第五話 絶景(3)
カーダの現像工房は博物院を中心とした市街地を出て、郊外をひた走った約20キロほど先の海沿いにある。周りに何もない、切り立った断崖の上に立つ古風な建物はそれだけで人目を引くが、背景の大海原が加わると美術絵画を思わせる美しい光景であることで有名だ。多くの見どころを誇るスタージアでも、博物院に次ぐ人気のある観光名所である。
フライドボールの出店を出発した四人は、程なくして市街地を抜け出した。
それまでの混然とした風景から一変して、辺りには広々とした草原が一面に広がる。時折り点々と散らばっている家屋が目に入る以外は、防風林混じりの地平線がくっきりと見える緩やかな丘陵だ。
「気持ちいい!」
イヤーカフを通じてドリーが上げる歓喜の声が耳に入る。
「
「本当に? 後でやり方教えてね」
「最初に動かしたところから記録してるから、お前がすっ飛んでったところもばっちり映ってるぞ」
「それはどうでもいいでしょ!」
ヨサンの冷やかしにドリーが文句をこぼす。リュイがその様子を耳にして吹き出すのが聞こえた。シンタックは、三人がわだかまりなくやり取りできているのを聞いて、今のところは順調かなと内心で胸を撫で下ろす。
カーダの現像工房に着いたのは、フライドボールの出店を発ってから小一時間ほどしてから、夕刻まであとわずかという頃だった。
海に突き出した断崖の上に立つ工房は、様々な設備のある広い敷地の一階の上に住居としての小ぶりな二階が乗った、剥き出しのコンクリート地の建物である。あちこちに見受けられる汚れや傷は、そこで過ごしてきた人々の長い年月を刻み込んできた証のようで、訪れる人に古臭さよりも歴史を感じさせる。何より断崖絶壁の上に立ち、三方が海に囲まれているというシチュエーションが、俗世を断ってこの工房だけでひとつの世界を構築しようとしているかのような隔絶した空間を演出しており、それがまたこの施設の独特な雰囲気を醸し出していた。
「この工房の主人だったジューン・カーダは元々博物院長だった人でね。院長を引退後に専門だった現像技術の研究に没頭したいってことで、この工房を作ったんだ。彼女は博物院長時代にあのカーロ・デッソを初めとする多くの開拓船団を送り出し、人類が銀河系に版図を広げることになった偉大な決断をした人物として名を残している……」
ジューン・カーダについて解説するシンタックの言葉を、残る三人は半ば以上聞き流しながら建物の中に足を踏み入れていった。
イヤーカフから流れてくる見学案内に従って正面玄関をくぐるとこじんまりとしたロビーを経てすぐ、恐らくはかつて仕事場兼研究所だった天井の高い大広間に、大小様々な
意外だったのは、ドリーまで同じように
「熱心だなあ。お前、現像にも興味あったのか?」
現像技能には大して興味のないヨサンが、不思議そうにドリーに尋ねる。
「言ったでしょ。カーダの現像工房は行ってみたかったって」
「ふうん。頭のいい奴はいろんなことに目が向くものなんだな」
ヨサンは頭の後ろで手を組みながら、室内をぐるりと見回した。
「俺には何がなんだかさっぱりだ」
「なんでもその分野だけでばっさり切り分けられるもんじゃないの。全然違うと思った分野が、意外なところで交わっていたりするんだから」
「そんなもんかね」
会話するふたりを、リュイが横目でちらりと一瞥する。シンタックは一行から少し離れて最後尾にいたが、見学案内のアナウンスの中に聞き捨てならない語句を耳にして、思わず立ち止まった。
「……このようにカーダの工房では現在に繋がる様々な現像技能の基礎技術が生み出されてきましたが、一方でついに成果を残すことのできなかった研究もいくつか存在します。代表的なものはとしては有機生命体、そしてN2B細胞の再現が挙げられます。前者については再現時に生命体を維持するためのエネルギー量の確保が物理的に不可能だったからだとも、カーダ自身が倫理的葛藤を経て研究そのものを中断したとも言われますが、後者については晩年まで研究が続けられていたにもかかわらず、ついに形になるものを残すことはできませんでした。カーダ自身はこの件についてなんの言葉も残さず、また彼女の死と共に研究資料も全て破棄されてしまっており、今に至っても現像技能によるN2B細胞の再現は実現しておりません……」
リュイは相変わらず
まさかここでN2B細胞の名前が出てくるとは思わなかった。ここまで波風発つことなく過ごせていたというのに、見学案内に堂々と禁句をアナウンスされてしまうとは。
「シンタック」
考え込んだまま立ちすくんでいたシンタックを、リュイの声が呼んだ。
「なに、ぼーっとしているの。ふたりとも上に行っちゃったから、私たちも行こう。海が見えるのって、二階のテラスからなんでしょう?」
そう言って階段から手招きするリュイに、「ああ」と曖昧に頷きながらシンタックも後を追った。
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