第五話 開眼(3)
ヴューラーが口にしたのは、誰もが知る銀河系人類始まりの星の名であった。
「銀河系の片隅にいながら人々の信仰を集める、あの星を仲間に引き込んで、彼らの口から銀河連邦への参加を呼びかけさせられれば、応じるところも出てくるでしょう」
ヴューラーの提案に対して、ふたりの反応にはいささかの差があった。
ディーゴは口元に手を翳したまま、何事か呟きつつ、何度も確認するかのように頷いている。一方息子に比べて、父親の表情は納得からは程遠い。
「スタージアの持つ影響力は疑いようもないが、さすがに遠すぎるのではないか。往復で二ヶ月近くもかかる僻地だ。下手をしなくてもこちらのコントロールが及ばず、向こうに主導権を奪われかねない」
「親父、それは大丈夫だ。スタージアが主導権を握ろうとすることは、おそらくない」
口元から手を外して反論する息子に、キューサックは瞳だけを向けてその理由を問う。するとディーゴは組んでいた脚を解き、空になったグラスをテーブルの上に戻しながら身を乗り出した。その顔からは浮薄な表情が一掃され、先ほどまで気怠そうにワインを呷っていた彼とは、まるで別人だ。
「スタージアがその気なら、とっくにそうしている。なのに奴らが求めてきたものといえば、辛気くさい信仰と、有象無象の知識ばかりだ。奴らには、自分たちの手で銀河連邦を樹立しよう、というつもりはないんだ」
「言いたいことはわからんでもないが、だとしたら、そのつもりがない連中をどうやって説き伏せる?」
「今言った通りのことさ。スタージアが信仰と知識を求めるのなら、その安定供給を保証してやればいい」
そう断言するディーゴは、鼻腔を膨らませ、瞳は徐々に興奮の色を帯びていった。
「銀河連邦結成の暁には、連邦加盟国民のスタージアへの巡礼義務化を約束する。成人に強いるのは難しいかもしれないが、教育課程に組み込むなどして巡礼習慣の下地作りをすることは可能だろう。銀河系人類のルーツを学ぶなど、お題目ならいくらでもある」
熱く語るディーゴの頬は紅潮し、口にするまでの瞬間までもがまだるっこしいのか、口調が早口になっていく。まるで脳髄の奥底に詰まっていた蓋が突然外れて、それまで溜め込まれていた思考が溢れ出して来るかのようだった。
「そのためにも航宙の確保が不可欠だ。現状、宇宙を旅するには独立した星系をいくつも跨ぎ、その度に検問で足止めを食らう。だけど銀河連邦が成立すれば、域内の航宙路の整備と安定した運用が可能になり、移動の面倒を大幅に省略できる。そうなれば巡礼者も安全かつ確実に、スタージアを訪れるようになるだろう。むしろ航宙の確保こそ、銀河連邦結成の大義名分にすべきだ」
ディーゴの熱弁は止まらない。彼の言葉はもはやその場にいるふたりに向けられたものではなく、己に言い聞かせて、確認し、整理するための思考の手段であった。いつの間にか席から立ち上がり、モトチェアとソファとテーブルの間をせわしなく歩き回りながら、ディーゴの口からは銀河連邦構想の具体的な姿が紡がれていく。キューサックはわずかに目を見開いて、ヴューラーはついにソファから半身を起こして、徘徊するディーゴの姿をただ視線で追うばかりだった。
「航宙の安全が確保できれば、通商も活発になる。可能な限り関税は撤廃したいな。そうなればあらゆる経済が活性化し、連邦域内は大いに発展するだろう。そしてこれら全てを守る安全保障体制も必要になる」
そこまで口にしてから、ディーゴはようやく歩みを止めた。ちょうどソファの目の前で立ち止まった彼は、不意にヴューラーへとびきりの笑顔を向ける。
「グレーテ、あなたのお陰だ」
ヴューラーはディーゴが何を言いたいのか理解できず、唖然としたままの表情で尋ね返した。
「私?」
「スタージアを意識することで、テネヴェのためだけではない、銀河連邦のあるべき姿がようやく見えてきた。今、俺の頭の中にあるものを草案にまとめることが出来れば、スタージア以外にもより多くの国々を説得する材料になる」
応接間の中央に立って力説するディーゴは、おそらくこれまでの人生で最大の自信に満ち溢れていた。議会の最大会派を率いる重鎮と、父であり最高権力者である市長というふたりを、間違いなく圧倒していた。果たして彼らがディーゴの勢いに呑まれたのか、それとも呆れ果てていたのかはわからない。だが少なくとも彼が口にした『銀河連邦のあるべき姿』は、それぞれの脳裏に確実に刻み込まれただろう。
「その草案を仕上げるのに、どれほどの日数が必要だ」
仁王立ちのディーゴの背中に、キューサックの問う声が投げかけられた。振り返ったディーゴの顔は幾分落ち着いたのだろう、熱に浮かされたのかのような興奮は既に収まっている。
「そうだな、十日……いや、一週間あれば」
「五日で仕上げろ。そしてその草案を携えてディーゴ、お前がスタージアを説得してこい」
キューサックの表情からも、息子の変貌を前に隠しきれなかった驚きは、既に拭い去られていた。然るべき指示を下す指導者の顔で、キューサックはディーゴに指先を向ける。
「私もヴューラーも、二ヶ月もテネヴェから離れるわけにはいかん。この中で最も身軽なのはお前だ。他におるまい」
己に向けて突き出された骨張った指先から、キューサックの皺だらけの顔へと視線を移して、ディーゴは得心の笑みで頷いた。
「承った。早速、今から草案の作成に取りかかる」
「任せたぞ」
父からの、初めて全幅の信頼を寄せた言葉を背に受けながら、ディーゴはあっという間に応接間を飛び出していった。
補佐官の背中が応接間の扉の向こうに消える。残されたふたりはその様子を見送ってからも、しばらく無言だった。ヴューラーがベープの煙と共に口を開いたのは、しばらくしてからのことであった。
「面白い男ね。やる気がないのかと思えば、突然目が覚めたように捲し立てる。昔からああだったの?」
「いいや。あなたの知る通り、生粋の穀潰しだ」
「その割には迷いなく大役を命じたように見えたけど」
「ふん」
ヴューラーに指摘されて、キューサックはしかつめらしく鼻の頭を掻く。
「言った通りだ。他に任せられる者もいないだろう」
その様子をヴューラーは愉快そうな目つきで眺めていたが、次に発せられた言葉は表情とは裏腹に冷静だった。
「テネヴェの命運は、あなたの息子に託された、というわけね」
「不満かね?」
市長の言葉を、ヴューラーは嘲るかの如く「まさか」と一蹴する。
「そもそも彼の発案に、私もあなたも乗せられてここまで来たのよ。今さらケチをつけるつもりはないわ」
褐色の肌色が覗く長い脚を組み替えて、ヴューラーはソファに深々と
「市長、あなただってもう後には退けない。今の私たちは一蓮托生なのよ」
そう言ってヴューラーが突きつけたベープ管の先で、銀色の薔薇が鈍い輝きを放つ。キューサックは薔薇の輝きに一瞥をくれると、再び「ふん」とだけ唸って、窓越しに屋敷の外に顔を向けた。
緩やかに降る丘陵の斜面に引かれた一本道を、ディーゴが乗るオートライドが走り去っていく。その明かりが木々の合間に隠れて見えなくなるまで、キューサックの目は窓の外に注がれ続けていた。
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