第四話 繋がりの向こう側(1)

 窓の外にはいつしか大小様々な輝きに満たされた満天の星空が広がり、海面には静かにさざめくいくつもの波頭の陰が、星明かりの下で見え隠れしている。岬の端、崖下に打ちつける波の音そのものはさして大きくなかったが、邸内のカーロの耳にまで届くリズミカルな振動からは、広大な海に秘められた底知れぬ力強さを感じ取ることが出来た。


「僕が産まれる、何年か前の話だね」


 バルトロミゼール・デッソとスヴィ・ノマは惑星調査隊の訓練生期間中に結婚し、その翌々年にカーロが誕生した。ほかならぬ両親から、散々聞かされてきたことだ。そしてカーロが物心ついてから、彼の記憶の中で父母と共に、もしかしたらそれ以上に彼の側にいたのがジューンであった。


「ミゼールもスヴィも、宇宙ステーションに上がるときはだいたい、あなたを私に預けていったからね」

「今思い返せば、放任主義もいいとこだよ。いつも押しつけられて、ジューンは腹が立たなかったのか?」

「まさか。私は喜んで引き受けたし、むしろそれが三人にとって当然だったわ」


 三人の絆の在り方というものが、カーロには今ひとつ理解出来なかった。

 彼自身は十年以上前に妻を娶り、既に三人の子を成す父親でもある。スタージア人として極めて平均的な家庭を築いてきたつもりのカーロにとって、両親とジューンの関係は特殊なものにしか思えない。


「私は《繋がれし者》だからね。結婚も、子を成すこともない。そんな私を家族同然に受け入れてくれたミゼールとスヴィには、本当に感謝している」


《繋がれし者》は例外なく、子を持たない。必然的に成婚する者も少ない。多産を良しとするスタージアにあって、それは特異な方針であった。


 だが彼らがその方針を貫くのは、決して教条的な理由によるものではない。


 かつてジューンの元に預けられたカーロが気まぐれに、どうして結婚しないのかを尋ねたことがある。そのときの彼女は穏やかな、だが断固とした口調で答えたものだ。


「《繋がれし者》が成した子は、生まれながらにして《繋がって》しまうの。個性を育む前に様々な思念と《繋がって》育てば、その子自身の人格が、個体差が失われてしまう。もし《繋がれし者》がそんな子供ばかりに占められてしまったら、それはもはやヒトとは呼べないでしょう。単なる均質なヒト型タンパク質の群れと膨大な計算資源が結びつきあった、巨大な一個体に過ぎないわ」


 ジューンの言葉はところどころ難しくて、まだ幼かったカーロは完全には彼女の言うことが理解出来ない。ただ滔々と語るジューンの瞳には、彼女だけではない、《繋がれし者》全員の強い意志が映し出されているように見えた。


「それでは《オーグ》と変わらない。ひとつの星系に閉じこもり、《繋がり》故にその星系を離れることも出来ないまま成熟して、やがて長い停滞を迎えるだけ。《オーグ》は自らの過ちを取り返すため、私たちを宇宙に放ったの」

「《オーグ》は僕たちのご先祖を追い出した、悪い奴らじゃないの?」


 カーロはそれまで周囲から聞かされてきた《オーグ》の姿と、ジューンが語るそれとの違いに、戸惑いを隠せない。


「……私たちは《オーグ》から離れるべきだし、スタージアの人々は皆、宇宙に目を向けている」


 ジューンはカーロの問いにそのまま答えず、彼の褐色の頬を優しく撫でながら微笑みかけた。


「カーロ、あなたもきっと宇宙を目指すようになるわ。ミゼールとスヴィの子供だもの。いえ、あなただけじゃない。これからヒトはどんどん新しい星を見つけて、移り住んで、さらにまた新しい星を見つけ出していく。そうやって宇宙にヒトの種を播き続けていくのよ。《原始の民》と同じようにね……」


 宇宙にヒトの種を播き続ける――《原始の民》と同じように。


 カーロの記憶を掠めたジューンの一言が、彼の胸中をざわめかせる。喉の奥に引っ掛かった小骨のような違和感は、やがて脳裏で急速に存在感を増して、カーロを回想から現実へと引き戻した。


「もしかして、そういうことなのか……」


 窓ガラスの向こうの漆黒に目を向けたまま、カーロは我知らずそう呟いていた。


 バルコニーの向こうに一直線に伸びる、今は星空との区別も定かでない水平線すら雄大に思えるのに、自分たちは一足飛びに、あの星空の先に踏み出そうとしている。

《原始の民》がスタージアに入植してから、せいぜい百年余りしか経っていない。まだこの惑星には開拓すべき、未知の領域がいくらでも残っている。なのにどうして我々は、宇宙に飛び出そうとするのか。


 どうして父も母も、スタージアにとどまることなく、宇宙を目指したのか。


「我々が宇宙を目指すのは、あなたたち《繋がれし者》の仕業か、ジューン」


 外の景色からテーブルの向かいへと、カーロがゆっくりと視線を移動させる。

 その先で、ジューンはちょうど椅子から立ち上がろうというところだった。

 肩に掛けた黒いカーディガンの前を閉じ、白髪と黒髪が入り混じって銀色を織り成す、編み込まれた長い髪を揺らしながら、老女はおもむろに壁一面のガラス窓の前へと歩を進める。


「少し夜風に当たらない?」


 そう言うとジューンは窓を全開させて、バルコニーへと足を踏み出した。空調の効いた室内に屋外の空気が流れ込み、カーロの褐色の肌の上を冷気が通り過ぎていく。この季節はまだ夜風はひんやりとした温度をまとうが、ジューンは構わずにバルコニーの端まで歩み出て、両手を手摺りに乗せた。


「宇宙ステーションは、あそこね」


 そう言ってジューンが星空を指し示す指には、年相応に血管が浮き上がって見え、カーロは彼女が十分に年老いたのだということを今さらのように実感した。いくら表情や仕草が若々しく見えるとしても、ジューン・カーダは彼女なりの歴史を積み上げて今、彼の目の前にいる。


「いくらなんでも女性に対してその感想は、デリカシーに欠けるわね」

「また僕の思考に返事したな。デリカシーに欠けるのはお互い様だよ」

「細かいこと言わないの。開拓団が出発するまでのことなんだから、大目に見なさいな」


 カーロに言い返されて、手摺りを掴んだまま振り返っていたジューンは、悪びれずに微笑み返した。


《繋がれし者》の精神感応力は、極小質量宙域ヴォイドを超えた先には及ばない。それは、無人調査機を飛ばした段階で明らかになっている。《繋がれし者》も感知出来ない、遠い星空の向こうが存在することは、人々に大きな不安と同時にわずかな期待を抱かせた。これまで《繋がれし者》の庇護下にあることが当然だった人々にとって、《繋がれし者》の力の及ばない星で、自らの力だけを恃みに生き抜く生活――それは多くの危険と隣り合わせでありながら、極めて魅力的な誘惑であった。


「スタージアの人々は《原始の民》の開拓精神を、百年経っても忘れていない……そう考えるわけにはいかないかしら?」


 ジューンはそう言ったが、カーロが納得するはずがないということは、誰よりも彼女こそがわかっているはずだった。


「《原始の民》は、《オーグ》によってこの星系に送り込まれたんだろう。そう言ったのはあなたじゃないか、ジューン」

「そうだったかしらね」

「とぼけないでくれ」


 太い両眉の間に深い皺を浮かび上がらせて、ジューンを見つめるカーロの視線は厳しかった。


「《オーグ》は《原始の民》に未知の星の開拓を託し、そして今また《繋がれし者》は、我々にエルトランザへの入植を促そうとしている。僕も含めて、我々が宇宙に飛び出すことを欲するのは、あなたたちが精神感応的に干渉し続けた結果じゃないのか?」


 左手を手摺りに乗せたまま、カーロはジューンの横顔に問い続ける。


「それも突き詰めれば、ヒトの種を宇宙に散りばめようとする、《オーグ》の意思なんじゃないか? 僕たちの行動は、全て《オーグ》に操られ続けた結果なのだとしたら……」

「だとしたら?」


 すると首を捻ってカーロの顔を見返したジューンが、そう尋ね返した。


「エルトランザに行くのは中止にする? このスタージアで、文字通り地に足をつけた生活を営むことに専念するのかしら」

「それは……」


 問い詰めていたはずのカーロが、逆に言葉に詰まる。


 今さらエルトランザ行きを中止するという選択肢は、有り得ない。ここまで何十年とかけてきた準備や、関わってきた多くの人々の想いを考えても。そして何よりも彼自身、エルトランザの開拓のために今まで全てを注いできたのだ。


 それはエルトランザへ有人調査に向かった父ミゼールが、半死半生となりながら帰還したその日から、彼自身の生涯を賭けるべき目標であった。

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