第三話 アンゼロ・ソルナレスの対策(2)
「いつまでもひとりで練習していても退屈だろう。俺が相手してやる」
予想外の声をかけられて表情を輝かせるモートンをいささか大袈裟だと感じたが、いざ対局してみるとそんなことを言っていられなかった。
最初の内は、予想通りシャレイドの相手になるレベルではなかった。だが何度か対局を重ねる内にモートンは驚くべきスピードで学習し、やがてシャレイドの手の先の先を読んでしまうようになったのだ。さらにその先までの手を何通りも用意する彼の頭の中を覗き込む内に、シャレイドの方が講じる対策が間に合わなくなってしまう。初めてモートンに敗北したときは、悔しいというよりも感嘆するしかなかった。
「ジェスター院生も大したことはないと思っていたが、改めるよ。お前みたいな奴がいると、少しは張り合いが出る」
シャレイドが彼なりの言い回しで讃えると、モートンは喜色を隠そうともせずに破顔した。
「まだまだ、初白星だからな。卒業するまでには勝ち越してみせるぞ」
シャレイドがジェスター院に入学して、その人柄も能力も認めることが出来る人物と出会えたのは、これが初めてのことであった。
その後モートンの薦めに応じて、シャレイドはジェスター院内の
彼女の性格は、対局しただけで丸わかりだった。わざわざ考えを読むまでもない。真っ直ぐで勢いに任せて行動するものの、行き着く先は的を外さないのだ。だがその手の相手をいなすのはシャレイドの十八番であり、結果はシャレイドの圧勝に終わった。
ただシャレイドに勝利したいという彼女の諦めの悪さまでは、彼もまだ見抜けてはいなかった。
それからカナリーにつきまとわれ続けて、仕方なく何度か対局して、結局シャレイドが勝つとまた悔しげな顔で追い回される。なんだかモズに追いかけられ続けて、最後に根負けしたときと似ているな。そんなことを考えるシャレイドの胸中は、実を言うと不快ではなかった。
モズのときと同様だ。シャレイドにしてみれば追跡者を撒くことなどお手のものなのだが、彼に向ける感情に悪意がこもっていないのであれば、あえて見つかってみせるのもやぶさかではなかったのだ。そしてカナリーとの対局の際には、大抵モートンも一緒である。こうして三人で共に過ごす時間が好ましいものであることを、シャレイドも自覚しつつあった。
やがて
親友と呼べる存在をふたりも得ることの出来たシャレイドだが、ただひとつだけ、彼らにも打ち明けられなかった秘密がある。
「勘がいいんだ」
シャレイドは自身の精神感応力について、その一言で説明を済ませていた。それは思春期を迎える頃に何度も味わった、迂闊に精神感応力を発揮したことで忌避されてしまうという経験上、やむを得ない対処であった。
精神感応力自体は現に存在するものとして認知される能力であり、ジェスター院にも精神感応力学を専門にする導師や院生がいる。だが能力者そのものがごく稀であり、銀河系でも三桁ほどしか存在が確認されていないという現状では、なかなか研究が進められるものではない。そもそも周囲と軋轢を生みやすい能力のため、名乗り出る者自体が少ないという。シャレイドの祖母もそのひとりであり、もちろんシャレイドも家族以外に公言したことは一度もない。
だがこの能力が何物なのか、そんな興味を抱くことまでは止められなかった。彼がジェスター院で学んだ対象は、精神感応力学から情報通信工学、N2B細胞や脳の研究にまで及ぶ。
「シャレイドの履修科目って、なんだか基準がよくわからないよね」
その頃、既に三人で行きつけにしていたミッダルト繁華街のダイニングバーで、フライドボールを頬張るカナリーからそう尋ねられたことがある。
「我ながら興味がとっちらかっているとは思うけどな。これでも、なんも考え無しってわけじゃない」
「一応、お前なりの筋は通っているのか」
そう言ってモートンはさらに話を聞き出したいという顔を見せたが、シャレイドは曖昧に回答を濁した。
「俺の中でも、まだはっきりと道筋が見えてるわけじゃないんだ」
残念そうなモートンと、「なによ、結局よくわかんないんじゃない」と口を曲げるカナリーには申し訳ないと思ったが、まさか自身の精神感応力の正体を見極めるためとも言えなかった。
これまで学んでわかったのは、精神感応力者は概ね二種類に大別出来るということだった。そもそものサンプル数が乏しいので断定は出来ないが、ひとつはただ周囲の人々の精神活動を察知することが出来るタイプ。もうひとつは、周囲の精神活動に共鳴して、同化してしまうタイプだ。その数は、前者よりも後者の方が圧倒的に多いという。
シャレイドは数少ない前者だが、後者が多い理由もわからなくはない。
特に幼い頃には、彼も周囲の感情に引きずられてしまったことが往々にしてあったと思う。比較的穏やかな人物に囲まれて育ったから良かったが、もし過激で起伏の激しい精神に晒されていれば、シャレイドの人格も間違いなく大きな影響を受けていただろう。それを共鳴と呼ぶのか同化と呼ぶのかは定かではないが、精神感応力という能力の性質上、その傾向が強くなるのは理解出来る。
同時に、自分が少数派であることに心の底から安堵した。
察知してしまうことについては、これはもう生来の資質であって好きも嫌いもない。彼にとっては自然なことだ。だが周囲の、家族なり友人なり他人なりの精神に同化してしまうということは、シャレイドが彼自身であることの意味を喪失することに等しい。
彼はこれまで様々な人々の精神に触れてきたが、その中にひとつとして同じものを感じたことはない。シャレイドにとってヒトの精神とは、指紋や遺伝子以上に個人差が厳然と存在するものなのである。
それにしてもシャレイドのようなタイプと、同化してしまうタイプがどうして存在するのか。そもそも精神感応力とはなんなのかという問いには、未だ答えなど出ようもない。
「まあ俺の勘だと、多分卒業するまでには答えも出ると思う」
そう言って薄く笑うシャレイドを見て、カナリーは大袈裟に肩を竦めた。
「また、それ? シャレイドはなんでもかんでも勘で片づけすぎだよ、ねえ」
同意を求めるようにカナリーに見返されて、モートンが苦笑した。
「といっても、その勘が良く当たるからなあ」
目の前で談笑する二人を見ていると、いつか彼らにはこの能力のことを明かしても良い、そんな風に思えてくる。
精神感応力の正体に対する答えなど、簡単に出ることはないだろう。だが卒業するまでに出せる彼なりの答えとすべきは、目の前の二人に秘密を打ち明けることが出来るか否か、ということかもしれないと思う。
ただそれは、少なくとももうしばらく先の話だ。
二人と向き合えば向き合うほどに、誰よりも彼らの思考がシャレイドの頭の中に流れ込んでくる。お互いに信頼し合うふたりの想いが今しばらく熟成されていけば、やがて男女の仲にまで発展しそうな気配を、シャレイドは当然見抜いていた。
自分がカナリーに対して友人以上の好意を抱いていたのかどうか、彼自身は確かめようとも思わない。二人の想いを察知して複雑な感情が生じたのは間違いないが、同時にカナリーが自分よりもモートンにこそ好意を寄せていることを知って、思わずさすがと言いそうになった。
シャレイドは自分が女性にとって十分に魅力的であることを自覚していたが、一方で自分に好意を寄せるような女性の大半が、表層的なものにしか興味を示さないということも知っていた。カナリーがそうでないことはわかっていたが、彼女の想いを改めて知って、落胆するよりも前に安心したのはそういうわけである。
自分の精神感応力について告白するとしたら、ふたりが恋仲となってからで良いだろう。そうでなければ二人は自然に近づくことも出来ないだろうし、さらに言えばそれまでのふたりの内心を観察させてもらおうという、人の悪い魂胆もある。もっともふたりともその方面では未熟というか奥手だから、どれほどの時間がかかるかはわからないが。
ともあれジェスター院で過ごした日々の大半は、今もシャレイドにとってかけがえのない時間として記憶に残っている。三人で共にいた記憶のひとつひとつは、さりげない、ささやかな出来事ばかりだ。しかしそれらが積み重なって彼の心に刻まれ行く度に、モートンもカナリーもシャレイドにとってはかけがえのない存在になっていった。
このまま一緒に絆を育んで、一生つきあえるような友人同士でありたい。シャレイドが抱いた望みは、それほど大それたものではないはずだった。
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