第四話 繋がりの向こう側(2)

「お前の母さんは、スヴィは、最後までお前のことを気にかけていた」


 医院のベッドの上で息も絶え絶えの父は、帰還の途上で命を絶った母の最期を、息子に語って聞かせた。


 エルトランザでの有意義な調査を終えて、意気揚々と帰路についた調査隊は、最後の恒星間航行を目前にしてトラブルに見舞われた。彼らの乗る宇宙船が、想定を遙かに上回る大量のデブリ群の直撃を喰らってしまったのだ。隊員の多くが負傷し、ことにミゼールは重量のある機器の下になってしまい、瀕死の重傷を負った。

 宇宙船そのものの被害も甚大だった。中でも最も深刻なのは、推進エンジンのひとつが暴走を始めたことである。放っておけばほかのエンジンにも累が及び、やがて宇宙船そのものが爆発しかねない。暴走する推進エンジンをユニットごと切り離すしかなかったが、操作系も故障して、船内からの作業は不可能な状態に陥っていた。

 ユニットの切り離しは船外活動EVAで対応するしかない。そして船外活動EVAのスペシャリストは、ミゼールとスヴィしかいなかったのである。


「岬の端で、私はあなたに命を救われた。今度は私が助ける番よ」


 苦痛に呻くミゼールの両手を握りながらそう告げて、スヴィは作業に向かった。ともすればエンジンに巻き込まれかねない極限の状況下で、彼女は冷静・的確かつ迅速に作業を進め、ユニットの切り離しは完遂される。


 だが切り離しの際の振動が、スヴィの立つ宇宙船表層も激しく揺らした。

 磁石靴や安全索も役に立たず、気がつけばスヴィは宇宙空間へと放り出されていた。


「ミゼール、ごめんなさい。カーロのことをお願い。私はあの子に、母親らしいことをろくにしてやれなかった。エルトランザの景色を一緒に見たかったのに。帰ってあなたの顔が見たかったのに。こんなお母さんでごめんね、カーロ」


 スヴィの姿は一瞬にして見失われてしまったが、通信だけは保たれていた。だが緊急対応で用意した船外活動EVA宇宙服の酸素容量は、残り三十分を切っている。高速で動く宇宙船の表面で作業していた彼女は、衝撃で弾き飛ばされてあらぬ方向へ、恐るべきスピードで宇宙空間を漂っているのだ。スヴィがもはや助からないことは、誰の目にも明らかだった。


「ごめんなさい、ジューン。あなたをエルトランザに迎えるはずだったのに、ごめんなさい。カーロをお願い、ジューン」

「スヴィ……スヴィ!」


 病床のミゼールには、両の目に涙を溢れさせながら、ただ彼女の名を呼び続けることしか出来ない。彼の呼び掛けに対して、スヴィもまたしきりに「ミゼール、ミゼール」と繰り返し答える。


 ふたりの絶望的な通信はやがて、息苦しそうになったスヴィからの「ミゼール、カーロ、ジューン、私の家族、みんな愛してるわ」という一言を残して途絶えた――


 父から母の最期の言葉を告げられて、カーロは泣くまいと歯を食いしばっていた。

 そのはずなのに気がつけば、大きく見開いた両目からはとめどもなく涙が溢れていた。

 慌てて両手で顔を拭っても、誰も笑ったり咎めたりする者はいない。カーロの隣りで共にミゼールの告白に耳を傾けていたジューンもまた、静かに涙を流していた。


「カーロ、俺ももう、長くはない」


 ミゼールの命もまた、尽きようとしていた。むしろいつ息絶えてもおかしくないという状態から辛うじて彼の命脈を保ってきたのは、残される息子に母の最期を伝えるため。そして父として最後の言葉を掛けるためという、執念のなせる業であった。


「俺もスヴィも、お前にエルトランザを見せてやりたかった。この宇宙には素晴らしい新天地がまだまだ星の数ほどある、そのことをお前に教えてやりたかった」


 時折り苦しそうに顔を歪めながら、それでもミゼールはカーロの顔をしっかり見つめて、言葉を紡ぐ。


「俺とスヴィは、自分たちで望んで宇宙を目指した。お前が俺たちと同じように宇宙を目指すかどうかはわからない。だけど誰に言われても、何をするにしても、最後に決めるのはお前自身だ。そのことを胸に刻んでおいてくれ」

「わかったよ、父さん」


 涙を止めることなく頷くカーロを見て、ミゼールの口元がわずかに綻ぶ。そして彼は次に、息子の隣りに立つジューンに視線を向けた。


「ジューン、カーロのことを頼む」

「……ええ」

「カーロが自分のことを自分で決められるよう、色々と教えてやってくれ。お前に任せられるなら、俺もスヴィも安心だ」

「カーロのことも、エルトランザのことも、後のことは引き受けたわ。心配しないで」


 真っ赤に目を腫らしたままのジューンに請け負われて、安堵した表情を見せたミゼールが息を引き取ったのは、それから三日後のことであった。



「《繋がれし者》の精神感応力も、なんの役にも立たなかった」


 星明かりが反射してゆらめく黒い海に、それ以上に暗い瞳を投げかけながら、ジューンが口にした言葉からは抑えきれない悔恨が滲み出ていた。


「ミゼールとスヴィをこの地上から見守って、何かあってもすぐ干渉出来るように。そのために博物院生になったというのに、肝心な場面で私は無力だった」

「ジューン……」

「《繋がれし者》の力なんて、所詮その程度なの。私たちは星系の外に力を及ぼすことも出来ず、それどころか飛び出すことも出来ない。この星に繋がれて、囚われているからこその《繋がれし者》なのよ」


 そう言ってジューンがわずかに視線を上げた先には、水平線のやや上、宇宙ステーションがあるはずの星空が広がっている。少女の頃にミゼールやスヴィと共に、この地から眺めたこの景色に包まれて晩年を過ごしたい。ジューンがこんな辺鄙な土地に屋敷を構えた理由に、カーロはようやく思い至った。


「母さんは多分、エルトランザにジューンを迎えるつもりでいたよ。エルトランザには四人で移り住もうって、よく言っていた」


 スヴィは幼いカーロを抱きかかえながら、新天地での夢一杯の生活をよく語って聞かせたものだった。そのことを告げられると、ジューンはやや苦い表情を浮かべて、面を伏せる。


「彼女には、私がこの星を離れられないってことを、最後まで打ち明けることは出来なかった。どうしても私に対する罪悪感みたいなものがあったからね。エルトランザに私を連れて行くっていう希望までは奪えなかったわ」

「父さんは知っていたのかい」

「ええ」


 そしてジューンは星空から視線を逸らし、ゆっくりと身体からだごとカーロに向き直った。


「ミゼールには全てを伝えてあったわ。私や《繋がれし者》がエルトランザに行けないことも、それに」

「それに?」

「私たちは《オーグ》がこの宇宙に散りばめた、ヒトという種のひとつであることも」


 それは先ほど、カーロがジューンを糾弾した内容そのものであった。


《オーグ》は《原始の民》を追放したのではない。この宇宙にヒトの可能性を花開かせるため、手を尽くして《原始の民》を送り出したのだ。やがてスタージアを発見し、入植を果たした《原始の民》は、今また《繋がれし者》としてヒトを宇宙に送りだそうとしている。

 そのことをミゼールが知っていたという事実は、カーロにとって青天の霹靂だった。


「父さんは、全て《オーグ》の思惑通りだということを知っていたのか。全てを知った上で、それでも宇宙を目指したのか」


 思わず額に手を当てて、カーロはよろめきながらバルコニーの手摺りに凭れかかった。


「カーロ、あなたの推察は概ねの真実を突いているわ。でも、まだあなたも知らないことがある」


 動揺するカーロに向かって、ジューンは努めて冷静な口調で語りかける。


「僕の知らないことだって? 知らないことばかりだよ」

「投げやりにならないで。あなたが知るべきは、《オーグ》が《原始の民》を送り出し、今また《繋がれし者》があなたたち開拓団を送り出そうとする、その理由よ」


 ジューンが口にした言葉は、カーロにとってはむしろ詮索の余地もないことに思えた。


「そんなのわかりきっている。《オーグ》の支配圏を拡大するため、それ以外に考えられない。《オーグ》はいずれ、我々という成果を収穫するつもりなんじゃないか」

「半分正解で、半分は外れね」


 ジューンは軽く頭を振りながら、ミゼールの言葉を採点してみせた。


「《オーグ》の力は、少なくとも今の時点では、私たちに届かないのよ。彼らの精神感応力もまた、星系を超えることはかなわない。それが出来るなら、私たちはとっくに彼らに支配されて、《オーグ》に《繋がって》いるわ」

「そんなこと、いくらでも誤魔化そうと思えば誤魔化せる。あなたたち《繋がれし者》が《オーグ》の支配下にないと、どうして言い切れる」

「私の精神感応力が星系を超えるなら、みすみすミゼールとスヴィを見殺しにしない」


 そう答えるジューンの瞳には、カーロが今日この屋敷を訪れて初めて見る、強い感情が込められていた。その迫力にカーロが気を呑まれている内に、ジューンはやや沈んだ面持ちとなって言葉を紡ぎ続ける。


「《原始の民》よりさらに遡って存在した古代人は、ヒトの《繋がり》を重視したわ。彼らは全てのヒトが《繋がれ》ば、いずれ争いのない平和が訪れるだろうと信じていた。やがてテクノロジーが恐るべき進化を遂げ、惑星上の住人全員を《繋ぐ》だけの高度な機械を手にした彼らは、ついに夢を叶えてしまった」


 ジューンが口にする《オーグ》の正体は、カーロの想像を遙かに超えていた。


「その星には何十億もの人々が暮らしていた。その全員が《繋がって》しまったのよ。信じられる?」


 信じられるわけがない。そもそもひとつの惑星に、何十億人もの人間がいるという状況が思い浮かべられない。あまつさえ、その全員が精神感応的に《繋がって》いる状態など――


「無理に決まっている。それだけの人口を支えるのに、どれだけの水、食糧、電力、あらゆる資源が必要なのか」

「そうよ。《繋がった》まま、それだけの人口を維持することが不可能なのは目に見えていた。だから彼らは極めて合理的な判断の下、人口を調節していったの。そんなこと普通なら出来るわけないけど、全員が《繋がって》いる彼らには苦ではなかった」

「自ら人口を減らしていったのか。人類の平和のために《繋がった》はずなのに、《繋がり》を保つために数を減らすなんて、本末転倒もいいところだ」

「でもその結果、彼らは平和と安定を手に入れた。彼らはそんな自分たちを、組織organizationになぞらえて《オーグ》と呼ぶようになった」


 ジューンがそう告げるのとほとんど同時に、バルコニーの遙か下でひときわ大きな波音が響いた。いつの間にか手摺りに添えられていたジューンの右手が、欄干を握り締めている。


「彼らは決してひとつの惑星に止まり続けようとしたわけじゃない。むしろ積極的に星系を開発していったわ。恒星光から直接エネルギーを得る手段を開発し、亜光速の推進エンジンを駆ってほかの惑星からも資源を採掘して、星系をほとんど手中にした。だけど星系の外まで踏み出すことは出来なかった」


 その答えは、カーロにもわかっていた。


「通信の限界に達したんだな。直接通信の範囲は、一星系が精々だ」


 カーロの言葉に、ジューンが無言のまま頷く。


「《繋がり》の有効範囲は、同時双方向性が保たれる直接通信環境下に限られる。昔、あなたに教えてもらったことだ」


 神妙な顔のまま、カーロは呟くように嘆息した。


「それだけテクノロジーに優れていても、星系を超える通信技術を産み出すことは出来なかったのか」

「その代わりに――いえ、順序から言えば逆だけど、彼らが見つけたものがあるの」


 ジューンはカーロを見返す瞳にやにわに力を込めて、むしろこれからが本題だというように顔を上げた。


「彼らは極小質量宙域ヴォイドを発見し、そして恒星間航法を編み出したのよ」

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