第一話 ジェネバ・ンゼマの首(2)

(シャレイド・ラハーンディを追い続ける必要性は薄れた)

外縁星系コースト諸国の連携を阻止するのが目的だったからな。一斉蜂起を許してしまった以上、その優先順位は下がらざるを得ない)

「わかっている」


 脳裏に囁きかける《クロージアン》たちの言葉に、モートンも頷くほかない。


 テネヴェの中心街区セランネ区の郊外、かつてイェッタ・レンテンベリが根城としていた高層マンションの最上階で、モートンはひとりリビングのソファに腰を下ろしたまま、時刻は間もなく日付が変わろうとしていた。


 長身を屈めるようにして両膝の上に肘をつき、組んだ両手を口元に当てて、傍目にはひとりで苦悩して沈み込んでいるようにしか見えないだろう。

 だが、モートンの周りには目には見えない思念たちが、まるで彼を中心に渦巻くようにして漂っている。

 自分でも意識しないうちに《クロージアン》と《繋がれて》しまって以来、モートンには静かな夜を過ごすという選択肢は、もはや存在しない。


(《クロージアン》に《繋がる》全員が裏を掻かれた。君の友人は、敵ながら大した奴だ)

(彼が銀河系中を飛び回って連絡を取っていたのは、反連邦組織だけではなかったということだ)

外縁星系コースト諸国の政府とも話をつけていたとはね。むしろこちらが本命だったのかもしれない)

(各国の評議会議員――ジェネバ・ンゼマですら知らされていなかったことから推察しても、よほど秘密裏に進めてきたのだろう)

(評議会議員たちは皆、特別対策本部の解散に一縷の望みをかけていたからな)

(反連邦組織を一掃するまでは現状を堅持する、という判断に誤りはなかったと思うが)

(今さらだが、その判断が外縁星系コースト諸国そのものを追い込んだということだろう)


 照明のひとつも灯されていない室内で、壁一面の窓ガラス越しに射し込むセランネ区の街明かりに晒されながら、モートンはぼそりと呟いた。


「今後はジェネバ・ンゼマの拘束を優先させる」


 彼の一言は、既に《クロージアン》の総意として導き出されていた結論であった。


(彼女を取り除くのが、目下の目標だね)

外縁星系コースト諸国はまだ、個々の政府がばらばらに声明を出しただけだ)

(連合の体裁を整えるのはこれからということか)

(ようやく通信を確保したばかりなのだから、当然と言えば当然だ)

(ジェネバ・ンゼマを失えば、彼らもまとまりきる前に空中分解を起こすだろう)

(軍の派遣について、常任委員会から連邦評議会に提案させないとね)

(今の常任委員会は第一世代の中でも特に守旧派の連中ばかりだ。ほんの少し精神感応的に後押しするだけで済む)


 思念たちの囀りが、モートンの頭の中を駆け巡っていく。リビングは音ひとつない静寂に支配されているというのに、彼の精神は止むことのない喧噪の只中にある。


 四六時中溢れ続ける思念の奔流に身を置きながら、モートンが彼自身を保ち続けられたのは、シャレイドを探し出すという執念のおかげであった。《クロージアン》全体の目的と彼個人の欲求が一致している間、モートン・ヂョウはモートン・ヂョウの部分を多く残したまま、《クロージアン》の中で在り続けることが出来た。

 だが今、状況は激変してしまった。シャレイドの探索以上の至上命題が、《クロージアン》にとって出現した。《クロージアン》がジェネバの捕殺を優先させることに、モートンは抗えない。それはモートンの中のモートン自身が、《クロージアン》の総意に押し流されていくことを意味していた。


「エルトランザの動きも気になる。特別対策本部の権限で、軍には早々に動いてもらおう。評議会には事後報告を承認してもらうだけで十分だ」


 モートンは銀河連邦の倍の歴史を誇り、連邦に次ぐ実力を持つ複星系国家の雄の名前を口にした。外縁星系コースト諸国に対してエルトランザが裏で支援する可能性は、早い段階から警戒されている。


(今のところは表立った動きはないとはいえ、あの国はかつてローベンダール惑星同盟の独立を支援した過去がある)

外縁星系コースト諸国とは接していない以上、同盟戦争のときと同じようにはいかないだろうが、手をこまねいている必要はないな)

(帰国中の評議会議員には再招集をかけているけど、評議会の開催は早くても一ヶ月後になってしまうし)

(どのみち外縁星系コースト諸国代表は出てこれないだろうから、評議会が軍を動かすことに反対する可能性はないよ)

(とすると、外縁星系コーストの攻略ルートは……)

「可能な限り戦力を集結させて、最短距離でジャランデールを目指す」


 モートンは微動だにしないまま、唇だけを動かしてそう告げた。


「ジェネバ・ンゼマはジャランデールから動けない。リーダーの彼女が、外縁星系コーストの拠点とも言えるジャランデールから逃げ出すような真似をしたら、外縁星系コースト諸国全体の士気に関わる。我々はその点を存分に利用させてもらおう」

(だとするとトゥーランからジャランデールに至るルートが妥当ね)

外縁星系コースト諸国もそれは見越して待ち構えているだろう。彼らにしてみればトゥーランで我々を食い止めるしかない。逆に言えばトゥーランで我々が勝利すれば、九分九厘片がつく」


 そう言うとモートンはようやく口元から両手を外し、心持ち顔を上げた。


「それこそが連邦の安定、引いては《クロージアン》が生き延びるための、最適解だ」


 それはモートンが自らと《クロージアン》を同一視した、初めての発言だった。



「恐れ多い話だね。この首にそんな価値があるなんて」


 ジェネバは自分の首を右手で撫で回しながら、おどけた笑顔を浮かべる。しかしシャレイドの顔は渋いままだった。


「笑い事じゃない。おそらく連邦軍の主力が、ジャランデールを目指してやってくる」

「シャレイド、ジャランデールの前にはトゥーランがあるぜ」


 モズが暢気な口調で茶々を入れる。するとシャレイドは「その通り」と口ずさみながら、ベープ管の先を彼の顔に向け直した。


「そうなんだ、連邦軍が最短距離で動くなら、まずトゥーランを突破しなくちゃいけない。俺たちにとって勝ち目があるとしたら、そこしかない」

「つまり各国の軍をトゥーランに集結させて、そこで連邦軍を迎え撃つってことかい」


 床に座り込んだままのシャレイドと視線を合わせるべくしゃがみ込んだジェネバが、そう言って身を乗り出す。

 だがシャレイドは彼女の言葉に、首を振ってみせた。


「迎え撃つなんて、そりゃ無理だ」

「無理だって、じゃあトゥーランはどうなるのさ。ジャランデールは?」

「いくら外縁星系コースト諸国の軍を集めても、連邦軍に比べれば装備も練度も及ばない。まともに戦えば、まず負ける」


 シャレイドに冷静な顔で断言されて、ジェネバが絶句する。代わりに尋ねたのはモズの声だった。


「だからって、大人しく負けてやるつもりはないんだろう?」

「ああ」


 そう言うとシャレイドはベープ管を咥えて一口吸い込み、やがて白い煙を吐き出しながら薄い笑みを浮かべた。


「戦場で片をつけるつもりはこれっぽっちもないよ。俺の本領は盤外戦だ」

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