第四話 ウールディはお姉さん(3)

 ウールディが中等院に再び通うようになって、周囲が態度を急変させたとか、あるいは打ち解けたとかといえば、そんなことはない。

 彼女の精神感応力は恐れられたままだったし、級友が遠巻きである日々も相変わらずであった。彼女と接する導師の態度までよそよそしいのは、辟易するしかない。


 変わったのは、ウールディ自身の内面である。


 ラセンやヴァネットも揃って七人で食卓を囲んだあの夜、ウールディはルスランに誘われてふたりきりで話す機会があった。


「ウールディ、君ほどじゃないかもしれないけど、僕も中等院じゃ結構煙たがれていたもんだ」


 ルスランが語ったのは、自身の中等院時代の経験であった。


「僕の頭の中をよく覗いてごらん。ラハーンディ家の跡継ぎってだけで、みんな僕のことを腫れ物でも扱うように接するんだ。馴れ馴れしく近寄ってくるのは僕のことを利用しようって奴ばかりで、うんざりしたものさ」

「でも、中等院にはちゃんと通ってたんでしょう」

「父さんがあれだからね。引きこもろうと思っても、力ずくで通わされたよ」


 そう言って大袈裟に肩をすくめたルスランは、ウールディの顔が不安げなままであることに気がついて、すぐに微笑を返してみせた。


「それに、父さんに言われたんだよ。『そんな情けないことで、“兄”として恥ずかしくないのか』ってね」


 ルスランの顔には、苦笑するしかないといった表情が浮かんでいた。


「何言ってんだと思ったよ。だってその頃はまだ、僕にはウールディっていう“妹”がいることを知らなかったんだから!」

「……お父様って時々とんでもないよね。どっちかっていうとラセンの方がお父様によく似てる」

「間違いないね。あの図体も中身も、父さんの血が濃いのはラセンの方だよ」


 ふたりして頷き合いながら、やがてルスランは優しい表情をたたえたまま、“妹”の顔を正面から見返した。


「君と初めて会ったのは、そのすぐ後のことさ。覚えてるかな? まだ君は歩けるようになったばかりで、僕の顔を見るとぱーっと笑ってた」

「そうだったっけ、さすがに覚えてないかも」

「一緒にいたラセンのことは怖がって、近づくと大泣きしてたんだ。あいつ、帰り道で結構傷ついた顔してたよ」

「あー、それはそうだろうねえ」


 くすりと笑みを漏らすウールディに、ルスランは少しだけ真顔になって告げた。


「僕が中等院でもやっていけるようになったのは、ウールディと会えたからなんだ」


 ウールディを見つめる水色の瞳に、嘘はない。初めて会ったときから、ルスランは自分に対して嘘などついたことはないし、目の前にいる彼も出会ったときそのままだ。“兄”の真摯な言葉に、ウールディは無言で耳を傾ける。


「こんなちっちゃくて可愛い“妹”がいるんだから、僕は“お兄さん”なんだから、もっとしっかりしなくちゃってね」

「“お兄さん”なんだから、しっかり……」

「そう思って通っていたら、あんまり周りのことが気にならなくなった。ウールディ、君と会ったときに恥ずかしくない“兄”でいられるようにと思うことで、僕は中等院での生活を乗り越えることが出来たんだ」


 ルスランの言葉と思念は、ウールディの精神感応力で探っても完全に一致していた。彼が疎外感を感じていた中等院での日々を、ウールディの存在を糧にして過ごすことが出来たのだということは、彼女にとって初めて知る事実であった。


「そんな風に過ごしているとね、どういうわけか自然と友達も出来るようになった。さっき言ったみたいな、擦り寄ってくるような輩じゃない。中等院を卒業した今でも親交のある、大切な友達だよ」


 ウールディの頭の上、ちょうど長い黒髪を結わいた辺りにぽんと手を置いて、ルスランは再び優しい笑みを浮かべる。


「ウールディは人の心が読める分、僕なんかよりもっと大変なんだろうな。でも、ウールディにも大事な妹と弟が出来たんだろう?」

「……うん」


 ファナとユタの顔を思い浮かべて、ウールディは小さく頷いた。


「彼らは大きく環境が変わったばかりで、身近で頼れる同年代といえばウールディだけだ。それに来年には中等院に上がる。そのときにふたりのお姉さんとして、それに中等院の先輩として、胸を張って迎えたいと思わないか?」

「……うん!」


 今度は大きく、力強く頷き返したウールディの頭から、ルスランはそっと手を離した。


「じゃあ、ふたりのことをよろしく頼むよ。ウールディに任せられるなら僕も安心だし、それにきっとラセンもね」

「ラセンが?」

「一応あれでもふたりの“お義父とうさん”だし。ああ、でもそうするとウールディはファナとユタのお姉さんじゃなくて、叔母さんてことになるんだったな」

「お姉さんでいいの!」


 ルスランとの会話は、中等院での出来事を前にして足踏みしていたウールディに、前を向かせる契機となった。

 ファナとユタに対する姉として、そしてラセンやルスランからの信頼を得たのだから、鬱屈としている場合ではない。彼女が再び中等院に足を向けるようになったのは、そんな想いに突き動かされてのことであった。


 距離を置かれる日々を、毅然とした態度で過ごし続けること。思春期の只中にある少女にとっては、いくら覚悟したこととはいっても並大抵のことではない。だがウールディはその後も弱音を吐くことはなく、むしろ颯爽とした空気すらまとわせながら、中等院に通い続けた。やがてルスランがテネヴェに赴任することになって、ラセンとヴァネットの訪問の間隔が不定期となっても、通学をやめることはなかった。


 院内での立ち位置が、周囲から避けられる存在から、いつの間にか近寄りがたい高みへと変化している――そのことに彼女自身が気づいたのは、間もなく二回生へと進級する時期である。


(大勢の人が集まる場所だと、最初は色んな人の思念がうるさくて仕方ないでしょうけど、そのうち気にならなくなるわよ)


 中等院に進学する際に告げられた母の言葉に、最初は半信半疑だったウールディも、一年もすれば多くの思念に取り囲まれても意識しない術を学んでいた。


 遠巻きにされたままなのは変わりないが、彼女自身に向けられた思念を無意識に受け流すだけでも、心理的な負担は格段に減る。読心者が大勢の人の中で過ごすに当たって、必ず習得しなければならない心得なのだということは、改めて母から説明された。だからこそ母はウールディが無理を押して中等院に通うことを止めなかったのだ。


 ただお陰で、自身を取り巻く雰囲気が明らかに変化していることに気がつくのに、少々時間がかかってしまった。


「なんかウールディって、みんなに避けられているっていうよりは、女王様って感じだよね」

「なによ、それ」

「だってほら、男子も女子も、さっきからウールディのことちらちら見てる人が、いったい何人いると思ってるの」

「勘弁してよ」


 ウールディがそれまで薄々と肌で感じ取っていた変化を確信出来たのは、一回生として入学したファナに指摘されたときであった。


「新入生の間じゃ、あの美人は誰だって話題になってるよ、ウールディ」


 そう言ってファナは、短い黒髪を揺らして笑った。


 ウールディの家を訪れたときには背中まで届きそうだったファナの髪は、中等院に進学するに当たってばっさりと肩までの長さに切り揃えられていた。「ジャランデールはタラベルソに比べて暑い」と散々口にしていたファナだが、思い切った真似をしたのは彼女だけではない。


「どいつもこいつもわかってねえよな。いくら見かけが良くっても、肝心なのは中身だってのに」


 ファナどころではない、ほとんど剃髪と見紛う短髪の頭を掻きながら、ユタがぼやいた。彼もまた「暑い」という理由で、中等院に上がると同時にぼさぼさだった髪の毛を、掌を置けば指の間から覗く程度の長さにまで刈り込んでしまっている。


「家の中じゃしょっちゅう走り回って、シャーラに叱られてばっかりだってのに。中等院じゃどんだけ猫被ってるんだか……」


 ユタの台詞は、頭上に振り下ろされたウールディの握り拳によって中断された。


「レイハネに追っかけられて駆けずり回っているのはあなたでしょ」

「あれはお前がけしかけてるんだろ!」


 頭を抑えて文句を言うユタの顔を、冷ややかに見返していたウールディは、やがてふっと笑顔を浮かべた。


「ありがとうね、ふたりとも」


 そう口にするウールディの顔には、率直な感謝の念が浮かんでいた。

 去年までは中等院にいる間、無理矢理に胸を反らせて肩肘をいからせてばかりいたが、もはやそんな必要はないのだ。


「ウールディ……」

「こんな風に馬鹿みたいな会話をするの、中等院では久しぶり。ファナとユタが来てくれて、本当に嬉しい」

「何言ってんだ、今さらだろ」


 ユタが顔を背けながら、ぶっきらぼうな口調で言い放った。その横顔にファナが白々しい視線を送る。


「何その言い方、ラセンの真似? 似合ってないなあ」

「うるせーな。お前こそ最近、ラセンに宇宙船ふねに乗せてくれってせがんでばかりじゃねーか。あんまりしつこいと嫌われるぞ」


 ユタが言う通り、先日久々にウールディ宅を訪れたラセンは、宇宙船搭乗を懇願するファナにほとほと辟易していた。ヴァネットに諭されて引き下がらなければ、ラセン自身が叱り飛ばしかねないところだったのである。


 ファナが宇宙船搭乗にこだわる理由が宇宙船への純然たる興味であれば、ラセンもそこまで拒絶しなかったかもしれない。だが実際には彼女のラセンへの強い思慕が動機であることは、ウールディでなくとも誰の目にも明らかだった。


宇宙船ふな乗りになるには勉強もそうだけど、体力も必要だよ。四回生のときに資格試験があるっていうけど、結構難関らしいし」


 ユタの言葉に不機嫌に頬を膨らませていたファナを、宥めるつもりでウールディが告げた台詞は、嘘ではなかった。だが同時にハードルの高さも示すことで現実を知るべきだという、そんな意図がなかったとは言い切れない。


「資格試験……そんなのあるんだ」

「それに合格すれば、もしかしたら研修生扱いで乗せてくれるかもね」


 それはあくまで軽い気持ちで口にした、適当な励ましのつもりであった。だが口にした瞬間、ファナにとってはとてつもなく決定的な言葉であったことをすぐ悟る。自身の横顔に注がれる、ユタの複雑な感情のこもった視線に気づくまでもない。


 ファナの宇宙船ふな乗りになる夢を具体化する、ウールディの一言は強力な後押しとなってしまったのである。

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