第五話 絶景(4)

 二階はジューン・カーダの生活空間となっており、寝室や台所や書斎など彼女の私生活がうかがえる部屋が並んでいた。ただ一階に比べると明らかに造りが簡素で、この部屋の主人が現像技能の研究以外にさして興味を示さなかったことがよくわかる。

 その中でも比較的広めのリビングは一面の壁が全面ガラス窓になっており、その向こうにリビング以上の広々としたテラスが海に向かって迫り出していた。シンタックたち以外の観光客は一階にはちらほらとしか見えなかったが、テラスにはこちらに背を向ける何人もの人影が見える。その中に真っ赤な巻き毛頭の長身の少年と、それよりも頭ふたつ低い肩まで垂らした金髪の少女の姿があった。


「凄い、綺麗ね」


 テラスに一歩踏み出したところで、リュイは感嘆の声を上げる。ちょうど時刻は薄暮の夕陽が空一面を茜色に染める頃合いだった。穏やかな海面は金色に照らし出され、赤と金と、そして波間が織り成す影の黒のコントラストが見る人の心を捉えて離さない。

 シンタックとリュイはそれ以上は無言のままゆっくりとテラスの端まで歩みを進め、ドリーとヨサンの背後までたどりつく。ふたりとも景色に見とれてシンタックたちが近づいたことに気がついていない。するとリュイは目をつぶって息を吸ったかと思うと、「わっ」という掛け声と共にドリーとヨサンの背中を両手で叩いた。案の定ふたりとも奇妙な叫び声を上げて、へっぴり腰でこちらを振り返る。


「勘弁してくれよ。心臓に悪い」


 ヨサンが手摺に身体からだを預けながらリュイを睨む。だがリュイの目はヨサンにではなく、その隣で腰を抜かしかけているドリーに向けられていた。


「ドリー」


 悪戯を仕掛けた直後だという割にリュイの声が固さを帯びていることに、シンタックは気がついた。そういえば彼女がドリーの名を口にしたのは、今日初めて聞いた気がする。ドリーも同じことを考えているのか、手摺に身体からだを支えながらリュイの目を見返している。


「あなたがこの工房に興味あったのって、N2B細胞が関係しているの?」


 リュイが口にした質問は誤解しようがなく、適当な答えを許さないという意志が感じ取れた。


 ヨサンがふたりの顔を交互に見比べて、最後にシンタックの顔を見る。だからといってシンタックにもどうしようもない。ここは成り行きを見守るしかないというつもりでヨサンを見返すと相手も小さく頷き、ここに男同士のアイコンタクトが成立した。

 だらしのない少年たちの無言のコミュニケーションをよそに、少女ふたりは海に沈もうとする真っ赤な夕陽を背にして、真っ向から対峙しようとしている。


「そうだよ」


 ドリーの声は小さかったが、リュイの質問をはっきりと肯定した。


「N2B細胞は現像技能で再現することは出来ない。どうしてだろうっていうのが、私が最初に興味を抱いた切欠だから」

「だからって異物っていうのは乱暴だよね。私、医務室であなたが言ったこと、まだ忘れてないから」

「その言い方が気に障る人が多いのは知ってる。でも私にとっては特別って意味合いと同じなの。ただ、特別って言うとかえって意味がわからなくなるから、異物って言うだけで。それにリュイ」


 ドリーは反論するだけでなく、逆にリュイに問い返す。


「あなたが現像技師を目指すのも、現像機プリンターでN2B細胞を再現出来たらって思ったからでしょう?」


 ドリーの指摘に、リュイが言葉を詰まらせる。シンタックは少し驚いてリュイの横顔を見た。


 N2B細胞の培養家という両親の仕事に誇りを持つ彼女が、どうして家業を継ごうとしないのか不思議に思っていた。だがドリーの言う通りだとすれば、むしろリュイは家業を助けるために現像技師の道に進もうとしているということになる。


「培養施設を作ったりそれを維持するのって想像以上に大変だって、私も聞いたことある。現像機プリンターで再現できるようになればどんなに楽になるかって、培養家の親を見て育ったリュイがそう考えるのもわかるから」

「……簡単にわかるとか、言わないで」

「……ごめん」


 リュイもドリーも、そろって顔を俯かせる。ヨサンがふたりに何か声をかけようとして、何も言えないまま交互に見やり、最後にまたシンタックの顔を見る。


 シンタックは先ほどからのふたりのやり取りを聞いていて、ずっと感じていたことがあった。


「つまり、ふたりとも目的は同じってことなんだよな……」


 ヨサンだけでなくリュイとドリーもこちらに顔を向けているのを見て、シンタックは思いついたことをつい口走ってしまったことに気がついた。余計なことを言ってしまったか。いや、この際だ。なんとかもっともらしいことを言ってこの場を収めるべく、シンタックは頭をフル回転させた。


「だからさ、ふたりともアプローチの方法が違うだけで、現像機プリンターでN2B細胞を再現するという目的は一緒だってことだよ。リュイは現像技能を極めて、ドリーがN2B細胞の正体を突き止める。で、お互いに成果を持ち寄れば、ひとりでやるよりもいろんなことがわかる。ふたりで夢を叶えることもできるんじゃないか」


 我ながら上手いことが言えたのではないだろうか。だが熱弁を振るったつもりのシンタックが受け取ったのは、リュイの醒めた眼差しと、ドリーの微妙な表情であった。


「何を素晴らしいこと言ってのけましたって顔してるの。当たり前じゃない」

「え?」

「ここまで目指すところが同じなんだから、協力するに決まってるよ」

「ええ?」

「いけない、そろそろ帰りましょう。夕食に間に合わなくなっちゃう」


 いつの間にか陽も落ちて、辺りは急速に暗がりを増している。周囲を見渡して口にしたリュイの言葉にドリーも頷く。呆気に取られるシンタックを置いてけぼりにしたまま、ふたりは肩を並べてテラスからリビングの中へと戻っていく。


「何度も言うけど、異物って言い方はなんとかしなさいよ。ドリーのエキセントリックなイメージは、七割がたそのせいだと思う」

「わかってはいるんだけど、ずっと使ってきたから無意識に出ちゃうんだよね」

「そのままだとさすがに私も親には会わせられないよ。ちゃんと改善したら、うちに招待してあげるから」

「それって培養設備も見せてくれるってこと? わかった、絶対に直すから!」


 つい先刻までの剣呑な雰囲気など無かったかのように、自然に会話しているふたりの背中を見せつけられて、シンタックは釈然としないまま後を追う。その横に並んだヨサンが、シンタックの肩をぽんと叩いた。


「わざわざ間に飛び込んで、一緒になって叩かせることであいつらの仲を取り持つとは。これぞ自己犠牲の精神ってやつだな。感動した」

「納得がいかないんだけど」

「そう言うなよ。あのふたりにしたって、お前がああ言ってくれたから、落としどころが見つかったんだぜ。本心じゃ感謝してるって」

「そうかなあ」


 リュイとドリーがさっさと階段を下りていく様子を見ると、ヨサンの言葉をそのまま信じるのは難しい。


「いいじゃないか。あいつらが仲良くなるなら狙い通りだろう。終わりよければ全てよし」

「まあ、思ったよりもすんなりと打ち解けてくれたけどね」

「俺は途中から、結構相性いいんじゃないかって思ってたぞ」

「へえ、どうして?」


 するとヨサンはシンタックより一歩前に踏み出したかと思うと、少しだけ低い声で言った。


「リュイから聞いた。お前も小さい頃は今のドリーみたいな感じだったんだろう?」

「ああ、そんなこと言ってたかな」

「だったら小さい頃からお前をよく知っているリュイとの相性が、悪いわけないじゃねーか」


 ヨサンはもったいぶった言い方をしながら、肩越しに振り返ってみせた。その芝居がかった仕草を見て、シンタックは小さく肩をすくめる。


「なんだい、その理屈」


 幼い頃、人見知りが激しく孤立しがちだったシンタックに声をかけるのは、いつもリュイだった。リュイにはドリーが、あの頃のシンタックと被って見えただろうか。



 カーダの現像工房を離れた四人は、すっかり夕闇に包まれる中を大急ぎで帰路についた。


 途中、夜道に慣れないドリーが自動一輪モトホイールで危うく転倒しかけ、ヨサンが強引につかんで引き戻したり、リュイが懲りずに美味しそうな店をみつけて寄り道しようとしたり、結局時間に間に合わずに皆で説教を受ける羽目になったりしたが、後になって振り返ればどれも笑い話となった。四人で一緒に遅めの夕食を取り、生活居住棟のラウンジでとりとめもない会話に興じ、やがて消灯時間を迎えて解散しようというときに、シンタックの腕をドリーがつかんだ。


「どうしたの」


 そう尋ねるシンタックの両手をドリーは自らの両手で包み込み、しっかりと握りしめた。


「ありがとう」


 ドリーは感謝の言葉を述べると共に、握る手に力を込める。


「あなたが誘ってくれなかったら、こんな楽しい一日は過ごせなかった。私、今日のことは絶対に忘れない」

「今日だけじゃないよ。ミッダルトに戻っても、みんなで遊ぶ約束だろう?」

「うん、うん、そうだよね」


 満面の笑みを浮かべて、ドリーは力いっぱいに頷いた。


「ごめんね、引き止めちゃって。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ、また明日」


 自室へと向かうシンタックが廊下の角を曲がるまで、ドリーはその場から動かずに手を振り続けていた。心の底から名残惜しいのだということが、痛いほど伝わってくる。ドリーの感謝の言葉と笑顔のお陰で、今日彼女を誘ったのはやはり正しかったのだと、シンタックは自分に言い聞かせることができた。

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