転章・時代の意思

 ベクルギからの帰路に立ち寄った新プチマレ領ポンピオヌス君ち――前世史でいうところのライン河口地帯オランダは、妙な発展を遂げようとしていた。

 まず旧ルギ族領や旧クラウゼ領だったことを差し引いても、かなりの繁栄をみせている。

 しかし、それは新たに整備中な港という理由だけではなさそうだ。

 そもそも前世史のオランダは、父なるラインの河口に位置し、当然に北海へアクセス可能。もちろんイギリス諸島やドーバーカ・レー海峡にもで――

 勝利の約束された地といえた。

 また今生では数百年ほど後の話となるも、必ずバイキング達が台頭――北欧帝国も隆盛してくる。

 中世末期には北欧帝国の栄光をリレーとも見做せて、前世史では短いながらも覇権国家ですらあった。

 学校で習ったこともあるだろう、世界最初の株式会社――オランダ東インド会社のことを。

 あれは商業的な大成功を背景に必要としたし、西ヨーロッパで最も先進的だった証でもある。

 ただ今生では、このオバケ立地を敵対勢力に占められず、さらには海路の民族大移動を――ゲルマン人の南下を抑制できればよかった。

 なので多国籍な租借地をおくなど、軍事強国への道だけ牽制しておいたのが――

 商人達には、未曽有のビックウェーブと映ったらしい。先を争うように事務所を設置し始めていた。……やはり、いつの時代も商人達は目敏い。



 ……これは百年以内に商業の一大中心地と? いや、下手したら僕の存命中にすら?

「なんとも素晴らしい! 私、このように活気のある街とは夢にも!

 ……リネット夫人エプーズ・デュ・ロワも、連れてきてあげればよろしかったのに。お兄様は、意地悪ですわ」

 ラインの港を散策中、またイフィ夫人エプーズ・デュ・ロワは蒸し返してきた。

 まあ確かに、この辺りは彼女の生まれ故郷だし一理ある?

「……しょ、しょうがないでしょ! リ、リネットには、べつの機会があるよ、たぶん!」

「また、そのような……さっさとリネットをにして差し上げればよろしいのに」

「リ、リネットは、まだ数えで十五だぞ!?」

「私と一つしか違わないのですわ。もう立派に大人の女……それは陛下も、よく御存じでしょうに」

 ……はい。その通りです。

 でも! でも十代前半は犯罪行為だと思うの! 十代後半だって後ろめたいのに!

 それに純潔のままなら、降嫁する時に良い条件と! だから新婚旅行も避けて!

 が、そんな気遣いもイフィ夫人エプーズ・デュ・ロワには、親友が蔑ろにされているとしか思えないらしい。

「こ、この話は来年まで御預けと決めたはずだよ!」

 じゃあ、お前はリネット姫が数えで十六になったら手を出すのかと問い返されそうだけど……その時はその時になってから考えればいい!

 が、困った旦那だとばかり冷ややかな目でみられる。……ありがとうございます!?

「陛下、よろしければ、こちらを」

 せめてもの慰めとばかり金鵞きんが兵のノシノルが、お盆に薬包と水を差し出してきた。

 この子は兄に負けないくらい賢く、さらに配慮もできる。折を見て、王家の家令にリクルートしようかな?

 とにかく胃薬を飲んでしまう。胃荒れには、これ――ビタミンUキャベジンが一番だ!



 キャベジンは前世史の日本で圧倒的支持を得た胃薬だけど――

 ようするにキャベツ一キログラム分の成分といえた。

 そして主成分は水溶性なので、キャベツ一キログラム分から絞ったキャベツジュースと同じでもある。

 が、キャベツは九十パーセント近くが水分で、キャベツジュースにしても百グラムしか減らない。

 そして毎食前に水分九百グラムは大変なので、さすがに濃縮せざるを得ないのだけど――

 残念ながら主成分は熱に弱かった。


 そこで真空ポンプの登場だ。……といっても今生のは、頑丈な自転車の空気入れモドキだけど。

 理屈的には、皆も大好き『低気圧下では、沸点が低下する』を使っている。つまり――

「素材が熱に弱いのなら、沸点の方を低下させ、常温下で水分を蒸発させればいいのでは?」

 という、お馴染みの頓智構文だ。

 これを使うと『はちみつ粉』や『水飴粉』、『海水粉』なども作れるし、様々なフリーズドライ食品すら制作できる。……なんとパンや麺料理までも。



 そのようにして作ったのがキャベツジュース粉――つまりはビタミンUキャベジンだ。

 これさえあれば僕の軟弱な胃でも、結婚生活に耐えられる! そう奥さんが何人いようともね!

 それに気持ちなんてものは、後からでもついてくる。ソースは僕がだったから!

 たぶん御見合いなんかと同じで、最初から夫婦と関係を築いていけば、いつかは情も生まれてくるのだろう。……どうやら僕は、そうなりつつあるし。

 きっと北王国デュノーの行く末と同じで、きちんと日々を積み上げていけば、結婚生活だってうまくいく。

 何事もなく終わろうと、それで上手くいくなら全て良しだ。




 王都へ帰ると、すぐエステルに呼ばれた。

 よくあることなのに、なぜか心が騒めいてならない。それも不吉に。

 そして春だというのに暖房を利かせた部屋では、俯くエステルの傍へタールムが寝かせられていた。

 それを見守るように父上と母上、エリティエ、レト義母さん、サム義兄さん、ダイ義姉さんと――家族が集まっている。

 僕の匂いで気付いたのか、微かに――ほんの微かにタールムが身動ぎした。

 ……嗚呼、もう起き上がれないのか。慌てて近寄り、優しく頭を撫でてやる。

 そんな情けない声で鳴くな、それじゃあ……まるで……――

 気づくと僕は、タールムに顔を――いつの間にか流れ出ていた涙を舐めとられていた。

 いつだってタールムは、僕らの涙を……こんな時まで……――



 その夜、タールムは家族に看取られ天寿を全うした。

 バァフェルとジュニアが死を悼んで遠吠えする中、不可解な胸騒ぎに苛まれる。

 ……これは喪失感が拗れて? それとも悲しみで感情がオーバーフローして、オカルト的な思考へ?

 だが、けっして妄想ではないとばかり――


 なんとドゥリトル山の噴火で以って!

 それは災厄を伴った、大混乱の訪れを示唆していた。

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