カタラウヌムの戦い(七)
絶望的な包囲戦が開始されるかと思いきや、想定外な方向へと事態は推移した。
なんと王太子が最後通告の場を求めたからだ。
これはギリシャの都市国家時代やローマ帝国でなら伝統的といえたけれど、やや
それに「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ」と相手を煽る開戦前の景気づけの類で、僕が付き合う義理なんぞないのだけれど――
メッセンジャーに囚われの身だった
……こちらの使者を返してくれただけとはいえ、ある意味で無償の捕虜返還とも見做せるし。
「む、無視したい……め、面倒臭い……」
平伏し畏まるエロンの前だというのに、思わず本音が漏れる。なに考えてんだ、あの王子様は!?
「御気持ちは……なぜか分かるような気もしますけど! 御受けなさりますよね?
兵の再編に手間取ってますし、ベリエ様の懐柔策も御時間が要るでしょうし、ここでの時間は黄金にも等しいかと!」
そうシスモンドは断じるけれど、だからこそ分からない。なぜ意味のない、それも馴染み薄い儀礼を?
諦めてしまうようだけれど、やはり天才過ぎて考えることが――
「あ、分かった! 殿下には、僕の挙動が全く理解できなかったんだ! それで一席設けてでも、機会を作りたかったんだろうな。
……あまりにも賢すぎると、分からないのは癪なようだよ?」
「お、御身がそのように仰るのであれば、そ、そうなのであろうな」
さすがの選王侯アンバトゥスも、唖然としていた。
「なら、ここは無視だね。王子様へ永遠に分からなくなる謎を遺すのは、意趣返しとして悪くない」
が、留飲を下げかけたところで――
「なに仰ってんですか、陛下! ここは受けるの一択です! それに――
ここからは小官に采配を預けて下さる約束ですよ!」
と叱られてしまった。
まあ想定していた展開のうち、かなり悪い方へ事態は転がり続けているのだから、参謀長殿の憤懣も妥当か。
もうサッサと顔合わせを済まし、建前だけでも互いの健闘を祈りあえばよいはずだった。互いに古代の戦士という訳でもないし。
が、そう王太子側は思わなかったらしく、まあまあ立派な天幕が設えられた。
さすがに両軍を刺激せぬよう横幕こそ省かれ――視線を遮らぬよう配慮されていたけれど、その他の設備からは腰を据えて話し合おうと伝わってくる。
……この期に及んで王子様は、なにが気に入らないんだか。
実際、絶体絶命だ。
いわばカタカナの『ハ』の字状にフン族残党と東部軍が位置していて、退路を遮られている。
なら空いてる隙間から逃げれば良いじゃないかと思われるだろうが、そこへは南部軍が布陣中だったし――
なんとか通り抜けたところで、その先は東部領か上ライン川だ。
つまりは敵国か外国で、そちらへ逃げても状況改善にならない。正に一時しのぎだ。
かといって戦うにしても……完全に包囲されていては、ほとんど勝ち目は無かった。
しかし、進路は阻まれているだけで、時間の経過と共にフン族は撤収していく。……おそらくは東部軍の大半もで。
となると僕らの窮地は、長くて数日とも考えられる。
そこから逆算すると、すぐにでも王太子は――西部軍は、攻撃するべきだった。
まだ互いに兵端を開いてなかったとはいえ、勝てる時に勝っておくのが戦乱の流儀だろう。……少なくとも僕なら、ここでの総攻撃を躊躇わない。
ただ、天幕で座して待つ王太子から――その隠しきれない満足げな様子から、彼の父王フィリップが崩れたのを悟らされる。
挨拶もそこそこ僕が着席するや否や、王太子は詰めへと入った。
「なぜ御身は、余に勝ちを譲られる?」
……やれやれ。これだから頭が良い人の相手は面倒臭い。
「この局面は読めてたはず」かつ「しかし、御身の誘導だ」で――
「つまりは、ここから別の手が? というか、あるのであろう?」となる。
しかし、まずは正すべきを正すところからか。
「このリュカめが裏切ったかのような物言いは止めて頂きたい。それは我が命に従いて散った者らへの侮辱となりましょう」
「……余が不明であった。許されよ。だが、なればこそ?」
さすがに命を捧げられる側の礼節は心得ているか。
そして確信をも与えてしまったようだし、もう素直に語る他なさそうだ。
「リュカめには目的を果たし、戦争にも勝つ方策が思い付けなかったのです」
焦らず一つひとつ成していく。凡人が故の最終回答だったけれど――
この天才には、理外だったらしい。珍しく唖然としていて、せっかくの美貌も台無しだ。
もちろん『目的を果たせないけれど、戦争には勝つ』の選択肢も閃けてはいる。
しかし、目先の戦争勝利より、僕には目的の遂行――『アッチラの排除』と『無能なラッキーマンというオカルトの対処』の方が重要に思えた。
逃せば次の機会は何時どころか、また再びあるのかすら疑わしい。選択の余地などなかった。
「しかし、それだと御身は!? その為だけに――」
無礼は承知の上で、儀仗兵のジナダンが僕の注意を惹いてきた。
みれば半裸の汗まみれな男が四つん這いに伏している。……何処からの伝令に違いない。
「これは不調法にございました。伝令は妨げぬのが家伝にて」
「構わぬよ、いずこも似たようなものであろう」
そう取り合う王太子も、いつの間にか誰かから耳打ちされている。
……むこうにも伝令が?
なるほど。予想がついた。
顔色の変わった王太子を眺めつつ、伝令から書状を受け取る。間違いない。おそらく同じ内容だろう。
「余は御身に最後通告を試みた! しかるに御身らは、不義理であろう!」
頬を膨らす美青年も、なかなかに眼福だ。……その原因が自分であれば、なおのことで。
「彼の地にて最後通告が為されたかどうかは、まだ分からぬかと」
「なるほど。では報せも、信用に値するのであるな」
……油断していたら一本取られた。
「まあ我が友人達であれば、仕損じることはありますまい。残念ながらアンガロスの港は落ちたかと」
明確な敵意の籠った眼差しを返された。……どうやら好敵手と認定されて?
まったく港が無かった訳ではない。数えられる程ながら、太古の頃から港も作られている。
その中でもアンガロスは、大きな港のうち一つだ。
世界地図レベルですら目視の適う、フランス西部海岸にある入り江が
つまり、時代的に裏口程度の扱いだろうと、西部へは海からも攻め込めてしまえた。
いまもランボ率いる
おそらく王太子は僕が北方征討した時、この危険性を理解した。……自分も同じ方法で攻め滅ぼされかねないと。
西海盟主の僕なら実現可能に見え、もはや西部は裏口の鍵を盗まれたも同然だった。
また、それだけならば善戦もできようが、外征中などを狙われたら大惨事となりかねない。
だが、実際のところ連合軍も、王太子やエステルの思うほど簡単には興せなかったりする。
なにより長期間の拘束が難しい。
この決戦ともなったカタラウヌムでの戦いに、
先行きも不透明、終了時期も未定では、もう参戦要請すら躊躇われてしまう。頼めたのは陽動目的にアンガロス襲撃が精一杯だ。
「おそらく余は、ここに居らぬはずだったのであろう?」
なぜか凶報で立ち直った王太子からは、まったく感情が読めなくなってしまった。
それに確証はないのだろうけど、策の綻びというか――想定外の失敗まで見抜かれてしまっている。
「御明察です。どうやら西海が荒れたようですね。それとも殿下は、せっかちであられる?」
「おそらく両方よ。御身に父上の首を取られてしまわぬかと心配になってな」
……それって自分より先にという意味ですよね!?
また王太子自身に西海での対応を迫り、このガリア中央部へは来れなくする――足止め策だったのも察知したようだ。
「しかし、ますます分からなくなったぞ? なぜに御身は、このような窮地へ自ら?」
「まずは目的を果たし、それから勝ちを求めたまでのこと」
「だが、ここからでは御身といえど、もう引っくり返せまい?」
……そう思ったのなら、素直に勝ちを拾っておけばよいものを。
これから殺し合いだというのに話をしたがるなんて、趣味が悪いにもほどがある。
「此度ばかりは、リュカめの負けでありましょう。
このリュカめはもちろん、リュカめに従いし兵卒も……半数は討ち果たされかねません。
殿下にあられては、我こそがカタラウヌムの勝者と誇って頂きたいほどで」
明確な敗北宣言だというのに、しかし、僕は王太子を圧しつつあった。
「ですが生き残った半数の兵と
果たして御身は国元へ帰れましょうか?」
おそらく西部は後詰を用意できてない。なぜならアンガロス侵攻に陽動されたから。
そして、ここまで他国領へ深く入り込んでしまっては、その撤退も生半可ではなくなる。
「御身が……御身ほどの傑物が、ここで捨て石になろうというのか!?」
「リュカめには越えてでも継ぎ征く者がおります。
殿下、黄泉路への露払いは、不肖ながらリュカめが務めましょう」
……カタラウヌムの戦いは、
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