ワーカーホリックと新婚旅行

 久方ぶりなマレーの港は、記憶していたよりも清潔だった。

 前回は北方征討の時だから、何年前だろう? 数えで十二の頃だから四年前?

 まだ立場も城代だったし、まさか自分が即位するなんて微塵も思っていなかった。

 ……どうして、こうなったんだろう? 本当に謎だ。


 掃き清められた街並みをネヴァンと二人、露天商を冷かしながら進む。

 護衛のジナダンら金鵞きんが兵が作った輪の中へは入ってこないものの、マレーの人々は誰も彼もが満面の笑顔を見せてくれた。

 おそらく公務中ではないのを――それも新婚旅行の真っ最中なのを配慮してくれてるのだろう。

 それでも時折に小さな女の子達が勇気をだし、ネヴァンに花を贈ろうと護衛の壁を潜り抜けてくる。

「愛されてるね、王妃様」

 揶揄いつつ少女達の贈り物をネヴァンの髪へ飾る。いつの間にやら花で一杯だ。

「なんといっても凱旋将軍ですからね、陛下」

「ネヴァンが?」

「立派な旦那様を捕まえるのは、女の誉れですわ」

「……うん。まあ君は、そういうところあったね、初めて会った時から」

 ネヴァンは顔を顰めることで答えに代えつつ、甘えるように腕へしがみついてきた。

 ……肌を交わし合った間柄に特有な気安さか。やはり結婚も悪くはない。



 街が小綺麗なのは、内々に僕らの訪問が伝えられてたのだと思う。

 しかし、それだけでなく街が活気を感じさせるのは、単純に景気も良いからと思われた。

 実のところ外海が文明や生産力に大きく寄与するのは、一〇世紀頃からだ。……なんといっても、それまでは体系的な航海術すら存在しない。

 そして技術や知識のない時代は、近海だけを――陸地沿いだけを、なぞるように航海していた。

 でなければ容易く自分の位置を見失ってしまう。なにより外海は、恐るべき魔境に他ならない。

 だが、西海に輝く灯台の光は、全てを変える。

 もう数百年は先の時代に匹敵し、数世代は先な外海からの恩恵を約束してくれていた。

 あるいは農村が技術開発で激変したように、港や漁村でも似たような結果と?



「新婚旅行の行き先がマレーで、本当に良かったのかい? これじゃ旅行というより、里帰りになっちゃってない?」

「……また、その御話を。いまさっき、この旅が凱旋を兼ねていたのを御目にかけたばかりではありませんか。それに……」

 そこでネヴァンは言葉を濁し、意味ありげな視線でもって答える。

 新婚旅行をするのであれば――王都から動くのであれば、それこそ候補地に困りはしない。

 なかでもマレー領への再訪は、かなり優先順序が高かった。

 そして新婚旅行で赴くのなら、その同伴者はネヴァンしかありえない。……他のお嫁さんとだけのマレー行きは、さすがに僕でも躊躇わられる。

「そういう御方との婚姻と、覚悟はしておりますし……ポンドール様と違って、まさか新婚旅行を望めるとは、思ってもいませんでした。

 ですが、陛下? よもや夜通し政務に励まれる御予定で?」

 いくらローマ・ガリア様式で定番な新婚旅行とはいえ、立場や財力の関係で省略することもある。

 そしてネヴァンは高すぎる身分からか、早々と諦めていたのかもしれない。庶民的というか――ごく一般的な少女が夢見るようなことを。

「も、もちろんだ! 絶対に午前様にならないと日付を跨がないと誓うよ!」

 が、渾身の誠意は、新妻の艶っぽい溜息で応えられた。

 ……これは先々まで擦られかねない大失言か。

 この時代、ガリアはケルト歴の影響で日付は夜明けに変更、ローマ式でも日没が基準点だったりする。

 つまり、「朝帰りはしないよ」か「翌日の明るいうちには戻る」と答えたも同然だ。もうアレすぎな関白宣言!?

 久しぶりな転生が理由のやらかしだったし……ネヴァンに機嫌を直して貰うのにも、かなりの時間と労力を必要とした。

 でも、絶対に奥さんは、途中から楽しんでいたよ!? それには戦艦一隻を賭けてもいい! ダマスカス鋼アシダマスの剣でも可だ!




「久しぶりじゃ。よかおごじょんお嫁どんやったね。羨ましかくれじゃ。もう普通に酒が飲むっ年やなあ? きゅは付き合うてもらうでね」

 しばらくぶりのイベリアスペイン訛りは、記憶にあるよりも強烈だった。

 ……その本人――北部イベリアを統治するカルロス自身の押しの強さも。

「御成婚、おめでとうございます」

 そしてブリタニアイギリスの王子アスチュアは、まったく変わらずに美人だった。

 奇遇にも御両名はマレーに滞在されていて、それで祝福にきてくれたのだけど――

 もちろん嘘だ。

 そんな偶然ある訳ないし、新婚旅行といえど王の行幸先は、国家機密に他ならない。

 新婚旅行に託けて、西海沿岸三カ国による頂上会談サミットを開いただけだ。


 しかし、御二方とも非公式色を強めるべく、僕に合わせて奥さんを連れ立ってたけど――

 アスチュアの奥さんは、グゥエネビィアと自己紹介を!?

 数多の伝承と同じくアスチュアより十歳は年下で、まだ少女と呼ぶべき感じでも――

 グゥエネビィア王妃だよね!? いや、いまは、まだ王子妃!?

 そしてネヴァンは妻の務めとばかり、別室で女性たちの接待役を努めてくれているけど――

 グゥエネビィア白い妖精ネヴァン湖の貴婦人が邂逅とか、許される話なの!? ケルトの伝承的に!?

 もしかしたら僕は、とんでもない伝説ものを壊して回っているのかもしれない。

 しかし、そうだとしても、この会談を上手くまとめねばならなかった。いまや三国の同盟は、北王国デュノーの生命線とすらいえる。


 だが、そんな僕の決意は何処吹く風とばかり、カルロスがとんでもない口火を切った。

「そういやあ、なんとよかもしたか……あー……お国ん王太子殿が、おいに接触してきもしたど」

 ちょっと待って! 先に、この蒸留酒について問い質したかったのに!

 妙に品質悪いし、こんな酒を造った覚えない! というか、なんでイベリアスペイン手土産が蒸留酒!?

 まさか製法が盗まれた!? カルロスは蒸留酒に御執心だったし――

 いや、違う! いまは、そんな些細な事より王太子の動向を――

「――私の所へも、彼の御方は使者を」

 アスチュアまで!

 しかし、二人ともに苦笑いというか……どうやら笑い話として――それこそ酒の肴に相応しい話題として受け止めている?


 ……そういうことか。

 ネヴァンとのマレー市街散策は、大正解だったらしい。踏まえてでなければ、分らなかった。

 大灯台の恩恵でマレーが栄えているのであれば、カルロスやアスチュアの領地も同様だろう。

 光は分け隔てなく届くし、彼らの領地にも大灯台は建てているのだから。


「わいに船ぅ売っちくるるんなら、あんた方へ乗り換ゆるといったら、使者ん奴は目ぅ白黒させちょった」

「私も羊毛を何便か引き受けて下さるのなら、前向きに考えると」

 もう大灯台を抜きに西海は成り立たなくなって? 少なくとも現在の繁栄を捨てる覚悟が?

 さらに違う立場で考えると二人は、地元へ大灯台をもたらした英雄か。

 その圧倒的アドバンテージまで考慮すると、僕以上に同盟は生命線なのかもしれない。

 しかし、この事情を王太子は理解できず、微妙に的外れな交渉を?

 ……答え合わせは帰ってからだけど、エステルの言ってた「何処か、ガリア以外のことに腐心」というのも?


 だが、金の卵を産む雌鶏を絞めてしまう愚者は多い。まずは会談に集中し、上首尾に終わらせてしまおう。

の御酒ですね、我々君主に相応しい。これは御国で?」

「たまたまお国出身なしが、重いボーじ苦しんじょったけん! これぐらい勘弁しちくりい。かわりに包み隠さず見せよんやろう?」

 ……酒造か蒸留の作業に携わった者が重いボーを誓わさせられ奴隷にされてたとか、そういう流れ?

 性質的に秘匿しきれないと思ってはいたけれど、想定より早かった。やはり大量生産品は、製造法を隠すのが難しい。

 カルロスも秘密とせず教えてくる分だけ、まだ誠意を見せた方?

 だとしても、抜け目なく表情を取り繕ったアスチュアが気になる。ここは牽制しておかねば。

「以前にも申し上げたかもしれませんが、この機に灯台料のお話を――」



 ……会談は濃く――長いものとなった。

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