第五部 ハーヴェスト・レイン ~星暦九九〇年~

第一章 大途絶

第一話 脱出(1)

 肌にまとわりつくような、大気の粘りが気に障る。


 二十度前後の気温に乾燥した空気と、爽やかに感じて良いはずの気候なのに、一歩一歩足を踏み出すごとに指先、二の腕、足首などの身体からだのどこかしらに絡みついてくるを振り払わなければいけない、そんな錯覚に陥る。

 これではいちいち歩き出すのも億劫で仕方がない。


「タラベルソは一年ぶりだが、随分と雰囲気が変わっちまったなあ」


 繁華街をのろのろと歩きながらそう呟いたのは、人混みから頭ひとつ飛び抜けるほどの巨躯に、黒地のローブを羽織った男だった。


 ごつごつとして血色の悪い肌は、荒野で吹き晒され続けた砂岩のようだ。やや面長の顔立ちに大きな黒い目と鼻、そしてこれも大きな分厚い唇が特徴的な、年の頃はおそらく青年と呼んで良い部類に入る。だが伸び放題で鳥の巣の如き黒髪が目元まで隠し、厳つい顎先は無精髭がまばらに覆う。少なからず威圧的な風体でのそりと歩みを進める彼の姿は、雑多な人が押し寄せる繁華街でなければ注目を集めたに違いない。


「どいつもこいつも同じ顔に見えるのは、どういうわけだ」


 絡みつくような髪の毛を掻き毟りながら、男はため息混じりに独りごちた。


 大小様々な建物が雑多に入り乱れる街並み、耳を塞いでも飛び込んでくる喧噪、そして街中を行き交う人々の忙しない、だが活気溢れる表情。いずれも彼が去年この星を訪れたときと変わりはない。


 だが男の肌感覚は、違和感を覚えずにはいられない。その感覚は彼が歩みを進めるにつれていや増していく。


 彼と擦れ違う、もしくは追い越していく、人々の顔のひとつひとつが、しばしば似たり寄ったりに見える。老若男女が溢れかえるこの街でそんなはずはないのだが、どういうわけか男には見分け辛い。


 まるでこの街の住民たちが、示し合わせて同じ仮面を被っているかのようだ。


 貨物専用であるタラベルソ第一宇宙港に寄港して、年代物の軌道エレベーターを伝って約四万キロ下、海上に浮かぶ発着駅に降り立ったときはまだ、そんな気配は感じられなかった。だが発着駅で乗り込んだオートライドがパイプ・ウェイを通じて中心街区に近づくにつれて、何か奇妙な感覚に囚われていく気はしたのだ。そのときは久々に地上に降りたせいだろうと気にも留めなかったのだが、こうして街中でも違和感が拭えないままでいる今、さすがにそうも言っていられない。


「ヴァネット、聞こえるか」


 繁華街を抜け出したところで足を止めた男が口を開くと、耳朶の通信端末イヤーカフを通じて元気な、おそらく男と同年配であろう女性の声が返事した。


「聞こえてるよ。サカへの渡航許可は下りたの?」

「いや。航宙局支部もサカの弁務官事務所も回ってみたが、無駄足だった」

「何やってんのよ。だから言ったでしょう、ちゃんと散髪して髭剃っとけって……」

「許可が下りねえのは、俺の人相のせいじゃねえよ」


 通信端末イヤーカフ越しの軽口に対して、男は不機嫌そうに反論した。


「そもそもサカとの連絡が途絶えてるそうだ。前々から怪しかったが、三日ほど前から完全に連絡が取れなくなったらしい」

「完全に?」


 女性の声が、軽い驚きと共に聞き返す。


「そいつは穏やかじゃないね。ここ数年は政情も安定していたはずだけどなあ。クーデターでもあった?」

「そんな噂、聞いたことねえんだけどな」


 道端の建物の壁に大きな図体を凭れかけさせながら、男は投げやりな口調で答えた。


「なんにせよ、引き返すしかねえ」


 男の下した結論に、通信端末イヤーカフからは不服そうな声が聞こえる。


「そんなこと言ったって積荷はどうすんのよ。連邦域内じゃろくな値がつかないよ」

「知るか。どうせ体裁を整えただけだ。なんなら親父に買い取らせる」

「あんた、いっつもそればっかりじゃない。まがりなりにも貿易商人名乗るなら、たまにはそれらしい仕事しなさいよ」


 女性のあからさまな呆れ声を、男は話半分に聞き流した。いつものことと言われるだけあって、男も彼女のその台詞は十分すぎるほど聞き飽きている。


「とにかくヴァネット、お前はいつでも宇宙船ふねを出航出来るように準備しといてくれ。サカの件を差っ引いても、この星からはさっさとおさらばしたい」

「はいはい」


 男の指示に対して応じる女性の声からは、彼女が肩をすくめているだろうことが容易に想像つく。

 必要なことを伝え終えて男が通信を終えようとした矢先、女性の声が念を押すように言った。


「それはいいけどあんた、ちゃんとウールディへのお土産買った?」

「あ」


 それまでのぶっきらぼうな口調から一転して、男は半開きになった厚い唇から間の抜けた声を発した。


「しまった、忘れてた……」

「やっぱり。その調子じゃ可愛い可愛い妹の、素敵なお兄ちゃんの座は、ルスランのもんだね」

「そいつは勘弁だ。またルスランに負けるわけにはいかねえよ」

「頑張って素敵な土産を見繕うんだね、ラセンお兄ちゃん」


 からかい気味の女性の声に見送られながら、ラセンと呼ばれた大男は大股で歩き出し、再び繁華街の中心へと引き返していった。

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