第二話 面影の行方(2)

「聞きたいことは色々とあるが、まず率直な感想を言っていいか、モートン」


 少なくともグラス半分はアルコールを摂取済みのジノは、既に目の縁がうっすらと赤みがかっている。その中で灰色の瞳が、いささか詰るような色合いでモートンの顔に向けられた。


「俺はてっきり、お前とふたりで飲み交わすものと思っていたんだ。それがどうしてここに彼女がいる?」

「あら、つれないわね。昔の女に向かって、その態度はないんじゃない」


 ジノに指差されて、フランゼリカはやや口の開いたカーディガンの裾をはためかせながら、拗ねたような物言いをする。だがその顔は明らかに彼の当惑を面白がっていたので、ジノは白々しい目つきで一瞥してから、再びモートンへと視線を戻した。


「お前に指定されてこの部屋に足を踏み入れたら、まさかフランゼリカに出迎えられて、俺は《オーグ》にでも化かされてるのかと思ったぞ」


 伝説上の化け物の名前まで引き合いに出して、ジノがどれほど驚いたのか想像がつくというものだった。


「そいつは悪かった。驚かすつもりは……なかったとは言わないが」


 モートンは謝罪混じり、苦笑混じりの笑みを浮かべて、フランゼリカの顔を見やる。


「フランゼリカは俺が保安庁に入庁したときの指導員だったんだ」

「指導員? てことは、フランゼリカは保安庁職員ってことか?」

「捜査官よ。この前までゴタン支部に詰めてたんだけど、任期を終えて今日テネヴェに着いたばかりなの」


 目をしばたかせるジノの顔を、フランゼリカが愉快そうに見返す。


「ジノが驚くのも無理はない。俺も、最初に会ったときはびっくりした」

「でも、あっという間に追い抜かれちゃったけどね。今は保安庁から安全保障局に抜擢されて、しかも私の上司みたいなものだし」

「上司?」


 訝しげに眉をひそめるジノに、フランゼリカは笑みを崩さないままに答えた。


「去年、安全保障局に新設された特別対策本部が、テロ対策のために軍と保安庁を統括して指揮するようになったのは知っているでしょう? あれを提案したのも、実際に仕切っているのも、彼よ」


 そう言ってフランゼリカから送られる流し目を、モートンは無言のままエールを呷ることで受け流す。ふたりが表情だけでやり取りを交わす様を目の当たりにして、ジノは不機嫌そうな顔を浮かべた。


「つまり今、連邦のテロ対策の指揮を執っているのはモートン、お前ってことか」

「大袈裟だよ。対策本部に名を連ねてはいるが、ただの使い走りさ」

「もしかして、ゴタンのドーウィエ議員逮捕を指示したのも、お前か?」


 ジノは半ば身を乗り出しながら、モートンの顔を正面から見据えて問い質した。モートンが彼の灰色の瞳を覗き込むと、そこには半端な言い訳は許さないという決意が見て取れる。

 だが彼が口を開く前にジノの問いに答えたのは、グラスの中のワインを空にしたばかりのフランゼリカだった。


「ドーウィエ議員を逮捕したのは、私」


 二杯目のワインを現像機プリンターから取り出しながら、フランゼリカは横目でジノを見る。


「有力筋――多分、議員のライバル陣営からの密告があったから、動かざるを得なかったの。でも議員があなたの後援者だと知って、私に動くよう手を回したのはモートンよ。あなたは彼に感謝してもいいぐらいだわ。私以外が向かってたら、きっと議員はもっと酷い目に遭っている」

「なに、そうなのか、モートン?」


 それまでの険しい顔に戸惑いをよぎらせながら、ジノが訊き返す。モートンはあくまで穏やかな表情で、ゆっくりと口を開いた。


「特にめぼしい証拠も得られなかったという話だから、今頃はもう釈放されているはずだ。俺は今日、彼女からそう報告を受けている。お前のところにももう少ししたら、議員から連絡船通信が届くんじゃないかな」


 毒気を抜かれた体のジノは、それまで張り詰められていた肩の力を抜いて大きく息を吐き出した。やがて閉じた両目を右手で揉み始めたのは、頭の中で状況を整理するために違いなかった。


「ややこしいことをしてくれるな」

「遠回しな対応になってしまったのは謝るよ。その件の説明も兼ねて、彼女にも来てもらったんだ」

「いくらゴタンとテネヴェが近いからって、到着したばかりのところを呼び出されたのよ。今日はホテルでゆっくりするつもりだったのに、人遣いが荒いこと」

「そうか。しかしそういうことなら、誤解して済まなかった」


 両目から右手を離して再び現れたジノの顔は、既に落ち着き払った真顔に取って代わっていた。


「だが、お前が相手だからあえて言う。議員の逮捕が誤認だったというなら、その遠因はお前たちにある」

「というと?」

「お前が所属しているという、その特別対策本部が設置されてから、保安庁の締めつけは度を超している。いくら外縁星系人コースターのテロ活動を取り締まるためとはいえ、一般の人々まで移動や集会が規制されて、密告が横行する有様だ。尋常じゃない」


 そこまで一気に捲し立ててから、ジノは一息をつくようにグラスを呷った。残り少ない琥珀色の液体を飲み干すジノを、モートンは両膝の上に肘をついて手を組みながら無言で眺めている。


「何を生温いこと言っているの?」


 ジノの言葉に刺々しく反応したのは、彼の向かいに座るフランゼリカだった。先ほどまでの愉快そうな笑みの代わりに、黒目がちの瞳には冷ややかな表情が浮かんでいる。


「私は現状に大満足よ。おかげで第一世代各国に潜んでいたテロ組織はほとんど摘発された。これを成果と言わずしてなんというのかしら」

「その摘発した人々のうち、本当にテロと関わりのあった人間がどれほどいるというんだ? 外縁星系人コースターの地位回復を求める合法的な政治団体や、ただ保安庁に毒づいただけの一般市民まで、相当含まれているじゃないか」

「大事の前の小事よ。そいつらだって今は大人しくしていても、いつ暴力に訴えるかわからない連中ばかり。だいたいそんなことを言っていたら、あの連中を叩きのめすことなんて出来ないわ」


 フランゼリカは憎々しげな感情を隠そうともせずに言い放つ。ジノは渋面を浮かべながらも彼女に対してそれ以上反論しようとせず、今度は肘掛け椅子の方へと目を向けた。


「モートン、お前もそう考えているのか」


 それまで長身を屈めながら、組んだ両手に四角い顎を乗せていたモートンは、そのままの姿勢でおもむろに口を開いた。


「そこまで極端なことを言うつもりはないよ。ただ、今は頻発するテロ活動を封じること、これが最優先だと思っている」

「こんなことをしていても、シャレイドは見つからないぞ」


 ジノの金髪の口髭の下からその名が口に出された瞬間、暖色の明かりに満たされた室内に、唐突な緊張感が走った。ソファの上で身体からだを半ば傾けていたフランゼリカが血相を変えて上体を跳ね起こし、射るような視線を放つ。モートンは微動だにしないまま、切れ長の目をジノの顔に注ぎ続けている。


外縁星系人コースターのテロ組織をひとつひとつ潰して回りながら、お前たちが躍起になって探し出そうとしているのは、シャレイドだろう」


 ふたりの顔を見比べながら、ジノもまたサイドテーブルの現像機プリンターから新しいグラスを取り出す。再び琥珀色の液体に口をつけるジノに、フランゼリカは食ってかからんばかりの勢いで顔を突き出した。


「当たり前でしょう。今の彼は連邦でも一、二を争うお尋ね者よ。外縁星系人コースターのテロを裏で操る、神出鬼没のジャランデール人。知らないとは言わせないわ」

「それはあいつを捕まえることの出来ない保安庁が、八つ当たりで吹聴した幻想だろう。実際にあいつがテロに関わったとされる証拠がひとつでもあるのか」


 グラスから口を離して、ジノはフランゼリカの憎悪に満ちた視線を真っ向から受け止める。


「現にテロ組織の近辺で彼の姿を見たという証言は、山ほど集まっているの」

「あいつが連邦中の外縁星系人コースターに接触して回っているのは事実だろうが、さっきも言った通りその大半はテロとは無縁だ。それなのにあいつをテロの指導者と見做すのは短絡過ぎる」

「彼の父も兄も、ジャランデール暴動の指導者として逮捕されている。疑うなという方が難しいわ」

「そのふたりとも罪状は確定していないはずだ。決定的な証拠には程遠い」

「ジノ」


 熱くなるふたりの間に割って入ったのは、モートンの低い、だが良く通る声だった。


「シャレイドに会ったのか」


 ダークブラウンの瞳に真っ直ぐに見据えられて、ジノもまた怯むことなく灰色の瞳でモートンの顔を見返した。


「会ってはいない」

「連絡は取っているんだな」

「あいつから一方的にメッセージが届いただけだ」


 そう言うとジノは言葉を切り、喋りすぎて乾いた唇を湿らせるためだろう。さらにグラスを呷ってから、再び口を開いた。


「俺が連邦評議会議員の選挙で当選してすぐ、通信端末イヤーカフに通信が入ったんだ。『おめでとう、ジノ』ってな」


 まるでそのときの記憶を反芻するかのように、ジノは瞼を伏せる。


「その一言だけだ。俺が呼び返しても、それ以上の返事はなかった。だけどあれはシャレイドの声だった。忘れるはずがない」

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