第二話 トゥーランの戦い(1)

 銀河連邦軍の前線総司令官を務めるクレーグ・ホスクローヴ提督にとって、外縁星系コースト一斉蜂起への対応の遅れは痛恨事であった。


 一斉蜂起が勃発した当初の世論は、外縁星系コースト諸国に対する非難一色であった。だがその後に極小質量宙域ヴォイドに配備された宇宙ステーションまでもが外縁星系コースト諸国の手に落ちると、徐々に安全保障局や連邦軍に疑問を呈する声が上がり始める。


 強硬派は外縁星系コースト一斉蜂起への対応の手緩さを追及し、一方で安全保障局の強権ぶりに不満を抱いていた層は、これまでの強引な施策が今回の事態を引き起こしたのだと詰る。安全保障局としてはなんらかの成果を示さないことには、今後の活動に支障が出かねない。


 そしてホスクローヴ個人もまた、後手に回ったことについて名誉挽回する機会を欲していた。


「今回の外縁星系コースト諸国による武力行動に対して、連邦軍による鎮圧を命じる。軍は可及的速やかに対処せよ」


 ホスクローヴが乗る連邦軍宇宙艦隊の旗艦に届いた連絡船通信は、簡潔かつ重大な指示から始まった。副官と共に司令官室のモニターに映し出される通信内容を確認していたホスクローヴは、読み進める内に掻き上げられた白髪の下の、額に深い皺が浮かび上がっているであろうことを自覚していた。


「トゥーラン及びジャランデールを攻略せよ、ですか」


 緊張の面持ちで、副官がそう呟きながらごくりと唾を飲み込む。ホスクローヴとは五年以上の付き合いとなる彼が、ここまで動揺したところを見せるのは初めてだ。


「銀河連邦軍が創設されておよそ二百年余り、史上最大の軍事行動になるな」


 そう呟いたホスクローヴに青い瞳を向けられて、副官はぶるっと一度顔を振るわせてから頷いた。


「今まで実戦で一個艦隊以上が出動したことはありませんでしたからね」

「だが、それにしても随分と早い指示だ。これほどの規模の出撃となると、連邦評議会の承諾を得てからになると思っていたが」

「そこは私も気になりましたが、指示書は安全保障局特別対策本部だけでなく、連邦常任委員長及び安全保障局長の名前で発令されています。形式上は問題ありません」


 副官の言葉に、ホスクローヴは小さく唸りながら腕を組んだ。何しろ例のない規模の出兵となるのだ。出来れば後ろ指をさされない形で臨みたいのが本音である。そんな上司の内心を見透かすかのように、副官が小さく笑いかけた。


「先の失態を挽回しようと、将兵の士気も高い。中央も、無理を押してでも対応したいのでしょう。良いではありませんが。いざとなったら我々は彼らの指示に従ったまで、と言い張りましょう」

「連中の責任回避の巧妙さといえば、私や君の想像を遙かに上回るぞ。我々の尻を持ってくれるような潔い人物が、果たしてどれほどいるものか」


 そう口にしながらホスクローヴの脳裏には、ふとダークブラウンの髪に同色の瞳の、長身の青年の姿が思い浮かんだ。


「だがまあ、そうだな。特別対策本部が関わっているのであれば、多少の無茶は引き受けてくれるだろう」


 誰に言い聞かせるでもなくそう独りごちてから、白髪の老提督はモニターから視線を外して室内中央に目を向けた。視線の先にはホログラム映像投影盤が据えつけられており、その上に浮かび上がる球形の映像には、現在の連邦軍の配置と動向が映し出されている。


「全ての外縁星系コースト隣接宙域から部隊を引き上げて、今は三カ所で再編中だったな」


 提督の確認の言葉に対して、副官は投影盤の傍らのコンソールに手を伸ばしながら答える。


「はい。現在我が軍は、クーファンブートと接するファタノディ、ネヤクヌヴと接するエヴァラシオ、そして我々がいるここ――トゥーランと接するミッダルトに、それぞれ集結しつつあります」


 球形の映像の中に、三つの赤い点が浮かび上がる。中央に位置するのがミッダルト星系だ。ミッダルトからふたつの無人星系を経たその向こうの黄色の光点がトゥーラン、さらにその奥の光点がジャランデールを示している。


「今回我々が動かせる戦力は、この三つが全てになる」

「全軍の半分ですよ。十分でしょう」

「ただし可能な限り早く、というお達しだ」

「三軍それぞれの再編は一週間後に完了する予定ですが、これをまた再集結しようとすれば、さらに十日は見る必要があります」


 投影盤の縁に両手をかけて、ホスクローヴの青い瞳が映像に注がれる。ファタノディ、ミッダルト、エヴァラシオの順に三点を無言で眺めていた老提督は、やがてゆっくりと副官に顔を向けた。


「再集結の必要はない」


 老提督の視線を受けた副官が、わずかに唇の端を上げつつ、あえて反問する。


「よろしいのですか? 外縁星系コースト諸国の全軍が集結して待ち構えているとしたら、数の上で上回られる可能性がありますよ」

「拙速を尊ぶとしたら、今がそのときだ。例え数で劣ろうとも、烏合の衆相手なら問題ない」


 ホスクローヴはにこりともしないまま、まるで当然のことを口にするといった面持ちでそう言い放った。


「幹部を招集してくれ。作戦会議に入るとしよう」


 副官に指示を下すと、ホスクローヴは青い瞳を再び球形のホログラム映像に向けて、宣言した。


「我が軍は一週間後、ミッダルト星系からトゥーラン星系に出撃する」



 銀河連邦の総加盟国数は現時点で五十を超えるが、中心的な存在に数えられる加盟国と言えば、まず三つの星の名前が挙げられる。

 ひとつは事実上の銀河連邦の首都であるテネヴェであり、ひとつは連邦創設以前から銀河系人類社会の“始まりの星”として信仰を集めるスタージア。そしていまひとつは、銀河連邦の母体とも前身とも見做される、かつてのローベンダール惑星同盟の盟主でもあったローベンダールだ。


 旧ローベンダール惑星同盟領は、かつて複星系国家の覇者だったバララトから分離独立したという経緯の通り、銀河連邦加盟国の中でも複星系国家に接している部分が多い。スタージアに次ぐ銀河系人類最古の国家エルトランザや、創立以来王政を維持し続けるサカ、そして今は四分五裂した旧バララト系の国家群に三方を囲まれているのだ。この地理的特性を最大に活かして、旧ローベンダール惑星同盟国は周囲の複星系国家との交易によって栄えるところが多い。

 中でもローベンダールはその恩恵に最も浴して、経済的規模だけならテネヴェをも凌ぐと言われている。


 そのローベンダールでも五指に入る大企業グループの系譜に連なるのが、ヘレ・キュンターであった。


「さすがはキュンター議員専用なだけはある。これほど豪華なプライベート宇宙船を目にしたのは、初めてです」


 ジノ・カプリの言葉に嘘はなかった。キュンターの所有する宇宙船に乗り込んで、通されたラウンジは高級ホテルや迎賓館のそれと遜色なく、内装も豪奢でありながら嫌みではない、格調の高さが随所に散りばめられている。

 触れるのも憚れるような高級そうな革張りのソファを薦められて、ジノはなんとも落ち着かない表情のまま腰を下ろした。


「その船に単身乗り込むほど剛毅な割には、随分とおどおどしているな」


 優雅な佇まいで向かいの席に着席するキュンターの言葉は、その表情に比べると幾分棘があった。

「なにぶん、庶民の出なもので。公式の場以外でこういった高級そうな部屋に踏み入るのは初めてです」

「それはそれは。それでその、庶民代表のカプリ議員が、欲深い大企業を代弁するこのヘレ・キュンターの船にまで押しかけて、いったいどのような用件かな?」


 今度こそ包み隠さず攻撃的な台詞を口にして、キュンターはジノの顔を冷ややかに見つめ返した。


 キュンターがジノに好意的である理由はなかった。彼女は新進気鋭の若手であるジノを見込み、自身の派閥に組み込もうとしてその会合に招待したのだが、この若手議員は派閥に属するどころか、彼女の派閥の面々を次々と口説き落として回ったのである。まさか外縁星系コースターの第一人者たるジェネバ・ンゼマの提案に賛同するよう説き伏せるとは、キュンターにしてみれば造反以外の何物でもない。


「あなたの工作のおかげで、私が築き上げてきた派閥は崩壊寸前だ」

「工作なんてとんでもありません。私はただ真摯に思うところを語り、それに共感する方々がいたというだけです」

「この期に及んで、その開き直り方は大したものだ。その点で私はあなたのことを見誤った」

「ですが、私の面会の申し出をあなたは断らなかった。それはまだ私に利用価値があると、そう見込んで下さっているからでしょう」


 キュンターの宇宙船はローベンダールからテネヴェに至る途上にある、連邦加盟国チャカドーグーの宇宙港に寄港中である。ローベンダールに帰国していたキュンターは、連邦評議会の再招集に応じてテネヴェに向かう途中、ここで補給中のところにジノから連絡を受けたのだ。


「あなたがチャカドーグーで待ち伏せしてまで私と話したいという用件に、興味があったというだけだ」

「私も、こうでもしなければ面会に応じて頂けないだろうと思っていました」

「その面の皮の厚さを見せつけられて、私は早速後悔しているよ」

「そう仰られますと恐縮ですが、私の話を聞いて頂ければご再考頂けるかと」


 尖った顎先を象る金髪の顎髭を撫でながら、ジノは心持ち上目遣いでそう言った。キュンターは視線を動かすことなく、薄い唇だけを動かして先を促す。


「勿体をつけられるのは好みじゃない。用件を聞こう」


 するとジノは上半身をわずかに乗り出して、キュンターの冷ややかな瞳を正面から見据えながら口を開いた。


「連邦軍が動き出しました」

「……分散した兵力を集結中なのだから、不思議ではないだろう」

「そうではありません。ファタノディ、ミッダルト、エヴァラシオでの集結再編は既に終わっています。このうちミッダルトに集結していた一軍が、トゥーランに向けて出撃したそうです」


 ジノの言葉の意味を理解したキュンターは、さすがに顔色を変えた。

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