第五話 開眼(2)

「あと一年だ」


 キューサックはそう言って、モトチェアの向きをゆっくりと左に回転させた。


 重厚な窓枠に嵌め込まれた大きな窓に、年季の入った皺が刻み込まれた市長の顔が映し出される。窓の外は既に夜の帳に覆われて、そこに見えるはずの丘陵も、その向こうに広がるはずの木々も、黒々とした輪郭だけをぼんやりと浮かび上がらせていた。彼がこの時間にヴューラーの別宅にこうして集う回数は、既に二桁を超えている。


「アントネエフには次の議会まで結論を待つよう、言質を取った。それまでに我々は、銀河連邦構想の実現――少なくともその入り口にまでたどり着かねばならん」

「一年って、もしかして臨時議会を招集しないつもり?」


 ソファに長身を横たえながら尋ねるヴューラーの口調に、非難めいた響きがこもる。テネヴェの市民議会は半年間に渡る定例議会が毎年招集されるほかに、不定期招集の臨時議会がある。臨時と称しつつも、実際には定例議会の二、三ヶ月後に毎年招集されるのが常であり、当たり前のように議会日程に組み込まれている。その臨時議会を、キューサックはあえて招集しないというのだ。それもこれも、アントネエフの要請への返事を引き延ばすためである。


 彼女の向かいの席で脚を組んでいたディーゴが、卑屈とも軽薄ともつかない笑みを浮かべた。


「当然納得しない議員も多いだろうが、なに、グレーテなら抑え込むのは容易いだろう」

「簡単に言わないでちょうだい」


 ヴューラーの大きな目に睨まれて、ディーゴは大袈裟に肩を竦める。


「仕方がない。他の独立惑星国家を説得するには、一年でも全然足りないぐらいなんだ」


 そう言ってディーゴはワインの入ったグラスを一口に傾けた。目の前のテーブルの上で封の開いたボトルには、ヴィンテージものであることを示すラベルが貼り付けられている。すっかりこの屋敷に通い慣れてしまったディーゴは、ヴューラーに断りなく秘蔵の酒を口にするのも気兼ねしない。


「ディーゴの言う通りだ」


 キューサックは再びモトチェアを回転させてふたりに向き直った。眉間にくっきりと浮かび上がる縦皺が、ひときわ深い。


「他国の首脳陣に打診はしているものの、反応は薄い。サカ王の即位式で列席者にそれとなく声を掛けてみたが、多少でも乗り気を見せたのはチャカドーグーの首相ぐらいだった」

「チャカドーグーは私たち以上にローベンダールの圧力を受けているからね。藁をもつかみたいところでしょうよ」

「やはりテネヴェが主導する形では、思うように賛同者も集まらん」


 深くため息を吐き出すキューサックの顔に、やや疲れが見える。ヴューラーとディーゴに説き伏せられたとはいえ、銀河連邦構想を首肯したのは彼自身だ。だがなかなか好転しない状況下では、経験豊富なキューサックであっても疲労感を拭えなかった。


 銀河連邦というアイデア自体は、実はさして物珍しいものではない。


 古くはカーロ・デッソ率いるスタージア初の開拓団によって、最初の入植先である惑星エルトランザが切り拓かれた頃から既に、将来的な人類社会の理想型のひとつとして語られてきた。その後もスタージアを旅立った開拓団たちがエルトランザをリーダーとして仰ぎ続けたのであれば、いずれ銀河連邦の雛形が形成されていっただろう。

 だが実際には多くの開拓団が、それぞれの入植先で独立した国家の形態を取る。様々な事情があるが、最大の要因は距離であった。エルトランザを含めて、それぞれが有機的に連動するには余りにも距離が遠すぎたのである。近隣の星系に入植可能な惑星が見つかることはごく稀な話であり、その稀少なケースを活かして複星系国家へと発展したのがエルトランザ、バララト、サカであった。その後、宇宙船の性能が向上し、開拓初期ほど距離に悩まされなくなった頃には、既に三つの複星系国家とその他大勢の独立惑星国家という図式が出来上がってしまっていた。


 そういう意味でローベンダール惑星同盟という国家は、銀河系人類史でも異色の存在である。

 既存の独立惑星国家たちが手を取り合い、複星系国家に抗って初めて主権を確立したのだ。

 それまでも航宙権や通商権益を巡っての争いはあったが、既成の枠組みを覆すまで至ったのはローベンダール惑星同盟が初めてである。ローベンダールの成立は、銀河系人類社会が新たな段階を迎えたことを、人々に否応なく認識させることになった。


「銀河連邦は今や夢物語でもなんでもない。独立惑星国家たちによる共同体の可能性は、それこそローベンダールが証明している」


 ディーゴがそう言うのも、あながち的外れなわけではないのだ。


「だからといってこのままでは埒があかない」


 銀色の薔薇を象った、豪奢な飾りを纏うベープ管を右手に持ち、その先で左の掌を叩きつけながら、ヴューラーの表情は険しかった。


「私たちが思った以上に見くびられた存在だということはよくわかったわ。ならば味方を増やすしかない」

「それはローベンダールのことか。彼らに構想を打ち明け、その力を借りて銀河連邦を実現させると」

「何を言っているの、市長。それじゃ本末転倒でしょう。彼らを誘い入れるのはもっと後よ。あなたの言う通りにしたら、ただ単に連中の版図拡大に手を貸すだけになる」


 寝そべったままの姿で市長の顔を横目で見返しながら、ヴューラーはベープ管の吸い口に口をつけた。軽く吸って吐き出された煙が、彼女の派手な顔立ちを覆う。


「ひとつ、打ってつけの相手がいるわ」


 煙が晴れた後に現れた彼女の黒い瞳が、ソーヤ親子の顔を見比べる。すると、おそらくはアルコールに醸された睡魔のせいで、それまでは半ば塞いでいたディーゴの瞼が、不意にゆっくりと見開かれていった。右手を持ち上げて口元に当てた補佐官の目が、上目遣いにヴューラーの顔を見返す。その表情の変化に若干の違和感を覚えつつ、ヴューラーは手を組むべき相手の名を口にした。


「スタージアよ」

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