第三話 アンゼロ・ソルナレスの対策(1)
シャレイド・ラハーンディは幼い頃から、他人の感情を読み取ることが得意だった。
というよりも、それが当たり前だった。
「母さんに似たな」
そんな彼のことを父サードはそう評し、母もまたごく自然に受け入れてくれた。
サードの言う母さんというのはこの場合、シャレイドにとっての祖母に当たる。祖父と共にミッダルトからジャランデールに移住した祖母は、どんな嘘でも見抜いてしまう特技の持ち主だったらしい。父も母も祖母という前例に慣れていたから、シャレイドの資質についても取り立てて戸惑うということはなかった。
残念ながら祖母はシャレイドが産まれる前に他界していたため、彼は自分以外に他人の考えを見通すことが出来る人物を知らない。ただ父母をはじめ、身近にいる人物が理解を示してくれたことは、彼にとって幸福なことだったろう。
誰よりも彼の良き理解者だったのは、五つ年上の兄アキムだった。
「シャレイド、お前のその力は、精神感応力っていうらしいぞ」
ジャランデールで教育者として名を馳せた祖父は、様々な学問に通じていた。蔵書データも多く蓄えており、アキムは暇を見てはよく祖父が遺した蔵書データを読みふけっていたものだ。その中にはシャレイドのような能力について触れた書物もあった。
「相手の感情がわかる程度から、何を考えているか細かくわかる程度まで、結構ばらつきがある。シャレイド、お前の場合はどれぐらいわかるんだ?」
「うーん、そのときによるよ」
幼いシャレイドにとって、まだ人の深い思考を読み取るのは、そもそも理解力が追いついていなかった。
「なんだよ、適当だな。なになに、原因については様々な説があるが、最も有力なのはN2B細胞に起因するものではないかとする説である……なんだよこれ、嘘っぱちじゃないか」
シャレイドが祖母に似ていたのは、その精神感応的な能力だけではない。彼は生まつき極端にN2B細胞の数が少ないと診断されており、それもまた祖母譲りの特徴であった。AltN2B――オルタネイトの通名で知られる薬を投薬することで日常生活に支障はなかったが、この薬を摂取するために月に一度注射を打たなければならないことが、幼少期のシャレイドには堪らなく苦痛であった。
あまりにシャレイドが嫌がるので、同伴したアキムが「じゃあ、俺も一緒に注射を受けるから。そしたらおあいこだろう?」というよくわからない理屈で説き伏せられたことがある。とはいえ健康体のアキムがオルタネイトの接種を受けられるわけもなく、それでも聞かない彼に対して、医者が仕方なく打ったのは栄養剤の注射であった。
アキムの好意というよりも、医者が心底迷惑がっていることを読み取って、以後シャレイドは注射の際にもごねることはなくなった。後になって思い返せばこの頃から、他人の思考を覚束ないながらも読み取れるようになった気がする。
彼の能力が活かせる遊戯のひとつとして、シャレイドに
「
シャレイドに敗れたサードがそう言って頭を掻くと、傍で対局を観戦していたアキムが父の感想に異を唱えた。
「でも相手の考えが読めたって、ちゃんと対策出来なきゃ勝てないよ。シャレイドは俺なんかより、ずっと頭がいい」
シャレイドの頭脳を一番評価していたのは、アキムである。彼自身も中等院で相当の成績を誇っていたが、卒業後はあっさりと地元の現像工房に弟子入りしてしまった。祖父は名士として慕われていたが、利殖や蓄財には全く疎かったため、ラハーンディ家が決して裕福でなかったせいもある。だがそれ以上に、アキムはシャレイドが将来ジェスター院に進むことを望んでいた。
「学費は俺や父さんがなんとかする。お前は爺さんが学んだジェスター院に進め」
アキムがジェスター院を薦めたのは、祖父の母校だからだけではない。ジェネバからも話を聞いていたからだ。
ジェネバ・ンゼマは祖父が直接教えた最後の生徒であり、その縁もあってラハーンディ家にしばしば出入りしていた。そして彼女もまた、ジェスター院の卒業生だったのである。シャレイドにとっては明るいが怒ると怖い年長の女性でしかなかったが、アキムは彼女が遊びに現れる度にその話に聞き入っていた。彼女からジェスター院について様々聞かされたことが、シャレイドも是非にというアキムの動機になっている。
アキムが期待するだけあって、事実初等院から中等院にかけてのシャレイドの学業成績は、同世代より頭一つ飛び抜けていた。一方で彼の精神感応力に拒否反応を示す人々にも接し、何度か深刻なトラブルを経験した反動で、一時期は裏街区に入り浸っていたことがある。
モズと知り合ったのはこの頃だ。
モズはシャレイドを心配したアキムが手配した、彼の友人である。シャレイドの精神感応力について知らされていたモズは、最初からお目付役であることを隠そうともしなかった。
「あんまり兄ちゃんに心配かけるなよ」
モズは暢気な顔でそう言いながら、いくらシャレイドが嫌そうな顔を見せても意に介さずにつきまとってくる。あまりにしつこいので、最後はシャレイドも根負けしてしまった。今では気の置けない友人のひとりと言っていい。
シャレイドが完全に道を踏み外しきらなかったのは、そんな兄の鬱陶しくも愛情豊かな期待を裏切れないという想いがあったからだろう。見事ジェスター院への進学が決まったときのアキムの喜びようといったら、シャレイド本人とも比べようもないほどであった。
こうして彼はジェスター院に進学する。兄の強力な後押しがあったとはいえ、初めてジャランデールの外に出ることになった彼の胸中には、それなりに夢も希望もあった。当時、既にジャランデールでは開発支援融資の返済に伴うトラブルが頻発しており、彼の知人にも家族が苦汁を嘗めるという話が後を絶たなかった。ジェスター院で学んだ成果を持ち帰って、そんな惨状をなんとかしたいという想いは、シャレイドの中にもあったのである。
だがいざ入学してみると、ジャランデールのみならず
シャレイドの容貌や語り口に惹かれて寄ってくる院生もいたが、彼がジャランデール出身とわかった途端に掌を返す者も、また少なくなかった。親元を離れ、入学間もないシャレイドの神経が徐々にささくれ立ってしまったのも、無理はなかっただろう。
ただ救いとなったのは、寮の同室となった相手が
同室のモートン・ヂョウは長身で穏やかかつ気さくな男だったが、成績優秀者のみに許された学費全額免除の特待生でもあった。そのことを知って、彼に対して壁を作っていたのはシャレイドの方である。
シャレイド自身も特待生レベルの成績だったはずなのに、
そのモートンと打ち解ける切欠となったのは、いつからか彼がしきりに
教本を参考にしながら、端末棒から引き出されたホログラム・スクリーン上の立方体を前に試行錯誤するモートンが、初心者であることは明らかだった。横目で見ながら、自分の相手にはならないな、とシャレイドは無関心を装っていたが、それもほんの一ヶ月足らずのことである。モートンの上達ぶりは、シャレイドがたまにその様子を眺めるだけでも一目瞭然であった。
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