第三話 血族の呪縛(3)

 テーブルの上に黒い液体をぶちまけそうになるところを寸前で防ぎながら、ルスランは驚愕の目つきで常任委員長の顔を見返した。


「その、それは、男女の仲になったとか、そういう意味では……」


 あえて下世話な邪推を口にしながら、そんなわけはないということはルスランにも察しはついた。彼が言葉にしたのは、そうであった方がよほどという、ただの願望に過ぎない。


「ファウンドルフ女史が魅力的なのは誰もが認めるところだろうがね。残念ながらそういうわけではない」


 オビヴィレは苦笑を浮かべながら、そう言って首を振った。


「君には知っておいてもらわなければならないと思って、声を掛けたわけだ」

「……いったい全体、どういう理由で?」


 これまで《クロージアン》は官僚機構を中心に連邦の要所を抑えつつも、政治家そのものに《繋がろ》うとはしなかった。連邦評議会議員は年に一度故郷に戻るのが常であるため、テネヴェから離れることの出来ない《クロージアン》が《繋がる》対象にはなり得ないから――そうルスランは理解していた。


「そうも言ってられなくなったんだよ。《クロージアン》が私と《繋がった》のは、あくまで緊急手段だ」

「緊急手段?」

「そう、先ほど君が不機嫌だった理由とも関係ある。君はあれだ、スレヴィア方面に軍を出す件が評議会に諮られなかったこと、それが不満なんだろう」


 口角をわずかに上げたオビヴィレに上目遣いで見返されて、ルスランは思わず唇を引き結んだ。


「私がその話を聞いたのは一ヶ月以上前のことです。なのに未だに評議会でも常任委員会でも議題に上ることがない。にしては、随分と動きが鈍い」


 スレヴィアに隣接するエルトランザ領デスタンザ方面で、エルトランザ軍の活発な動きが見える。ファウンドルフからその話を聞いて以来、ルスランの胸中は穏やかではいられなかった。

 スレヴィアで消息を絶ったラセンたちとは、未だ連絡がつかない。そのスレヴィア近辺が不穏なままであることは、ルスランには看過出来ない事態なのだ。


 彼の内心を知ってか知らずか、オビヴィレはテーブルの上に片肘を突きながら上半身を乗り出して、心持ち小声で囁きかけた。


「先日、エルトランザの首脳からちょっとした報せが届いた」

「エルトランザから?」

「デスタンザが音信不通になったらしい」


 オビヴィレが何気ない口調で告げたその一言は、ルスランの目を見開かせるのに十分であった。


「デスタンザがそんな事態に陥ったとして、スレヴィアが気づかないはずがない」

「ところがスレヴィアからはなんの報告もないんだ。それ以外は至って平常運転だというのにね」


 ふうと小さく息を吐き出して、オビヴィレが前のめりになった上体を再び起こす。そのままテーブルの上に乗せた両手を組みながら、悲痛な面持ちで頭を振る常任委員長の仕草は、いかにも芝居がかって見えた。


「いよいよエルトランザまで《オーグ》の浸食が及んだということだろう。だとするとこの期に及んで、常任委員会や評議会にいちいち諮っている余裕はない」


 組んだ両手の指先を立てたり折り畳んだりを繰り返しながら、オビヴィレは胸の奥から大きく息を吐き出す。


「というわけでだ。ハイザッグ・オビヴィレは以後、銀河連邦史上最も強圧的な常任委員長にならざるを得なくなった」


 心底不本意だという声音で、オビヴィレは黒々とした顔を残念そうに振った。そこまで大袈裟に振る舞われて、ルスランはようやく常任委員長の、《クロージアン》の真意を察することが出来た。


「まさか……」

「既に連邦軍には、スレヴィア方面に向けた一個艦隊の出撃を命じている。同時に銀河ネットワークの施工日程も、大幅に前倒しするよう航宙局に働きかけている。いずれも安全保障局長や航宙局長を跳び越えて、常任委員長名義での指示だ」

「そんな無茶が許されると思っているのか!」


 敬語を使う余裕も失って、ルスランは怒気を孕んだ声を上げた。だが彼は、《クロージアン》にはそれが可能であることもよくわかっている。


 外縁星系開発局を除く、航宙・通商・安全保障・財務の局次長以下の人材は、その大半が《クロージアン》に《繋がって》いる。評議会や常任委員会の思惑がどうであろうと、その手足に当たる官僚機構を掌握している《クロージアン》は、いざとなれば連邦を思いのままに操ることが出来るのだ。


「しばらくは常任委員長の名の下に、多少の無茶も押し通してみせるよ」

「だからといって評議会が見過ごし続けるわけがない。一年もしないうちに常任委員長解任の動議が提出されるぞ」

「一年保てば十分だ。それだけあれば準備も整うだろう」


 涼しげな表情で言い放つオビヴィレに、ルスランは厳しい視線を向けた。


「なぜそんなに事を急く? 《オーグ》に抗するため、《スタージアン》の言う通りに銀河ネットワークの敷設を早めようというのか。《スタージアン》の言い分については《クロージアン》も懐疑的だっただろう」

「それがね。実はエルトランザ以外からももうひとつ、こちらはファウンドルフ事務局長宛の連絡船通信を受け取っている」


 そう言うとオビヴィレは上着の懐から端末棒ステッキを取り出して、テーブルの上に置くと同時にホログラム・スクリーンを立ち上げた。透過性の画面に映し出されたのは穏やかな面持ちの、取り立てて特徴のない中年男だったが、同時に彼は銀河系でも最も有名な人物でもあった。


「博物院長から?」


 その人物がスタージア博物院長ジュアン・フォンだと認めて、ルスランは細い眉をひそめた。


《スタージアン》と《クロージアン》の間で交わされるべきやり取りは、漏洩の可能性がある連絡船通信は使えない。そんな両者の間を取りなすためにシャレイド・ラハーンディはメッセンジャーを任じられたのであり、彼の子孫も営々とその役割を果たし続けてきたのだ。たとえ《スタージアン》ではない、博物院長という公式の立場だとしても、銀河連邦の事務局長宛に連絡船通信が発せられるのは極めて異例である。


 不審げに眉根を寄せるルスランに向けられたホログラム・スクリーンの中で、人好きのする笑みを浮かべながら、フォンはおもむろに口を開いた。


「《スタージアン》のジュアン・フォンより、《クロージアン》のカーリーン・ファウンドルフに申し上げる」


 博物院長の開口一番の台詞を耳にして、ルスランは唖然とするしかなかった。


「我々も最初は耳を疑ったよ」


 大きく目を見開いたルスランの表情にしたり顔で同意しながら、オビヴィレが言う。


「フォンは連絡船通信で《スタージアン》を名乗り、ファウンドルフを《クロージアン》と呼んだんだ」

「もしや、《スタージアン》は世間に正体を明かすつもりなのか」

「というよりも、事態はそれほど切迫しているのだということを伝えたかったのだろう」


 ホログラム・スクリーン上で透けて見えるフォンの伝言は一言で言えば、銀河ネットワークの至急の整備を促すものであった。評議会でランプレーはネットワークの完備に三年という目標を掲げたが、フォンは年内にも完成させるべきだと、至って穏やかな口調ながらはっきりと明言していた。


「自治領には別途、総督の娘を派遣して説得に当たらせています。後ほど彼らはテネヴェを訪ねるはずですから、その折には丁重にもてなしてあげてください」


 フォンは終始柔和な表情を崩すことなくそう言い終えると、間もなくホログラム・スクリーンの中から姿を消した。やがてスクリーンそのものが端末棒ステッキの中に畳み込まれるように掻き消えてからも、ルスランにはすぐに発すべき言葉が思い浮かばない。


「自治領内のネットワーク敷設が順調ということは、君の妹さんの説得は上手くいったということかな。後は今少しペースを早めてもらえるよう、君からもう一押しを頼みたい」


 オビヴィレはこめかみを掻きながら無言のルスランに一瞥をくれたが、反応が得られないとわかって再び口を開く。


「まさか《スタージアン》がラハーンディ一族を介さずに、こんなにも形振り構わないメッセージを送り届けてくるとは思わなかったよ。こうなると我々《クロージアン》も、《オーグ》の脅威について真剣に検討せざるを得ない」


《スタージアン》がその存在を白日の下に晒す危険と引き替えに、連絡船通信を送りつけてくるという行為そのものが、実は《クロージアン》への一種の脅迫でもあった。彼らは自身だけでなく、《クロージアン》の正体も暴露する可能性を仄めかしたに等しい。銀河連邦という巨大な組織とほとんど一体化した《クロージアン》は、その存在が知れた場合にはある意味《スタージアン》以上の混乱を招くだろう。


 ルスランの驚愕以上に《クロージアン》が危機感を募らせたのは、無理からぬことであった。


「元々銀河ネットワークの完備自体は、我々も推し進めるところだ。《スタージアン》のリクエストに応じた工期の前倒し自体には異論はない。ただそのためには、多少の無茶が必要になる」


 そこで大袈裟に肩をすくめた常任委員長は、同時に大きなため息をついてみせた。


「結果、この哀れなハイザッグ・オビヴィレに白羽の矢が立ったというわけだ。全く酷い話だよ。無難に任期をこなして、後は悠々と余生を楽しもうと思っていた私に、暴君のような真似をさせようとは」

「……確かに無茶をやり尽くした元・常任委員長なんて、故郷にも戻れないだろうな」


 ようやくルスランが口に出来たのは、ハイザッグ・オビヴィレ個人の行く末への同情が精一杯であった。それどころか《クロージアン》に《繋がって》しまったというなら、そもそもテネヴェから離れることも出来ないはずである。


 だがオビヴィレはそこで、意外な相談を持ちかけてきた。


「そうなったら、私や家族の面倒を自治領で見てくれないか」

「自治領で? しかし……」

「事が成った暁には、《クロージアン》は私との《繋がり》を解くつもりでいる」


 オビヴィレの意外な告白に、ルスランは今日何度目となるかわからない驚きを、その水色の瞳に浮かべる。


「そんなことが出来るのか」

「知らなかったかい? 《繋がって》いた期間と同じだけの時間を費やせば、《繋がり》は解くことが出来るんだよ。それは《クロージアン》も《スタージアン》も同様だ」


 フォンが一年以内の銀河ネットワーク完備を求めるのであれば、オビヴィレと《クロージアン》の《繋がり》が必要な期間は長くとも二年足らずだろう。その後オビヴィレとの《繋がり》を解除するのは、それほど難しい話ではない。


「かつて十年《繋がって》いた《クロージアン》を、さらに十年かけて解除したこともある。どう考えても悪名が轟くことになる私がテネヴェに止まり続けるのは、いくらなんでも不自然だろう?」


 呆気にとられるルスランに向かって、オビヴィレはそう言って片目をつむった。


「もっとも誰しも《繋がり》を解けるわけではないがね。たとえば君もよく知るカーリーン・ファウンドルフ、彼女の《繋がり》を解くのは不可能なんだ」


 あの妖艶な事務局長の名が例に挙げられて、ルスランがその理由を目で尋ねる。


「ファウンドルフは母親が《クロージアン》でね。言わば生粋の《クロージアン》なんだよ」


 その説明だけでは理解が及ばないという顔つきのルスランに向かって、オビヴィレはさらに一言をつけ加えた。


「彼女は生まれたときから《繋がった》状態しか知らない。生まれながらの《クロージアン》は、《繋がり》を解かれると生きていけないのさ」

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