エピローグ(二)

 柔らかな毛皮敷きの上を、精一杯に頑張りながら赤ん坊達が這い寄ってきていた! 嗚呼、目の前に! 目の前にぃ!

 どうやら二人は楽しんでくれてるらしく、形容しがたき天使の笑みは容赦なく僕の脳を蕩かせていく。

 タッチの差でエリティエは乳兄弟のガルニエを制し、僕の膝へとよじ登る。遅れたガルニエは泣き出さんばかりだ。

 よし、よし、泣くなガルニエ。義兄ちゃんの膝は二つあるんだ。こっちの残った方へ――

 と思った矢先、二人とも動かなく!?

 何事かと焦りかけたが、なんと申し合わせたかのように寝てる!?

「エリティエ様も、ガルニエも、まだ御昼寝をしてなかったからかと」

 そうレディ・フルール――ティグレ夫人が教えてくれながら、僕の膝から二人を順繰りに子供用の寝台へ運んでしまう。


 ……馴染みとなってしまった白服が、目に悲しかった。

 ローマやドル教に喪服の習慣はなかったけれど、その原典アーキタイプとして神前服――白を中心とした相応しい服はある。

 訃報を告げて以来、彼女が纏うようになった色の服だ。


 そして僕はティグレをドゥリトルへ連れ帰ってこれてなかった。

 あまりにも戦死者が多くて、僕ですら要望を通せなかったからだ。

 前世史と同じくカタラウヌムに共同墓地を築いて葬る他なく、いまはティグレも彼の地で眠っている。……遺体の見つからなかったフォコンと共に。

 もちろん余裕のある家系は落ちつき次第、先祖代々の墓所へ改葬するとは思う。

 が、そうでない者達は、カタラウヌムへ埋葬されたままとなる。

 まだ慰霊苑の概念はないけれど、考えるべきかもしれない。遺族への配慮と……僕への戒めとして。


 不意に甲高い、まだ子供の歓声が聞こえた。

 窓ガラス越しに庭へと目を移せば、そこには義兄さんの指導の下、文字通りに手解きを習うティグレ・フィスジュニアの姿がある。

 小虎少年が引っくり返っているのは手解き――掴まれた手を解く技を、最後まで通されたからだろう。

 ちなみに、けっこう痛い。受け身を体得するまでは、特に。

 しかし、感心なことに小虎少年は素早く起き上がり、もう一度と義兄さんに願い出る。

 その背後で吠えるテール――エリティエの守り犬も、まるで応援するかのようだ。


 しばし新米な先生と生徒の様子を、フルールと無言で見守る。

 僕は、彼女に謝っていない。彼女も、僕を責めなかった。

 そうあるべきはずだ。僕らが、僕らである為に。


「よく分からないな……その……リュカは自分の取り分を遠慮しているのかい? 確かにドゥリトルはエリティエに継いでもらう予定だけど――

 だからってリュカを廃嫡とか……うー……なんというか……いわゆる処罰の類じゃないんだよ?」

「背の君が仰る通りです、吾子。其方にも先祖伝来の遺産を受け継ぐ権利があるのですよ?」

 長らく考え込んでいた父上と母上が、口々に反対意見を表明された。

 ……これは納得してもらうのに時間が掛かりそうだ。

 目礼して下がるフルールに軽く肯き返す。政治向けの話ならば、乳母の自分が口を挟むべきではないと考えたのだろう。

「まず王家は――北王国デュノーの王権や版図は、単独相続を厳守とします。これは絶体に譲れません」

「それなのです、吾子。なぜ、そのような無体な掟を? 相続者に選ばれなかった子が哀れではありませぬか。

 吾子は、まだ親となっておられず御分りになられぬのでしょうが――

 子供というのは、何人いようと等しく可愛いものなのですよ?」

 女親らしい諫めだったけれど、かえって僕に子供のできる前で良かったとすら思えてしまった。

「それでも改めるべきなのです。我らには務めが課せられていて、徒人ただびととは違うのですから」

「本気なんだね? では、ならばこそだ。よく分からないままでは、賛成も反対もできないな」

 そう父上はお道化られるのだけど、これは凄いところだと思う。年下の――それこそ自分の子供であろうと、素直に教えを乞えるのは。

「そうですね……まあ簡単に三人兄弟で、その版図を三等分したとしましょう。当然に王国の権勢は三分一となってしまいます。

 三人兄弟の誰かが王となり、仲良く協力し合っていてもですよ?

 まあ、この世代――子の世代は恙なかったとしても次の世代――孫の世代では九分の一となります。三分の一の三分の一ですからね」

 そこで父上は指を折り始め、母上は難しい顔で首を捻られていた。

 ついては来れているけれど、これを暗算は限界点かな? ……基礎教育改革の着手もせねば。

「さらに次の世代――曾孫の世代では、なんと二十七分の一です。もう領地持ち騎士ライダー程度の権勢でしょうね、王のままであったとしても」

 これを理由に滅んだ国は数え切れない――というか、この対策が為されたのが中世であり、古代との分岐点か。


「でも、なぜドゥリトルは……あー……衰退してないんだい?」

「……おそらく運が良かったからでありましょう、背の君。

 いま吾子の仰ったことは、腑に落ちるといいますか……心当たりがございます。

 もはや零落し見る影もありませんが、三代も遡るとリヨンヌ家は、けっこうな権勢だったとか」

「ええっ!? リヨンヌ家が!? あの子沢山で有名なリヨンヌ家のことだよね!?」

 ……逆に子沢山だから、じゃなかろうか? おそらくは誠実で子煩悩でもありそうだし。

「確かに母上の仰る通りで、なんと申しましょうか……適当な数の子供であることも重要です。ドゥリトルは逆に、少な過ぎますが。

 それに結局は武門の話です。武勲によって減った分以上を勝ち得たからでしょう、ドゥリトルが致命的な衰退を免れたのは」

 これが『単独相続』の発明が遅れた理由か。

 戦乱の時代は、足りなかったら武力に頼っての補充が叶う。結局、力の論理こそ正義だ。

「ならドゥリトルも、エリティエや……その子供たちに頑張らせるべきじゃ? いま以上に領地を増やすのを?」

「いいえ、父上。それは難しくなるのです。なぜならリュカめに領土を求める野心がありませんし――

 後継者にも、それを堅く守るよう申し送ります。

 拠って、これよりガリアで領地を広げる家は無くなるのです」

 なぜか父上と母上は、不思議そうな顔をされていたけれど、僕の主張は間違っていない。一応は、前世史にも担保のある話だ。

「是非はともかく、それで吾子は相続権の放棄を?」

「はい。自分は単独相続させるつもりなのに、相続しない実家の領地を分けて貰っていたら、さすがに筋が通りませんからね」

「そして諸侯にも、同じように単独相続?を?」

「……いいえ、父上。そのつもりはありません。

 諸侯には望む方法を――習慣通りの均等相続だろうと、それぞれの好きなやり方を選んで貰うつもりです。

 まあ、もちろんドゥリトルには、単独相続を強く推奨しますけれど……王として口を挟むつもりはありません」


 そして王家は権勢を保ち続け、諸侯は分散し衰退していく。

 『狡兎死して走狗烹らる』を気取るつもりはないけれど、比べれば軟着陸な方だろう。少なくとも血は流れずに済む。

 なにより中世の暗黒を脱するのなら――現代的な中央集権を目指すのなら、領主地主達の力を削ぐほかない。

 やはり政府と民衆というシンプルな図式の方が、どんな主義主張でもスムーズに機能する。

 複雑な階層社会は発展を妨げるし、すぐには正せないとしても……せめて最初の一歩ぐらいは提示しておくべきだろう。


 が、なぜか父上と母上は、揃って心配そうな表情を浮かべられていた。

「リュカ? 僕は君が……あー……根を詰め過ぎなんじゃないかと、常日頃から心配なんだ。ちゃんと肩の力を抜く時間は設けているのかい?

 そうだ! 一緒に鹿狩りへ行こう! きっと楽しいぞ! 皆で獲物の鹿を焼いて、リュカの作った火の酒で流し込m――」

「背の君……吾子は喪に服しておられるのですよ。非公式に、ではありますが。

 ですが、確かに気晴らしと申しますか……気持ちの安らぐようなことが……――」

 母上は考え込まれてしまったけれど、なぜ喪に服していたのが判ったんだろう? 誰にも言ってなかったのに?

 そして良い閃きとばかり、珍しく悪戯そうな笑顔で――

「きっと御子を授かれば、吾子の気鬱も晴れることでしょう!」

 と断じられる。

 いや、それはそうだろうけど! どうして誰も彼もが、僕の顔見たら子作りの話しかしないの!?

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