第一話 寒波猖獗(2)
九年前、乗客乗員千五百人超の命を奪ったトーレランス78便の爆発事故は、その後の捜査で
同便の目的地であるイシタナでは銀河連邦中の金融界トップによる会合が予定されており、ミッダルトの金融関係者もこの会合に出席するために乗船していたのである。連邦第一世代の金融関係者は、通商局や保安庁と共に
「トーレランス78便の悲劇を繰り返すな」
その後、銀河連邦中で声高に唱えられることになる合い言葉と共に、
ただでさえ日々の生活苦に喘ぐ
「連邦はどうしてこれほど
真っ白な髪のところどころに、かつては栗色だった髪の毛の名残を残す老人が、目の前に浮かび上がる立方体のホログラム映像から視線を逸らさずに、そう尋ねた。
連邦軍の将官級の制服に身を包んだ老人は、肘掛け椅子に腰掛けてもぴんと通った背筋を崩さず、ホログラム映像を映し出すテーブルの端にはごつごつとした節くれ立った手が組まれたまま置いている。
「
立方体を挟んで老人の向かいの席から答えたのは、老人にしてみれば子供と言って良いほど年の差の離れた、青年の声だった。
「有り体に言えば、
青年はそう答えながら長身を屈めて、おもむろに立方体に向かって何やら指を動かした。すると立方体の中に散りばめられていた赤と青の二色の駒の内、青い駒のひとつが淡く光り出したかと思うと、真っ直ぐに赤い駒の群れの中へと切り込んでいった。青い駒の動きに合わせて、赤い駒のひとつが音もなく弾けて消える。その様子を見て、老人の白い眉がぴくりと動いた。
「ふむ、そう来たか。思いの外大胆な手を指す」
「前回は慎重に行きすぎて痛い目を見ましたからね。少し手を変えてみました」
穏やかな笑みをたたえる青年に対して、老人はいかめしく保たれた表情を崩そうとはしない。ひとしきり唸ってから、テーブルの端で組まれた手を解いて指先を動かすと、赤い駒のひとつが陣中に飛び込んだ青い駒の背後に移動した。
「
駒を動かし終えた老人が口にしたのは、先ほどの話題の続きだった。
「だが根源にあるのは、古い記憶だ」
「記憶?」
老人の指し手に対して青年は間を置かずに駒を動かすと、そう言って顔を上げた。老人もまた青年の顔を見返して、いかめしい顔のまま頷く。
「そうだ。かつてバララトが経済支援に前のめりになった結果、支援先はまとめてローベンダール惑星同盟として独立してしまった。その惑星同盟を母体とする銀河連邦は今、
「惑星同盟……歴史の講義で習ったことはありますが、それ以上に意識したことはありませんね」
「それは私もだよ。惑星同盟の構成国だったイシタナ人の私ですら、その程度だ。だが、どういうわけかテネヴェは、惑星同盟の二の舞を恐れている」
ふたりの会話の間にも、立方体の中の駒はときにゆっくりと、ときに間髪置かずに動き続けている。赤い駒と青い駒は一進一退の攻防を繰り返しているように見えたが、手が進むに連れて眉根を寄せていったのは老人の方だった。
「これは参った。各個撃破の餌食になってしまったな」
そう言って投了した老人に向かって、青年が満足そうな微笑を浮かべてみせた。
「これで私が星ひとつ勝ち越しですね、提督」
「今日の対局は、あれかね。君が立案した対
そう言って老人が、青い瞳を動かして視線だけを青年の顔に寄越す。すると青年は白い歯をちらりと見せて、頷いた。
「提督には出過ぎた真似だったかもしれませんが、仰る通りです」
「
「反連邦を掲げる
青年がテーブルの端に手を触れると、立方体の中でそれまでの対局が巻き戻されていく。やがて対局が終盤に差し掛かった時点、ちょうど赤い駒が個々に分断されたばかりの状態になったところで、巻き戻しは止まった。
「最も恐れるべきは、彼らが組織的にまとまることです。その前に軍や保安庁の総力を投じてひとつひとつ潰していく。時間はかかるかもしれませんが、これが最良と考えます」
その言葉と共に立方体の中の駒たちは、先ほどの対局の終盤の様子の再現を始める。互いに連携が取れない赤い駒たちは青い駒の集団に次々と粉砕されていき、やがて総数を半分にまで減らしたところで動きを止めた。
「先日、ゴタンの反連邦組織の掃討が完了したとの報告が入りました。これで
彼の言葉と共に、立方体のホログラム映像がテーブルの上からベープの煙のように霧散する。ふたりはしばらくそのまま顔を見合わせていたが、やがてホログラム映像投影盤だけが記された卓上で組まれていた老人の手が、おもむろにほどかれた。
「いいだろう。だとするといよいよ我々の出番ということになるかな」
老人の親指が自らの胸元を指しているのを見て、青年が小さく頷く。
「はい。直接の戦闘行為は今のところ想定しておりませんが、反連邦組織だけでなく、
「そんなに下手に出なくとも、もっと堂々と命令すればいい。安全保障局が特別対策本部を設けて、直接現場の指揮を執るということに抵抗があったのは事実だが、ここまで順調に成果を出しているんだ。今では軍も保安庁も、表立って反対する者はおらんよ」
「対策本部の設置は、提督のお口添えがなければ上手くいきませんでした。感謝してもしきれません」
「ほかならぬ君の頼みだ。私情が混じったことは否定しないが、私は君の能力をこそ信用している。そして君は私の見込みを上回る働きぶりを見せてくれている。それで十分だ」
「恐縮です」
そう言って青年が、長身の上に乗ったダークブラウンの頭を軽く下げる。低頭する青年を見守る老人の目は、心持ち細められていた。
「娘は人を見る目は確かだった。あれのお墨付きなら、私も信用出来るというものだよ」
それまで憮然として見えた老人の顔には、その言葉を口にした瞬間だけ、懐かしむような表情がよぎって見えた。青年もまた、老人の表情に共鳴するかのように切れ長の目を伏せる。
「お墨付きだなんてとんでもない。私はいつも間違ってばかりです。お嬢さんのことだって……」
「それを言うなら私こそ、どうして無理にイシタナに呼び戻そうとしたのか、未だに後悔し続けているよ」
はっとして口をつぐむ青年をよそに、老人は肘掛け椅子から立ち上がると、壁に掛けられていた制帽を手に取った。
「さて、そろそろ戻らないと副官に睨まれてしまう。出来ればもう一局指したかったが、次回の楽しみとしておこう」
白髪の頭に制帽を被せた老人は、そこで初めて口元に笑みを浮かべた。彼に続いて席を立った青年が、老人を見送るためにその横に立つ。その顔には既に穏やかな表情を取り戻されていた。
「ホスクローヴ提督は特別対策本部の幹部メンバーです。気兼ねなさらず、いつでもお越し下さい」
「そのときにはまた、
「もちろんです」
連邦安全保障局ビルの一室で、連邦軍の制帽に添えるようにして敬礼を取る老人は、銀河連邦軍でも輝かしい戦歴を誇る名将クレーグ・ホスクローヴ提督。そして彼と相対して敬礼を返すのは、安全保障局特別対策本部付の主任局員として連邦軍や保安庁を統括し、
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