第三話 ヴューラーという女(1)

 多くの人々が集まることによってもたらされる、活気と喧噪がセランネ区の特徴だが、官公庁が集まる区画――とりわけ市長官邸の周りはその他とは異なり、一種独特の落ち着きに包まれている。キューサック・ソーヤが官邸の主人となってからも、その傾向は変わらない。


 キューサックは惑星国家テネヴェの十五代目の市長に当たり、現時点で三期十二年と歴代最年長の任期を誇る。硬軟両面を併せ持つ老獪な政治家として味方からも敵からも一目置かれる彼は今、官邸の市長執務室で透過パネル端末に目を通していた。


「ローベンダールからの連絡船通信は、どのような用件でしょうか」


 執務用デスクを挟んだ向かいに立つロカ・ベンバが、控えめに尋ねる。するとキューサックは返事の代わりにパネルをくるりと回転させて、表示面をロカに見せつけた。


「送り主はまた、アントネエフですか。内容は……相変わらずですね」


 パネルを覗き込みながら、ロカが渋面を浮かべる。


「毎度異なる言い回しを考えつくのは感心するが、要約すればさっさと惑星同盟に加盟しろ、その一点張りだ。芸がない」


 キューサックも深い皺の入った顔に憮然とした表情を浮かべたまま、腰掛けていたモトチェアの背凭れに小柄な身体を預けた。弾みでモトチェアが前後に揺れる。二年前から足腰を悪くしている彼は足代わりも兼ねて、ジャイロスタビライザーを搭載したモトチェアを愛用していた。


「とはいえこのタイミングでまた連絡してきたのは偶然ではありません。我々の惑星開発計画の頓挫が、ローベンダールにも知れ渡っているということでしょう」

「当然だな。ここまで騒ぎになっては隠し通せるものではあるまい」


 スタージアで執り行われた祖霊祭からディーゴとロカが帰還して、既に二ヶ月以上が経過している。これまで公には伏せられていた惑星開発計画だが、二度にわたる惑星CL4の有人調査が散々な結果に終わると、その調査結果まで隠し通すことは出来なかった。莫大な予算を投じて秘かに進められていたという計画の失敗を巡って、世論は推進派の糾弾へと過熱した。矛先が推進派議員だけに向けられている今はまだ良いが、キューサックもまた計画に与したことは間違いない。遅かれ早かれ、やがて彼の元にまで追及の手が及ぶだろう。


 だがロカはそんな予想を、確信した面持ちで否定した。


「市長まで非難されることは、少なくとも当面はないでしょう」


 なぜそう言い切れるのか。キューサックが視線で先を促す。


「補佐官が非公式ながら報道機関に対応しております。どういう伝手をお持ちなのかはわかりませんが、各社の上層部と接触して市長批判を封じる方向に誘導されているようです」


 思いがけないロカの報告に対して、キューサックは無言だった。ただ彼の片方の眉がわずかに跳ね上がったのを、長年仕えてきた秘書は見逃さない。ロカは主人に代わって感慨深げに感想を漏らした。


「祖霊祭から戻られてからのご子息は、精力的に政務をこなされています。こう申し上げては何ですが、以前に比べるとまるで別人ですね」

「今まで遊び呆けてばかりいたのだ。目を覚ますのが遅すぎる」

「ですが目を覚まさないままでいることに比べれば、雲泥の差ですよ」


 キューサックは憮然とした表情を崩さないまま、しばらく白い顎髭を右手で撫でていたが、おもむろにモトチェアをロカに向け直して尋ねた。


「倅は何か改心するような切欠でもあったのか。祖霊祭ではアントネエフに怖じ気づいているだけだったと聞いたが」

「確かに完全に腰が引けていましたが、あの場では無難に挨拶を交わすことが出来ただけでも上出来でしょう。何しろ相手はローベンダールの中でも三大勢力のひとつを束ねる大物ですから。如何せん役者が違いすぎます」


 ローベンダール惑星同盟は加盟各国の代表による合議制を敷いている。同盟戦争中は独立という目的のために一致団結していたが、いざ独立を果たした後は主導権を巡る派閥争いが激しい。独立後もローベンダールが膨張政策を採用するのは、国民の目を外に向けることで内部対立を回避するため、という推測さえあるほどだ。現在ローベンダールの主要派閥は三つあるが、アントネエフはその中の一つ、彼の出身惑星スレヴィアを中心にまとまるスレヴィア派を率いている。


「あの鼻持ちならん男に刺激されて、というわけでもなかろう」

「それは、帰国するまでは船の中でも特にお変わりはありませんでしたから、おそらく無関係でしょう。他に思い当たることといったら、戻られてすぐ新しいスタッフを雇い入れた点でしょうか」

「あの調査隊の生き残りか。名はなんと言ったかな」

「イェッタ・レンテンベリです」


 透過パネル端末の表面になにやら指先を走らせてから、ロカは再びパネルを回転させてキューサックに向けた。パネルには蜂蜜色の髪を両肩に垂らした、整った顔立ちの女の顔が表示されている。以前にも目を通したことはあるはずだが、キューサックは改めて女の顔写真をまじまじと見つめた。


「若いな」


 端末を押しやりながら顔を上げたキューサックは特に感じ入ることもなく、無難な感想を口にした。


「確かに美人かもしれないが、たかが女ひとりで態度を改めるような、そんな殊勝な奴でもないだろう。それともこの女は政界に縁でもあるのか。レンテンベリという名は聞いたことがないが」

「いえ、調査隊以前は医者だったそうです。おそらくこれまでも政治に関わりはないかと」


 首を振るロカを、キューサックが釈然としない面持ちで見上げる。


「わからんな。そもそも倅はどこでこの女と知り合ったんだ」

「先日の調査隊の報告会では顔を合わせているでしょうが、ご子息が彼女を私設秘書に取り立てたのがその翌日ですから、それ以前から面識があったと考える方が自然でしょうね」


 キューサックはしばらく考え込むような顔つきのまま、オフィスの窓の外へと視線を移した。市長官邸の前には大きな緑地が広がり、中央には仰々しい彫像が屹立した噴水が設けられている。彫像の天辺から振りまかれる水の軌跡を目で追いながら、「まあ、これ以上詮索しても仕方あるまい」と呟いた。


「ここに来て使える手駒がひとつ増えたのだから、素直に喜んでおこう。その秘書のお陰で倅が心を入れ替えたというなら、今度会った時に礼の一言でも伝えれば良い。他にやるべきことは山ほどある」

「そうですね。取り急ぎ、午後の議会対策の方が喫緊です」

「惑星開発計画が失敗して多少は隙ができるかと思ったが、こちらに転ぶ議員がまだまだ少ない。相変わらずあの魔女がしっかりと手綱を握っていて埒があかん」


 キューサックはため息交じりにそう言うと、モトチェアの手摺りの先のコントロールボールに指先を這わせた。するとモトチェアは小さな稼働音を唸らせたと思うとするすると動き出し、デスクをぐるりと回り込むようにしてロカの横で止まった。


「ヴューラーの手下については引き続き目を光らせろ。引き込めるようなら、多少の出費は構わん」

「かしこまりました。アントネエフへの回答はいかがしますか?」


 ロカの質問に対してキューサックは一瞬だけ眉をひそめた。


「わかっているだろう。仮に連中と手を組むことを決めても、議会にひっくり返されてはなんにもならん。奴と会うのは議会を取りまとめてからだ。せいぜい無礼にならん程度に返事を引き延ばしておいてくれ」

「かしこまりました」


 慇懃に頭を下げる忠実な秘書に軽く頷いてから、キューサックはモトチェアを執務室の扉に向けて動かした。観音開きの扉はモトチェアが近づくと、まるで公邸の主人を恭しく送り出すかのように音もなく左右に開く。その間を、市長が乗るモトチェアは微かな稼働音と共にくぐり抜けていった。


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