第七話 オーグ(3)【第一部最終話】
「では今ここで私と喋っているのは、誰だというの」
「ドリー、本当は君も薄々感づいている。その証拠にここを訪れてから君はまだ、僕のことを一度もシンタックという名前で呼んでいない」
シンタックの指摘を受けて、ドリーは一瞬言葉に詰まる。彼女の反応を確かめてから、シンタックは再び目を伏せた。
「君たちにしたことは到底許されるものではない。だが、君を博物院から遠ざけることができたのは、今でも正しかったと思っている」
「まだ、そんなことを……」
「《スタージアン》に求められる資質とはなんだと思う?」
ドリーの反応を無視するかのように、シンタックが問う。またしても唐突な発言に、ドリーの戸惑いが増す。彼女の返事を待つまでもなく、シンタックは自ら回答した。
「高度な知的レベルは必要ないんだ。ただそういう人種に資質を備える人が多いというだけの話なのさ。《スタージアン》が求めるのはただひとつ」
そこまで言われれば、ドリーにもおおよその見当はつく。答え合わせのように、シンタックが結論を口にした。
「《オーグ》になることを厭わないこと」
そう言ってシンタックは面を上げて、ドリーの目を見る。その目を逸らすことができず、ドリーはゆるゆると椅子に腰を下ろした。
「おかしな話ね。《オーグ》になることでリュイたちに嫌われることを恐れていたのは、むしろあなたの方だった」
「僕と君の違いはそこじゃない」
ドリーの指摘にシンタックは首を振る。
「君の場合はまず周囲の人間関係に絶望していた。博物院からのスカウトは一抹の光明に思えただろう。なにしろ自動的に他者と《繋がる》ことができるのだから。だが《繋がる》ことなしに大切な友人を得た時点で、君は博物院入りを諦めた。そんな判断が自然にできる人は、《オーグ》になるべきではない」
「じゃあ、あなたはなんだというの」
「大切な友人が周りにいるというのに、それでも《オーグ》になる方法を模索した。それがシンタック・タンパナウェイという男だ」
自嘲しているわけではない。ただ淡々と事実を打ち明けられることに、ドリーは耐え難い理不尽さを感じていた。
まるで懺悔を聞かされているようだ。
思いつく限り罵倒して、他人行儀な謝罪に愛想を尽かし、それきりで立ち去るつもりだった。だがシンタックはここぞとばかりに、後ろ暗い部分を滔々と語り続けている。これ以上彼の告解に付き合う義理はない。そう言って椅子を蹴り、この部屋を飛び出してしまいたかったが、それは出来なかった。その前にどうしてもひとつ、確かめなければならないことがあった。
「《スタージアン》っていったい何?」
そう言ってドリーは再びベープ管に手を伸ばす。
「あなたはさっきから、《スタージアン》と《オーグ》をまるで同一のもののように扱っている。銀河系中から信仰を集めるこの星は、伝説上の化物に支配されているということ?」
「それは面白いね。本当なら人類史上最大級のスキャンダルだ」
シンタックがらしからぬ軽口を叩いても、ドリーはくすりともしない。何度目になるだろうか、ドリーが吐き出したベープの煙が微かな香りと共に、ふたりの間にくゆる。暖色の照明がテーブルの上に煙の影を落とし、やがて掻き消えてから、シンタックは初めて組んでいた両手を解いた。
「覚えているかな。《スタージアン》に《繋がった》そのときの感覚、ヒトやモノと精神感応的に結びついたときのことを。《スタージアン》がこれまで蓄積してきたありとあらゆる知識に触れたとき、スタージア星系におけるあらゆる事象を感知したときの万能感、《スタージアン》に属しているという何物にも代えがたい安心感。今にしてみれば、僕が《スタージアン》になることを決めた動機のひとつでもある」
その感覚は三十年近く経った今でも、ドリーもよく思い出せる。シンタックが言う通り、まだひとりぼっちだった彼女にとっては何にもまして魅力的な体験だった。あの感覚をもう一度味わいたくて、
「ほんの小一時間ほど《繋がって》いただけでそれだ。既に長い間その感覚に浸り続けた僕が、もし無理やり《スタージアン》から切り離されれば、恐らく発狂死してしまうだろう」
「……かもしれないわね」
「これほど強力な万能感と安心感の中では、個々の意識・人格はそのままではいられない。分離することへの恐怖から必然的に溶け合って融合し、ひとつの巨大な個を形成する。この巨大な個を維持するにはヒトが持つリソースだけでは到底足りず、そのために機械――膨大な計算資源との《繋がり》も不可欠となる。機械と融合した化物のことを《オーグ》というなら、《スタージアン》は多くの《オーグ》が溶けて混ぜ合わさった、巨大な《オーグ》なんだろう」
「今、私の目の前にいるのは、巨大な《オーグ》のごくごく一部だということ?」
「少なくとも君の知るシンタックとは異なる、別の生物だ」
「別の生物……」
再び手を組んだシンタックは、ここまで保ち続けた穏やかな表情すら消し去って、口を閉じた。彼の背後では巨大な漆黒の天球図が、入室したときから変わらないまま小さな明滅をあちこちで繰り返しながら、静かに回転を続けている。微動だにしなくなったシンタックよりも、むしろこの天球図こそが《スタージアン》の本体なのではないか。彼の話を聞かされた後では、そんな妄想すら荒唐無稽と言い切ることが出来ない。何よりドリー自身が《繋がった》記憶を持っているのだから。
「話は終わりね」
当のドリー本人がこれ以上の会話を望んでいなかった。彼女が対峙している相手が、求めていた相手ではないと確信してしまった今、最早ここに居続ける意味はない。かつて大切だったはずの友人の姿をした何かが、これ以上彼ではない何者かの言葉を語るのを聞きたくはなかった。
席を立ったドリーが踵を返そうとした瞬間、彫像のように固まっていたシンタックの唇が再び動く。
「ひとつ確かめさせてほしい」
この期に及んで、なぜシンタックでもない何者かの願いを聞かなければならないのか。そのまま立ち去ろうとしたドリーは、彼の次の一言で足を止めた。
「君が突き止めたN2B細胞の正体、公表するつもりは本当にないんだね」
半身だけ振り返って、ドリーは苦々しい顔を向ける。
「そこまで私の頭の中を読み取れるのだったら、わかるでしょう。これ以上あなたと口をきくのは苦痛なのよ」
「言っただろう。君の意思は、君の口で言葉にされてこそ意味がある」
痛烈な言葉を投げつけられても、シンタックは引き下がらなかった。
「研究そのものはまだ論拠となるデータが不足しているようだが、N2B細胞と精神感応力の関連性を見出したのは見事としか言いようがない。まさか君がそこまでたどり着いているとは思ってもいなかった」
「お褒めに預かって光栄だけど、N2B細胞に起因した精神感応力が及ぼす影響がどれだけおぞましいものか、今ここで目の当たりにしたばかりよ。公表なんてすれば政府か犯罪組織にでも監禁されて、彼らのための研究を強いられるだけだわ。保身を考えればこの研究を表に出そうなんて考えないわよ」
彼女とは最も縁遠そうな台詞を口にしつつ、ドリーは理由を付け加えた。
「それにN2B細胞が《オーグ》を作り出す要因だなんてこと、リュイには絶対聞かせられない。彼女は今でも
「そうだね。その通りだ」
シンタックが頷く姿に一瞥を投げかけてから、ドリーは無表情のまま再び部屋を出ていこうとして――扉の前で振り返った。
「私はN2B細胞が引き起こす精神感応力の抑制法を、なんとしても見つけ出すわ。その結果、あなたたち《スタージアン》の脅威になるかもしれない。阻止するなら今の内よ」
「我々は君たちのすることを何ら邪魔するつもりはないよ。ここに集まってくる人たちからただ知識を拾い上げ、蓄積していくだけ。それが我々の役目であり、存在意義だ。君の研究が実を結ぶことを心から祈っている」
「思ってもないことを」
ドリーは鼻を鳴らして笑ったが、すぐに無表情に戻って扉に顔を向ける。
「私たちからシンタックを奪った、そんな知識の墓場に存在意義なんていらないわよ。いつかあなたたちが忘れ去られてしまう日が来ることを祈ってるわ」
院長室の扉の向こうにドリーの姿が消える。
天球図の前でしばらく座ったままだったシンタックは、彼女が言い捨てた言葉を静かに反芻した。
「君の言う通りだ。《スタージアン》が忘れ去られてしまう日が来ること。我々もそれを待ち望んでいるよ」
(第一部 了)
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