第二話 面影の行方(1)

 惑星テネヴェの首都セランネ区の東端には、海に面して南北に突き出した岬に囲まれたセランネ湾が広がっている。かつてはテネヴェの水産業の中心として栄えたこの一帯には、二百年の時を経て銀河連邦の主要施設が建ち並び、今や銀河系の中心地と呼んでも過言ではない。


 銀河連邦の創設当初は常任委員会本部ビルと連邦評議会ドームしかなかったセランネ湾岸地域――今はエクセランネ区と名づけられたこの一帯は、年を経るごとにメガフロートが湾を埋め尽くしていき、その上には様々な建造物が競うように築かれていった。航宙・通商・安全保障・財務の連邦主要四局はそれぞれ独立した本部を構え、ほかにも関連組織や連邦関係者を相手にした民間業者などの施設が、所狭しとひしめき合っている。


 連邦安全保障局ビルと、その下部組織である保安庁本部及び連邦軍総司令部は、それぞれが三角形の頂点を成すような形で立ち並ぶ。保安庁本部のような近代的な赴きとも、連邦軍総司令部のような重厚さとも異なる、ほとんど窓のない直方体のような無機質な建物は、銀河連邦の域内の安全保障を一手に引き受ける組織の象徴として、独特の威圧感を漂わせている。


 建物の大きさに比して小さく口を開けた、安全保障局ビル地上一階の正面玄関からモートンが姿を現したのは、間もなく日付が変わろうという真夜中のことであった。


 モートンは早足で歩きながら耳朶に触れて、通信端末イヤーカフの回線を繋ぐ。


「ああ、今から行く。三十分ぐらいで着くと思うから、悪いが先に始めていてくれ」


 通信を終えると同時に、目の前にタイミング良く現れた無人のオートライドに乗り込む。行き先を告げられたオートライドは、走り出して間もなくパイプ・ウェイに乗り入れて、スピードを上げた。


 押し並べて権威的・威圧的な建物の多いエクセランネ区の街並みが、オートライドの窓ガラス越しに高速で後ろに流れ去っていく。取って代わるように現れたのは、伝統的な趣きと雑多な活力が混在するセランネ区の街並みだった。パイプ・ウェイから下道に降りたオートライドは、セランネ区の繁華街を突っ切ると、やや郊外の住宅街と覚しき一帯に向かう。長年の歴史を経て新旧様々な建物が建ち並ぶ中、オートライドは古めかしい外観の高層マンションの車止めで停車した。

 建設当時は近隣で並ぶもののない高さを誇ったというが、今や周囲にはさらなる高さを誇る建物が林立している。だがそのマンションの最上階、八十八階のペントハウス形式のフロアから望むことの出来るセランネ区の夜景は、建設当初と変わることのない絶景を保っていた。


 モートンの乗り込んだエレベーターが最上階に到着して、開いたドアの向こうで彼を出迎えたのは、真っ黒な布地が足首まで届くほど丈の長いワンピースの上に、これも丈の長いベージュのカーディガンを重ねて、顎先ほどの長さに切り揃えられた短い黒髪を揺らすフランゼリカの姿だった。


「お帰りなさい、モートン」


 柔らかい照明に照らし出されて、フランゼリカはワンピースの裾の下で長い脚を組みながら、しなやかな肢体をソファに沈めている。赤い液体が注がれたグラスを掲げて、厚ぼったい唇の口角を上げながら、彼女の黒目がちの瞳はモートンが羽織るコートに向けられた。


「安全保障局のエリート局員が、随分とくたびれたコートを着ているのね」


 モートンは真っ黒い防水コートを着用していた。屋外作業時の使用を想定されているであろうそのコートは、その性質上耐性には優れているようだが、ところどころ色落ちしたり傷や汚れが目立つ。


「院生時代からの使い古しだからな。これでもまだ十分使えるし、ぼろぼろになるまで着倒すつもりでいるよ。それよりも遅くなって済まなかった」

「気にしないで。こっちは勝手に頂いていたから。もっとも……」


 そう言ってフランゼリカは、リビングの反対側に目を向ける。


「あちらは首を長くして待っていたみたいよ」


 フランゼリカの視線の先には、昨今には珍しい壁一面のガラス窓が嵌め込まれている。その向こうにはセランネ区の夜を彩る鮮やかな街明かりが、地平線の先まで埋め尽くすように広がっていた。遠くに聳えて見えるのはエクセランネ区の象徴ともいえる、連邦常任委員会本部ビルの灯りだろう。このマンションの建設当時からさらに美しさを増したであろう夜景に、だが背を向けたままガラス窓に凭れ立つ人物がいた。


「久しぶりだな、モートン」


 その人物は灰色の瞳に懐かしさと厳しさとが入り混じった表情をたたえながら、金髪の口髭の下の口を開いた。彼の顔を見て、モートンの無表情が緩やかに破顔する。


「九年ぶりになるか。会えて嬉しいよ、ジノ」


 モートンが差し出した右手を、ジノもまた無言で握り返す。固い握手の後にモートンが口にしたのは、ジノの容貌についてだった。


「それにしても随分と見違えたもんだ。街中で擦れ違っても、すぐには気がつかないぞ」


 モートンが言う通り、久々に会うジノはすっかりと様変わりしていた。均整の取れた体型は変わらないものの、かつての柔らかい金髪は短く刈り込まれて広い額が顔を出し、代わりに丁寧に整えられた顎髭が尖った顎の輪郭を縁取っている。ジェスター院の頃の面影といえば、目力の強い灰色の瞳と、金髪の口髭ぐらいしか残っていない。


「お前は院にいた頃と変わってないな、羨ましいよ」


 ようやく口元に笑みを浮かべながら、ジノが己の額に手を当てる。


「俺の方は気苦労ばかり多いせいか、年々額が広がっていくものだから、この際と思ってイメージチェンジしてみたんだ」

「その方が男らしさが増して、いい感じよ、ジノ」


 ソファの上からそう言って冷やかすフランゼリカに、ジノが横目でちらりと一瞥を投げかける。


「君も、自慢の髪を随分とばっさり切り落としたものだな」

「院を辞めてすぐ、この髪型にしたの。似合うでしょう?」


 フランゼリカは両手で自らの髪を撫でつけながら、屈託のなさそうな笑顔を向けた。彼女の笑顔に向かってジノは一瞬何か言いかけて、結局そのまま口をつぐむ。ふたりの間に流れる微妙な空気を感じ取りながら、モートンはジノの肩に大きな手を置いた。


「言いたいことはあるだろうが、まずは九年ぶりに乾杯しようじゃないか」


 モートンに促されて、ジノも頷きながらフランゼリカの目の前、テーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろす。モートンはソファの脇に据え置かれたサイドテーブル兼現像機プリンターからエールの入ったグラスを取り出すと、テーブルの横の一人掛けの肘掛け椅子に着席した。


「久方ぶりの再会を祝して」


 ジノがそう言って手にしたグラスの中には、既にほとんど跡形を残さない氷の欠片と、琥珀色の液体が三分の一ほど満たされている。彼のグラスにグラスを軽く当てながら、モートンは一言祝辞を言い足した。


「そしてジノ・カプリ連邦評議会議員の誕生に乾杯だ。大したもんだな、ジノ。まさか本当に、しかもその歳で評議会議員になってみせるとは、正直言って驚いたよ」

「私も同期として鼻が高いわ。おめでとう、ジノ」


 フランゼリカが差し出したグラスに、ジノは表情が定まらぬままに「ありがとう」と答えて自分のグラスの縁を当てる。三人それぞれグラスの中の液体を喉に流し込むと、思い思いにアルコール臭の混じった息を吐き出した。

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