カタラウヌムの戦い(六)
目の前で起きた疑いようもない出来事なのに、まったく信じられなかった。
あのディグレが? そんな馬鹿な!? どうして!?
……違う。そうじゃない。どうしてもなにも……僕のせいだ。
あと僅か百人ほど。それだけで、こんな結末には。
嗚呼、それも違う!
劣勢だったにしろティグレは、失敗してない! 無理筋ともいえる任務を見事果たしている!
今生の西欧を救ったのは、まちがいなく剣匠ディグレだ。『神の災い』とまで恐れられた騎馬民族の侵攻を挫いたのだから。
しかし、引き換えに、その命は喪われてしまった。……他の誰でもない、この僕自身の間違いによって。
思えばティグレは僕が覚醒してから、ずっと傍にいてくれた。まだ安否の分からぬフォコンと共に。
二人が傍にいるからこそ、どんな困難でも成し遂げられると――
「陛下! 御気を確かに!
馬賊の奴らは、混乱しつつあります! こうなれば作戦変更を――」
シスモンドに叱責され辛うじて我へと返る。
「駄目だよ。まだ当初の予定へと戻せる。悪いけど参謀長の作戦は容れられない」
……越えて行かねばならない。僕には、その責任がある。嘆くのは、後でだ。
なにより、この程度で折れるようでは、ティグレやフォコンに笑われよう。
「……小官は偉い人に当たり散らされるのも、給金の内と心得ております。
それに覚悟している奴らが志願してますから――」
「いや、残虐な戦い方は――厭戦気分にさせる戦い方は、本当に拙い。フン族相手じゃ、かえって戦いが終わらなくなるよ。
――総員! これより守備に徹しよ! また退く敵は、見逃すように! 追撃は、固く禁じる!」
なおもシスモンドは訝し気だったけれど、なんと裏付けるかのように――
僕ら本陣を攻め立てていた指揮官が、遠く馬上のまま大声を張り上げた。
「北王と名乗られていたか、若き王よ! 御厚情に縋り、尋ねるを許されたく! かの騎士は、その勇名をなんと?」
これはティグレのことを問うているに違いなかった。
しかし、なぜフン族の指揮官――おそらくは氏族長格が? それも戦いの最中に?
「……あの勇士が討ち取りしは、我らがハーン、アッチラよ。御身らは知らねど、その生涯は数多くの勲に彩られておる。
そして勝った負けたは武家の常といえど、しかし――」
僕やシスモンドは、さぞかし不思議そうな顔をしていたのだろう。御丁寧にも敵将は、質問の意図を説明し始めてくれた。
「かの勇者は、剣匠ティグレ。
「確かに芳名、承った。アッチラも名のある武人に敗れたとあれば、名誉も保たれよう。御配慮に感謝する、若き王よ!
――タルガ、居ぬるぞ。疾く兵を纏めろ」
もう両陣営で兵卒に至るまで興味津々に行く末を見守る中、なんと撤退を副官か誰かへと命じる!
「我が名はカリム! カト族のカリムよ! また
……いや再開は果たされぬのが、互いの為か?」
そのまま高笑いと共に馬首を巡らしてしまう。
止める間すらない。まるで風だ。
「……嗚呼ッ! 名乗り返し損ねた!」
「……呼び戻しますか?」
「わざわざ撤退してくれた敵軍を? とんでもない! ここは説得の手間が省けたと喜ぶところだよ?」
「まあ、それはそうかもしれませんが……」
いまいちシスモンドは納得いかない様子だ。
「あの指揮官――カト族のカリムは、アッチラの配下じゃなさそうだからね。仇討ちの義務はないどころか――
この展開だとアッチラが約束していた報奨も破棄されてしまう。
そして継戦しても、ただ働きなのは変わらない。このカタラウヌムの地を占領したところで、フン族に旨味は全くないからね。
さらに故郷へ帰れば、すぐクルルタイ――部族会議が開かれるんじゃないかな。次のハーンを巡っての政争は、もう開始しているんだ。
ここで無意味に手勢を減らすのは、正直いって愚策だよ。賢い人のやることじゃない。
おそらく帰り掛けの駄賃に東部やゲルマンの集落を略奪しながら……もしかしたら黒海付近まで戻るんじゃないかな」
……前世史は、それで東ローマが泡を吹く破目になったし。
この時代の兵士を理解するには、『誰に雇われているか』と『どのように対価が支払われているか』も考えねばならない。
たとえばシスモンドは僕に――君主に雇われているけれど、その給金は
つまり、僕が戦死しようと無職になる訳じゃないし、給金も貰えるし、仇討ちだって頑張ってくれる……と思う。
しかし、カト族のカリムにすれば主要な取引先が倒産したも同然だ。……再建も叶わぬようナンバー
路頭に迷いかねないどころか、おそらくは不渡りすら掴まされてる。下手したら連鎖倒産だ。
暢気に仇討ちなんぞしている暇があったら、少しでもダメージ軽減に努めねばならない。
「……それほど馬賊共は撤退していないようだが?」
だが選王侯アンバトゥスの見解も正しかった。
戦線離脱を試みているフン族は、贔屓目に見ても半分程度だろうか?
もちろん残りの半分はアッチラの仇とばかり、僕らとの戦いを継続している。
「あちらさん、退きたくても退けなくなってんじゃねえですか? こりゃ日没まで粘られかねないですぜ?」
「うーん……適当に逃げ出すとかしてくれれば、僕としては助かるんだけどなぁ……。
向こうの人達も落ち着けば、ここから勝利は望めないと分かるはずだし」
などと落ち着いてきた本陣で頭を突き合わせていたら、返り血に塗れた選王侯ベリエが前線から戻ってきた。
「陛下! 降るを受け入れられないかとの打診を、縁のある数家から受けた。
どうやらフィリップが行方不明との情報は、信用できるようだぞ? 少なくとも彼奴めは、軍の掌握を喪っておる」
討ち取れたとの報ではなく、消息不明……なんとも判断が難しくなった。
「なにを悩んでるんです、陛下?」
首脳部で最も政治に疎いシスモンドは、僕らの困惑を理解できなかったようだ。
「此度ばかりは、フィリップ王の生死で物事が大きく変わるのだ、参謀長殿」
「そんな馬鹿な。そりゃ王様が――総大将が討ち取られたら、大事ですけど――
だからって軍が機能しなくなるわけじゃないですぜ? 部族だった昔とは――馬賊の奴らとは違うんですから」
「いや、もしフィリップが死んでおったら、直参の
なぜなら所領を安堵してくれる後継者が決まっていないどころか――
最有力候補の嫡男たる王太子自身が敵へ回っておるからな」
そうシスモンドへ説明するベリエの瞳は、欲得で濁っているように見えた。……僕も悪巧みの時は、こんな目付きなのだろうか?
「ややこしくなるから、とりあえずフィリップ王は崩せた前提とするよ?
東部軍にすれば、友軍のフン族も総大将が討ち取られ、もう頼りになりそうにない。
かといって東部軍の諸侯達は、王の後継者を中心に再建とも考えられない訳だ。いや、もちろん中には、そういう勢力もいるだろうけどね。で――
こうなったら開き直って王太子を後継者と認め降るか――
僕らを――
あるいは誹られるのを覚悟で日和見――中立を謳って撤退か。
とにかく東部軍は、大軍としては機能しなくなる」
……はずだった。フィリップ王さえ討ち取れていれば。
かの王は生きているにしろ、もう亡くなられているにせよ……どちらにせよ面倒ごとしか引き起こさない。
もう誰も彼もが疑心暗鬼に囚われ、大胆には動けなくなっている。予定していた寝返り工作も難航しそうだ。
「こうなれば多少の甘言を弄そうと、引き込めるだけ引き込む他あるまい!」
そうベリエは主張した。もちろん僕も、同じ意見だ。
しかし、理想はフィリップ王からアッチラ大王の順で、逆だと問題があった。それは――
「陛下! 西部軍が陣容を変えて! 我らへ対するかのように!」
……憂う間すらなく詰められた。最悪の予想通りに。
そうして東部軍と入れ替わるが如く、北部軍が包囲されることとなった。
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