カタラウヌムの戦い(五)

 大モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンは後継者を指名せずに死んだというが、さすがに創作的といわねばならない。

 史実では三男のオゴデイが後継者となったし、地盤を引き継いだオゴデイもハーンに――騎馬民族の指導者にいる。

 そう選出だ。

 ハーンの息子だからと二代目ハーンになったのではなく、後継者として権力を譲り受け、その政治力や軍事力を背景にクルルタイ――部族会議でハーン指名を勝ち得た。

 つまり、かのチンギス・ハーンといえど「次期ハーンの指名はできなかった」が真実だろう。

 それを為すには搦手――権勢の維持が必要だったし、残念ながら孫の代まで保持できなかった結果、モンゴル帝国の系譜は途絶えた。

 ……代替わりごとに分割相続を重ねた結果、その国力を分散させてしまったからだ。


 しかし、そんな結末すら国や帝国としての体裁を整えられてから。

 まだ権力を確たるものにできてなかったら、話は全く違う。

 なるほどアッチラは、ハーンに相応しき力量なのだろう。それこそ歴代でも指折りの。

 そしてハーンの招集であれば各部族も付き従う。だからこそ騎馬民族は恐ろしい。

 だが、それは彼らの掟だから。

 アッチラの血脈に忠誠を誓っていたり、恩顧があるからではない。……いまは。


 そして前世史では『神の災い』とまで恐れられ、西ローマを滅ぼしたアッチラ率いる騎馬民族だが――

 彼の客死後、忽然と西欧から姿を消した。ヨーロッパに居残った末裔すら確認されてない。

 自称でなら末裔がいたり、いくつか推測はあるものの、いまだ歴史のミステリーとなっている。



 ティグレと義兄さんに率いられた精鋭は、なかなかに圧倒できなかった。

 むしろ鐙の扱いでは――騎兵同士の戦いでは、フン族側に一日の長を認めねばならないほどだ。

 やはりフン族は――それも大ハーンの近衛は、まぎれもなく強兵といえる。

 旧来装備のままなガリア騎兵では、致命的なハンデと成っただろうし――

 ヨーロッパの武人なぞ彼ら基準では、弱兵ばかりと思えたはずだ。


 しかし、それでも僕がアッチラの立場だったら、絶対に戦場へは赴かない。

 その命を狙われるに決まっているからだ。

 ……それでもハーンは先陣に立って民を率いねばならない?

 だが、騎馬民族による統治の決定的な瑕疵――『当代の死亡と共に政変が起きる』を抱える以上、死ぬにも時と場所を選ばねばならなかった。

 なにより『歴史の特異点』だろうと『神の災い』だろうと……最前線へさえ引きずり出してしまえば、あとは斬れば血の出る生身。決して不死身の存在ではない。

 そして前世史と同じく育ち切ってしまう前に――


「陛下!」

 金鵞きんが兵レネの警告で、辛うじて身体を捻る。……矢が掠めるなんて初めての経験だ。

「手練れがいるぞ! 最優先で殺せ!」

 さらにノシノルからも叱咤が飛ぶ。

 馬上からでもフン族は、弓を使ってくるし――

 フン族に限らず世界各地の上級戦士は、自由裁量で弓を使ってくる。

 つまり、事実上の狙撃手が多く厄介だ。

 範囲攻撃兵器としての脅威ではなく、磨き抜かれた弓術としての強み。前世史で伝説的ともなったフン族の強さは、この辺にも?

「このままじゃ、こっちが先にられちまいますよ!」

 そう嘆くシスモンドは、珍しく返り血に塗れていた。

「もう一踏ん張りだよ! なんといってもティグレは世界で一番強いし、いままで期待を裏切られたことは……結構あるな。

 それでも! こと武においては、ティグレが僕の信頼を裏切ったことはない!」

 なんとも言えない表情をシスモンドは浮かべた。

 ……これを僕は、諫言と受け取るべきだった。選王侯アンバトゥスの感銘など無視してしまって。



 どうして目の前で起きたかのように記憶しているのか分からない。

 おそらくは後で聞いたことを、まるで自分が目撃したかのように……実体験と伝聞が入り混じってしまったのだと思う。

 これは人生最大の戦果でもあり――

 取り返しのつかない後悔ともなったのだから。



 アッチラは本陣から逃げ出していた。それも供回り僅か数騎で。

 それは彼の近衛兵達が、勇猛かつ優秀だったからだろう。

 彼らは早い段階で持ち堪えれないことを悟り、その場での討ち死にを全員が覚悟した。

 彼らの君主が逃げる時間を稼ぐ為に。そして最前線が敵総大将を――僕を討つ時間を稼ぐ為に。

 なるほど、そうだろう。僕でもそうする。

 総大将にとって、生存は義務だ。それは息子を捨て駒にしてでも果たされねばならなかった。


 しかし、僕にしても敵本陣襲撃は限界ギリギリの一手であり、もはや余剰戦力はない。

 詰めるのには、ほんの数十人かそこいらが足りなかった。どこかで僕は、読み間違えてしまった。

 もう手が続かない。見事に受け凌がれてしまった。


 だが、三騎ほど――いや、一騎と二騎とがアッチラを追うべく混戦から抜け出た!

 右方からはティグレが!

 そして左方からは義兄さんとルーバンが!

 阿吽の呼吸とばかり三人は、挟み込むようにして追撃を!


 逃げるアッチラ達も、これが最後の試練とばかりに抗う。

 左方へ三騎、右方へ三騎と――最後の手勢を差し向ける。


 それへ誰も予想だにしなかった奇策をルーバンが!

 なんと自分に向かってきた乗り手へ飛び掛かったのだ!

 義兄さんなら一対二を捻じ伏せられると!? それとも一人を確実に!?

 そのまま敵兵と共に地面へ転び落ちながら、なにやらアッチラを指さしティグレと義兄さんへ叫ぶ。


 激を受けて義兄さんは、しかし、なぜか明後日の方向へ馬にを踏ませる。

 だが、それこそはに他ならなかった。

 一対二といえど一対一を繰り返せばよく――

 それを為すには一人を盾に、二人目を阻めばいい。

 ……説明は簡単だけれど、もはや奥義に属する技術といえた。


 弟子の様子を見た訳でもないだろうけど、これが手本とばかりにティグレも続く。

 それは義兄さんと同じはずなのに自然過ぎて、指摘されなかったらとの認識すら適いそうになかった。もう神業の領域だ。


 義兄さんにとって幸運だったのは、最初の一人を難なく斬り伏せられたこと。

 そして二人目が武人ではない――アッチラ実弟のブレダだったことか。

 アッチラに次ぐ実力者といえど、それは政治力の話。武勇で名を馳せていた訳ではない。

 さすがに剣匠の一番弟子との一騎討ちは、荷が勝ち過ぎた。


 だが、義兄さんと違ってティグレは、一人目を斬り伏せても二対一で劣勢どころか――

 その隙を狙われ、完全な挟み撃ち挟みへ!

 ……これこそがでは越えられない一対三という絶望か。


 しかし、ティグレは答えを持っていた。

 きっと従士の頃から――まだ先代の弟子だった頃から、ずっと一対三の戦いを考え続けていたのだろう。

 ……先代の敗北は、病が故と証明する為に。

 つまり――


 右から斬り掛かられたのを、左手で居抜いた短剣で、逆袈裟に受けつつ跳ね上げ――


 その余勢を駆って、左からの剣戟を、左腕ごとくれてやるようにして弾き落とし――


 必然的な身体を捻る動きに乗じ、自由な右手で敵の一騎を胴薙ぎにした。


 ……なんと怖ろしいことに、この間、ずっとティグレは馬上で仁王立ちだ。

 もしかしたら足の脚力だけで馬を御し、さらには自分をも支える――古代馬術の使い手が鐙という未来技術に助けられ、はじめて成立可能なかもしれなかった。


 それから残った一騎を気圧さんとするも、敵も然る者で意地を見せる。

 またティグレも呼吸が切れたのか、仕方なしといった感じで相討ち気味となるを受け入れていた。

 だが、その顔には笑みが……なんと少年のように無邪気な笑顔を浮かべて!

 ああ、そうだろう。満足なはずだ。

 確かに深手を負わされはしたが、まだ敵の総大将は追える。

 剣匠ティグレは、ついに一対三をも斬り伏せたのだ。



 ほどなくして敵将を討ち取ったとの勝ち名乗りが――

 ティグレ最期の言葉が戦場に響き渡った。

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