エピローグ(五)

「御子を授かりました、陛下」

 そう告げるイフィ姫は気恥ずかしげでありつつ、なんだか別人のような……どうしてか頼もしさを感じさせて!?

 さらに受胎告知の神聖な場面だというのに、まず僕が思い浮かべてしまったのは――

 なぜか笑いを堪える母上の顔だ! 母上、知っておられましたね!?



 そもそも妊娠というのは現代医学でも、最終生理の開始日ぐらいしか指針がない。

 さらに無自覚な出来事だから、妊婦本人が首を捻れるのは、来るべき頃に無かった場合か。

 が、それだけでは体調不良も疑えたし、なにより初期の不安定期だったりもする。

 となると、この時代の人々は連続二回ほど月のものが途絶え、はじめて妊娠と?

 つまり、現代医学風にいえば妊娠二、三か月!? イフィが!?



「イフィ妃にあられましては、御懐妊の兆しがございます、陛下」

 言外に強く叱責を含ませながら義姉さんが――いやさダイアナ女官長も続いてくれた。

 ……久しく忘れていたけれど、これ、あとで説教される流れか。

 でも、こんな不意打ちに! そりゃ変だなとは思ったよ!

 なにかと義姉さんはイフィを長椅子カウチへ座らせようとするし、足元の守り犬――バァフェルも僕へ胡乱な目付きだし!

 いや、誰も彼もが遠慮したのか、夫への報告という栄誉を。

 そりゃ母上や義姉さんなら、イフィから相談されたに決まっている。……色々とあったのも、僕が出征中だったり?


 気付けばイフィも義姉さんも、困った顔で僕のことを見ている!

「あ、ありがとう! い、いや、これ違うな!? えっと……その……――

 おめでとう? こ、これも変だよな……とくかく嬉しいんだ!」

 精一杯の言葉は、しかし、バァフェルに鼻を鳴らされた。

 でも、しかたないだろ! まだ夫としてすら新人なの! その上で父にもなんて!

「この子はベクルギを治める長と……それとも罷り間違ってしまって、この北王国デュノーを統べる王と?」

 労わるようにイフィは自らのお腹を撫で回すのだけれど、しかし? なんかだか妙な言い回しじゃ?

 ベクルギの長――ベクルギ王に僕とイフィの子供を据えるのは、政治的にみて正しい。血縁に拠って、確かな堅い関係を構成できる。

 まだ国家基盤の不安定なベクルギにとって、それは切望にも近いとすら?

 ただ、それでも北王国デュノー玉座の方が、一般的には魅力的なはずで……どうして「罷り間違って」などと?

「もちろん、リネットの御子がベクルギを統治するやもしれませんけど……その時はベックの血筋を伝える家系へ」

 なるほど。イフィは北王国デュノー王妃で、ベクルギの姫君で、ベック族の総領娘だ。

 生まれてくる子は引く手数多といえて、どう転んでも将来は安泰か。……いまならシャーロットのところへ嫁もしくは婿まであるし。

 しかし、それでも北王国デュノー玉座に消極的な理由とはならない。が――

「リュカお兄s――陛下は、長子に王権を相続させるつもりはないのかと」

 と首を捻るイフィに、やっと分からせられた。

 僕は分割相続しないと公言してきたし、長子相続にも難色を示している。

 どちらも無条件で受け入れられそうとは、残念ながら言い難い状況なのだけれど――

 早く産んだ者の勝ちだとか、生まれる前から継承権の順位争いだとか、そういう問題点からは解放される訳か。

 むしろ下手に王位継承争いへ巻き込まれるくらいなら、実家の家督を継がせた方がマシまで?

「とにかく、かような次第で……しばらくは御伽を務められません。陛下にあられては、リネット夫人の元へと通われるのが宜しいかと」

 内容の割にイフィは、してやったりとばかりだ。

 おかしい!? 僕はイフィまで壊しちゃってたのか!?

 妊娠したばかりな嫁に! しばらくは親友の元へと通えと! 二人とも僕をリュカ兄様と慕っていた女の子だったのに!

 などと驚愕していたら、またバァフェルに鼻を鳴らされた。

 ……うん。犬には一夫多妻なんて許せないよな。でも、間違っちゃいない。それが正解だろう。



 だが後日、ダイアナ女官長はリネットの元へでなく、グリムさんにと強く示唆された。

 ……ここでいう「強く示唆」とは、もちろん命令の隠語だ。

 なにをいっているのか分からない?

 ダイアナ義姉さんは女官長なんて肩書で呼ばれているけれど、現代日本人にも分かり易く言うのであれば『大奥総取締』に他ならない。

 いや、ここはガリアフランスだから名誉侍女長ダム・ドヌールと呼称するべきか?

 とにかく女官で一、二を争う権勢だし、奥向きの実権力に至っては王妃達より強い。

 もう後宮は義姉さんがいなかったら成り立たないというか、ほんの数日で空中分解だろう。

 そもそも僕からにして、義姉さんの差配が無かったら明日の服にも困る有様だし。



「王様! グリムってば御手柄! 褒めたげて!」

「そうなんだよ、王様! 御目出度なんだよ! 御目出度!」

 控えめにいって台無しだ。というか、なんでヴィヴィとミミが、ここに?

 いや、離宮はグリムさんが主人であり、その腹心ともなった友人が招かれても?

 ……騒ぎに眉を顰める義姉さんも、二人が居ることに意義はないようだし。

「え、えっと! その……」

 そして囃し立てるものだから、グリムさんなんて俯いて真っ赤になってるじゃないか! 可哀そうに!

 とにかく安心して貰うべく抱きしめる。

 ……ヴィヴィとミミは口笛とか吹いてないで、ここは気を利かせてくれればいいものを! 二人っきりにするとか!


 とにかく長椅子カウチへとグリムさんの手を引く間にも、二人は釈明とばかり――

「そう怒らないでよ、女官長様。あたしらが暇なのも確かだけど――」

「グリムは女親と死に別れている上、親戚すら王都にいないからね。心配なんだよ、女手が足りてないかもって」

 と説明してくれた。

 その気遣いには頭が下がる。二人には後で何か贈り物でも――

「それにボスが……グリムが休みだと、いずれ仕事が滞るし――」

「もう押し掛けるしかない、グリムと王様の家へ! 上げ膳据え膳は、一度体験してみたかったし!」

 君らは大型連休中なOLか何かか!? 特別料理スペシャリテを手配しておくよ、ありがとう!?

 しかし、二人がいうように化学技術の全工程を把握は、僕とグリムさんだけだ。

 そして実質的な総監督のグリムさんが産休へ入れば、いずれ全工程も停止させるしかなくなる。

「そう御心配になられずとも、ある程度の手配は済ましておきましたし――

 いずれはリュカ様と私めの御子らで、全てを良いように」

 まるで夢見るかのようにグリムさんは語るのだけど、それは合理的かもしれなかった。



 僕とグリムさんの血筋で新たな家系を創立の予定だ。

 それは控えめにいっても王家に連なる貴族の類といえて、日本式いうと御三家に匹敵し得る。

 それでいて北王国デュノーの化学チートを受け継ぎ、さらには秘匿の務めをも担う。

 なぜなら、まだ公表は出来ないから。現状で広く知れ渡ったら、絶対に悪用されてしまう。

 でも、第三者的に考えると王国の裏側を煮詰めたような!?

 おそらくジュゼッペとゲイルの研究品などを封印も受け持つだろうし!?

 ……なぜだろう? 『影の王家』とか『真の支配者』、『裏で牛耳るもの』などなどと……剣呑なイメージしか!?


 どう考えても、その後継者には特別な教育が必要だ。

 僕が教えられるだけの知識を、その基本理念と共に伝えておかないと、どこかで必ず転ぶ。

 かといって隠し続けるだけでは歪み、結局、大惨事を回避できないだろうし。

 ようするに秘匿は目的でなく手段であり、いつかは公表を目指すべき? なんというか軟着陸的に?



 僕は父親になる!

 ……その実感というか大変さは、全く想像もつかないけれど。

 おそらく十年、二十年というスパンで最優先となるはずだ。

 が、普通でもだろうに、僕なんて四倍か……間違ったら五倍も! やればできるともいうし!?

 さらに通常の子育てだけでなく、一人は王の後継者に! もう一人は、化学チートの番人と!

 もう冗談ごとじゃなく断言できてしまう。僕の戦いはこれからだと。……いや僕といっても許される?

 とにかく! そうなると懸念なのが――


 王太子殿下の動向なんだけど、なに考えてるか分かった試しがない!

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