第六話 脅威の兆候(2)

 常任委員会の採決を受けて、銀河連邦評議会は銀河ネットワーク計画の続行と、計画遂行を目的とした公債の発行を決定した。既に実施に向けて準備万端だった銀河ネットワーク計画は、評議会の決議を機に一気に実現への動きが加速する。自律型通信施設レインドロップの大量生産計画の立ち上げとネットワーク開通試験は、並行して進められた。


 試験宙域に選ばれたのはタラベルソと隣接星系スレヴィアを結ぶ宙域である。このふたつの星系間には無人星系が存在せず、単純に距離が短くて済むこと。そしてタラベルソをネットワーク接続の第一号とすることに、計画推進委員長のランプレーがこだわったこと。試験宙域の選定理由は以上だったが、タラベルソはそもそも計画の発端となる大途絶グランダウンが生じた星ということもあり、そのタラベルソを第一号とすることには十分意義が認められて、反対する者はいなかった。


 トゥーランに滞在していたラセンたち一行が、自治領総督ラージに呼び出されて次なる行き先を命じられたのは、ネットワーク開通試験実施の一ヶ月ほど前のことである。


「スレヴィアで試験の様子を視察してこい、とのお達しだ」


 例によってラージとの一対一の面会を終えたラセンは、シャトル発着場で待機していたファナとヴァネットに会うなりそう告げた。


「開通試験の視察って……自治領からはちゃんと公式な視察団が出るんでしょう?」


 不思議そうな顔で尋ねるヴァネットに、ラセンは相変わらず無愛想な口調で答える。


「俺たちには公式じゃないところを見て回って、粗を探してこいってことだろう。親父は元々、銀河ネットワーク計画に乗り気じゃないからな」

「前から思ってたんだけど、総督はなんでそんなに嫌がるの。本当にネットワークが使えるなら、めちゃくちゃ便利だと思うんだけど」


 素朴な疑問を口にしたファナに対して、彼女の隣席に巨体を下ろしたラセンの回答は、いつにも増して声が低い。


「ネットワークそのものの価値は親父も認めている。親父が嫌っているのは、ネットワークを通じて《クロージアン》の監視の目が自治領内にまで及ぶことさ」

「なるほどねえ」


 ラセンの回答そのものだけでなく、声量を抑えて答えるラセンの態度にも納得がいって、ファナも我知らず小声で頷いた。《クロージアン》という単語は、他人に聞かれて良いものではない。周囲に多くの人々が行き交うシャトル発着場では、あまり口にしにくい話題である。


「そういうことならさっさと宇宙船ふねに乗り込んじゃおうか。こんなところでおおっぴらに話せることでもなさそうだし」


 ヴァネットの言葉に従って早々にシャトル発着場を発った三人は、十二時間後にはもう彼らの宇宙船への搭乗を済ませていた。


 三人が乗る宇宙船は貨物用として船籍登録されているが、その割には貨物室カーゴルームはそれほど大きくない。代わりに推進機関のパワーを高めた、スピード重視の設計となっている。


「どうせ積荷を抱えてもまともに商売出来た試しがないし。いっそ足回りを強化しましょう」


 去年オーバーホールする際、ヴァネットの提案によって思い切った改修が施された宇宙船は、従来の貨物室カーゴルームが半分に縮小されてその分を高出力高燃費の最新型エンジンと、ささやかながら生活用スペースに割り当てられた。ほとんど一本柱状の基本フレームに、様々なユニットを連結するシンプルな構造の貨物宇宙船ならではの、改修というよりも改造である。


 出航準備をひととおり終えて、三人は艦橋ブリッジ――実際には定員四名が限界の操縦室の中で待機していた。トゥーラン宇宙港はことのほか混み合っていて、彼らの出航時間までにはさらに二時間以上の余裕がある。


「総督が銀河ネットワーク計画にいい顔してないのは聞いたけど、常任委員会は満場一致で計画続行を決めたんでしょう。てことはルスランも賛成したんだよね?」

「あいつがただで賛成するわけないだろう」


 リビングで逆さまに浮かんだファナのショートカットがふわりと広がって、ちょうどエメラルドグリーンのメッシュの入った髪先を、ラセンは太い指で弾きながら答えた。


「あいつはランプレーにエルトランザとの密約を破棄させるだけじゃなく、自治領内のネットワーク運用権を総督府に移管する段取りまでつけてきたらしい」

「ははあ、ルスランもすっかり政治家らしくなったねえ」


 機体の最終チェックのために、端末棒ステッキから引き出したホログラム・スクリーン上に指を走らせながら、ヴァネットが感心した声を上げる。


「私たちと会うときは全然そんな素振り見せないのに」

「十年近くテネヴェの海千山千に揉まれれば、さすがに鍛えられるんだろ」


 ドリンクボトルのチューブを咥えながら、操縦席に巨体を埋めていたラセンは、面白くなさそうに呟いた。


「だから親父も計画の続行に文句を言わなかった。自治領と第一世代の間に敷設されるネットワークはミッダルト=トゥーラン間に絞って、いつでも遮断出来るようにするとか、多分そんなことを考えているんだろう」

「偉い人の考えることはよくわかんないなあ」


 ファナは頭の後ろで腕を組みながら、臍の辺りを軸にしてぐるりと回転して、ラセンの視界の中でちょうど寝そべるような格好になった。見るからに悠長な彼女の姿に、ラセンが厳しい目を向ける。


「くるくる回ってないで、お前は航法スケジュールはちゃんと確認したんだろうな。この前みたいに推進剤を空にするような真似したら、今度こそ宇宙船ふねからほっぽり出すぞ」

「大丈夫、大丈夫。スレヴィアまでなら補給無しで十分お釣りが来るよ。最悪でも途中の補給ステーションはちゃんと抑えてあるから」

「馬鹿野郎、最初から補給するつもりでスケジュール組むんじゃねえ。お前が航法管理するようになってから、推進剤のコストが二割増しなんだよ」


 ラセンにしかめ面で怒鳴られて、ファナは両耳を塞ぎながら肩をすくめる。そこにヴァネットの堪えきれない笑声が割り込んだ。


「ラセンが推進剤をケチるようになるなんて、昔のあんたからは考えられないね」


 ヴァネットに指摘されて、ラセンが憮然とした顔で反論する。


「この宇宙船ふねの改修にいくらかかったと思ってんだ。今回の調査費を前借りしただけじゃとても足りねえんだぞ」 

「ファナが加わるまでは、私があんたにそういうこと言ってたのに。ようやく船長の自覚が出てくれたようで感無量だね」

「うるせえ。余計なこと言ってる暇があったら仕事しろ」


 自身は操縦席でただ漫然としているだけということを棚に上げて、ラセンはそう言って分厚い唇を不機嫌そうに曲げた。もっともヴァネットは冷やかすような視線を横目で送ることをやめようともしない。


 このふたりが長年培ってきた信頼関係がもたらす馴れ合いを見るのが、ファナは好きだった。


 ラセンとヴァネットの関係は、“パートナー”と呼ぶのが最もしっくりと来る。家族であり、仲間であり、もしかしたら恋人や夫婦という意味も含むのだろう。

 同時に嫉妬が湧かないと言えば嘘になる。ふたりの間にどうやっても割り込むことの出来ない絆を、ここ数年ファナは常に目の当たりにしてきた。


(いい加減ほかの宇宙船ふねに移る時期だろう、ファナ)


 彼女の心の動きに反応するかのように、スタージアにいるはずのユタの思念が囁きかける。


(なんだったらベルタやリオーレに頼んでもいい。きっとマドローゾの宇宙船ふねに乗せてくれる)

(そんなことわかってるってば)


 ファナはユタの言葉を振り払うように頭を振った。


(私だって、そろそろこの宇宙船ふねを降りるべきかなって思ってるよ)


 ラセンは決して、自分の想いを受け止めるつもりはない。どんなにファナが好意を表したとしても、彼が示すのはあくまで同じ宇宙船ふね乗員クルーとして、そして保護者としてだ。仲間として、家族として認めてくれる一方で、異性として見るつもりはまるでゼロだ。

 端から相手にされていないことはわかっているつもりだったが、そろそろ自分自身の中でも整理しなくてはいけない。ユタに言われるまでもなくファナ自身が何度もそう考えたことだ。ただ、だからといって長年の想いに踏ん切りをつけるのは、勇気が要る――


 宇宙港の管制から出航順の到来が告げられたのは、ファナが想いを巡らせている最中のことであった。


『トゥーラン宇宙港湾管制より船籍№JDUG-〇〇九八〇二四三ー二五四、登録名『バスタード号』、申請に基づく出航予定時刻三千秒前となりました。出航準備をよろしくお願いします』

「こちらJDUG-〇〇九八〇二四三ー二五四『バスタード号』、待ちくたびれたぜ。出港準備はとっくに済んでる。あとはお前さんからの出港航路フェアウェイ設定の指示待ちだ」


 管制への返答がぞんざいなのはラセンに限った話ではない。個人経営の貨物宇宙船乗りは昔から、多かれ少なかれ似たようなものだ。


 ラセンが管制と確認事項の交信を交わす後ろで、シートに着席したファナが小声で隣りのヴァネットに尋ねた。


「ねえ、今さらなんだけど。『バスタードクソッタレ号』って名前、どうにかならなかったの?」


 するとヴァネットは「ああ」と一言口にしたかと思うと、目の前の操縦席の背中に視線を向けながら答えた。


「この宇宙船ふね、成人祝いにラセンが総督から贈られたものなのよ。あいつはほら、総督に対してあの通りでしょう。でも喉から手が出る程欲しい宇宙船を撥ねつけることも出来なくて、思わず口に出た言葉をそのまま船名にしたの」

「おい、ファナ、もうすぐ管制の航路確認来るぞ!」


 ラセンに怒鳴られてファナは「はーい」という間延びした返事と共に、航路が表示された据え付けのモニタ画面に目を向けた。管制が確認のために読み上げる予定航路を宇宙船から復唱するのは、航法オペレーターに任じられたファナの役目である。


 そういえば管制のアナウンスが船内通信だけであることに気がついて、ふと耳朶に触れる。案の定オフのままだった通信端末イヤーカフを、慌ててオンに入れた。どうやらラセンもヴァネットも気がついてないことに、内心で安堵する。


 この歳になっても通信端末イヤーカフの切り替えを忘れがちなのは、ファナの悪い癖だった。養護施設にいた頃から、通信端末イヤーカフをつけ忘れたままの状態を、よく職員に怒られたものだ。


(いくつになっても通信端末いらずアンチカフは健在だな)


 ユタの茶々にむっとして、ファナが無言で《繋がり》を“閉じる”。


 出航希望時刻から大幅に遅れて、貨物用小型宇宙船『バスタード号』がトゥーラン宇宙港から飛び出したのは、それからおよそ二千四百秒後のことであった。

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