第五話 旅立ちのとき(2)【第四部最終話】

(いいえ、私は《オーグ》とは違う)


 誰に聞かせるでもない、自分自身に向かって語りかけるように、彼女は思考する。


(だってミゼールとスヴィと《繋がって》しまったら、ふたりとも宇宙へ飛び立てない。新天地までたどり着くことが出来ない。彼らは《繋がる》ことを望んでいない、私が一方的に《繋がり》たいだけだもの。彼らをスタージアに縛りつけるなんて、私だって嫌だ)

(そうだ、ジューン・カーダ)


 ジューンの独白に近い思考に反応したキンクァイナの言葉は、さながら正答した生徒を褒めそやすかのようであった。


(我々と《オーグ》の違いは、そこにある)


 それまで宇宙船の中を飛び回っていたジューンの思念は、いつの間にか博物院の一室に引き戻されていた。


 高い壁にぐるりを囲まれて、その一面には天井に高い位置に小窓があり、おそらくは夕刻の日差しが斜めに射し込んでいる。陽の光に端を照らし出された分厚い木製の長机を挟んで、ジューンとキンクァイナは向かい合う椅子にそれぞれ腰掛けていた。


「私たちと、《オーグ》の違い、ですか」


 思念の海から現実の世界に意識を移したのだから、きっと声を発するべきだろう。そう思ってジューンは、キンクァイナの言葉を口に出して繰り返した。

 キンクァイナもまた淡泊な表情のまま、声に出して彼女に応じる。


「そう。《オーグ》の元から放たれて、極小質量宙域ヴォイドを隔てた星系で誕生した我々は、果たして《オーグ》と《繋がり》たいと思うだろうか?」


 そう問いかけてくるキンクァイナの顔には、角度をつけたオレンジ色の陽光が半分だけ降りかかり、ただでさえ茫洋とした彼の表情をますます読み取りにくくさせている。

 そんな彼の顔に向かって、ジューンはきっぱりと言い切った。


「――思うわけがありません」


 ジューンの言葉に迷いはなかった。


 博物院生になり、精神感応的に《繋がれし者》になることと、もしかしたら矛盾するのもしれない。だが彼女の、いや全ての《繋がれし者》にとって、それは全く齟齬のない考えであった。


 例え彼女が《繋がれし者》となって、その中に埋没してしまったとしても、それは自らの選択による結果なのだ。《オーグ》というさらに大きな存在に否応もなく呑み込まれるのとは、全くわけが違う。

 ましてや《繋がらぬ者》――ミゼールやスヴィまで《オーグ》に差し出して良いはずがない。


「その通りだ。我々には我々自身で築いてきた歴史がある。それが例え、《オーグ》の手によってもたらされたものだとしても。《オーグ》の手を離れた世界で培われてきた“我々自身”を手放そうなどと、考えるはずもない」


 訥々と語るキンクァイナの言葉に変化はない。だが日差しの向こうから向けられる彼の視線は、いつの間にかはっきりとジューンの顔を見据えていた。


「《オーグ》がどれほどの科学水準にあるのか、我々には計り知ることは出来ない。いずれ彼らが、我々の常識を超えた恒星間通信手段を手中にするという可能性は、極めて現実的な未来予想図だ」


 キンクァイナが《オーグ》の、ほとんど超常的な力を何度繰り返し強調しても、ジューンはもはや大袈裟と受け取ることはなかった。彼女もまた《繋がれし者》の記憶に触れ、それを己のものとすることで、彼の言うことが少しも誇張されたものではないことを十分に理解しているからだった。


「そうなれば彼らは我々という、宇宙に播いた種が花を咲かせ、実らせた成果を摘み取りに来るだろう。彼ら自身はもう産み出し得ない、多様性と不完全性という、発展成長の糧を得るために」

「だから」


 導師の言葉を受けて、ジューンは彼女自身も自覚せぬうちに、代わりに結論を口にしていた。


「そのときに備えて、私たちも《繋がらぬ者》を宇宙に放つんですね」


 ジューンがそう答えると、光に覆われてわずかに覗くキンクァイナの口元が、微かに微笑の形を取ったように見えた。


「……積極的に宇宙に拡散するためには、《繋がり》はむしろ枷になる。何より貴重な多様性が損なわれてしまう。彼らにはN2B細胞の持つ精神感応力は必要ない。速やかに宇宙に出て、多くの星に拡散し、発展し、数を増やすこと。それこそが《繋がらぬ者》が果たすべき役割だ」


 もちろん彼ら自身は、そんな責務を背負わされていることなど夢にも思うまい。だが《原始の民》の子孫であるということは、即ち開拓者の血筋であるということだ。未知に突き進まずにはいられないという彼らの生来の好奇心を、《繋がれし者》はそっと後押しするだけで良い。


極小質量宙域ヴォイドを超えてから生まれた我々は、かつて一度も《オーグ》に向けて発信したことはない」

「じゃあもしかして《オーグ》は、スタージアの位置を把握してないんですか」

「彼らは《原始の民》がどこに降り立ったのか、まず探索から始めなければならない。であれば我々の役目とはここスタージアで、《オーグ》の探索の目を察知すること。そしてもし見つかった場合には盾となることだ。彼らに対して多少なりとも抵抗するために、我々もスタージアでの《繋がり》を保ち続ける必要がある」


 そう言って少し首を突き出したキンクァイナの顔が、陽光をくぐり抜けてジューンの目に露わにした。彼は口元だけでなく瞳にも活力を宿らせて、ジューンが初めて見る生命力に溢れた表情を浮かべていた。


「そしてもし我々という盾が破られたとしても、《繋がらぬ者》が成長し、繁栄し、数を増やしていれば――それこそ《オーグ》が摘み取ろうにも、彼らの手に余るほどの多様性と不完全性で銀河を満たしていれば。そのときこそ《オーグ》に呑み込まれることのない、銀河系人類として生き残ることが出来るだろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る