔に何か声を掛けようとして、ユタは適当な言葉を思いつかずに口をつぐんだ。


《クロージアン》に会わなければいけないその真の理由を、ユタはまだ彼女から聞いていない。


 トゥーランへ、そしてその後にテネヴェへ向かうよう指示したのは、《スタージアン》の博物院長フォンである。トゥーランに立ち寄る目的がラージの説得であることは、事前に聞いた。しかしここテネヴェで《クロージアン》と会うその目的について、ウールディは未だに語ろうとはしない。


《スタージアン》からなんらかの大事を、彼女が託されたのだということはわかる。だがその内容を分かち合うことが出来ないのが、ユタにはどうしようもなくもどかしい。そんな彼の葛藤を彼女はとうに見抜いているはずなのに、その上で何も打ち明けられないというなら、なおさらだ。


 ウールディが自分から話すまで待つしかない。


 そう自分に言い聞かせながらも、ユタは側にいることしか出来ない自分の非力さが情けなく思えて、どうしようもなくなるのだ。

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