西へ南へ

 やっと手に入ったゴムチューブタイヤは、カサエー街道の旅路を――転圧しただけで造りかけな砂利道の旅路を、快適なものへとかえてくれた。

 さすがにゴムチューブタイヤは凄い。馬車へ伝わる振動や音が激減している。

 中世ヨーロッパでゴムなんか手に入る訳がない?

 残念ながらそれは、大きな勘違いだ。おそらく地球上でゴムを入手できない地域は存在しない。

 そう、現代科学チートさえ使えば!


 なぜならタンポポの根からゴム樹液の代用品を採取できるからだ。

 そしてタンポポが生息してない大陸はオーストラリア大陸と南極大陸ぐらいで、南極はともかくオーストラリアにはゴムの木自体が生息している。

 よって、ほぼ世界全土で天然ゴム資源は入手可能だ。


 いや、文明の発展と齟齬がある。そう異を唱える方もおられるだろう。

 それは採取できる量が、ごく僅か――セイヨウタンポポの根一株から完成品ゴムにして〇.一グラム分しか採れないからだ。

 より量の見込めるロシアタンポポでも、その十倍程度でしかない。

 つまり、現代科学に精通した学者が、狙ってゴムの代用品を求め探し回った結果、ようやくに発見できた。

 なのでゴムを知らない者には、いつまでたってもタンポポからゴムの合成を閃けないだろう。前世史でも十九世紀まで待たねばならなかった。


 それにセイヨウタンポポ一本あたり〇.一グラムというのも、かなり気の狂った数字といえる。

 一般的な自転車のチューブが一〇〇から一五〇グラムだ。

 よってゴムをケチったとしても、一〇〇〇から一五〇〇本のタンポポが要る。

 それどころか素材強度や加工技術に不安が残るので、工場製品のような薄いものでは用に足りない。

 しかし、だからといって倍の厚みとしたら、必要な材料量は四倍だ。

 また馬車の車輪は、自転車の倍は径がある。

 合算すると馬車の車輪一輪分に、約一万本もが必要となってしまう。

 ……それが八輪だから、この馬車全体だと約八万本分か。時間が掛かった訳だ。


 まあロシアタンポポだったら、この十分の一で済む。なぜか含有量や根の大きさで優れているからだ。

 原産地も中央アジアというから、フン族商人のラクタに頼めば取り寄せれる……だろう。

 それにセイヨウタンポポも、ガリアでは野菜の一種として栽培されていた。

 しかし、根っこは食用に向かず薬用――利尿剤や解毒剤で使っていた程度らしい。

 余らせてた物を買い取っているのだから、やり過ぎとはいえないだろう。むしろ農村に現金収入の口を増やしたとさえ?

 ……都合がよいことに乾燥させた根からでもゴム樹液は絞れるので、準貨幣化しはじめたとかなんとか。



 そんなタンポポ畑一反1000m㎡から一キログラム分を搾り取れるかどうかな貴重品――ゴムチューブタイヤによって快適さを保たれた馬車内は、すこぶる居心地が悪かった。

 いや、家庭的ドメスティックにレースなどで飾られた車内は、まだいい。耐えられる。これでポンドールがご機嫌なら、安いくらいだ。

 でも車内に二人っきりだからって、この新妻さんってば、やりたい放題なんだよ!?

 どれだけ用意したのか、しきりと色んな蜂蜜菓子を食べさせようとしなだれかかってくるし――

 そうかと思って応えようとすれば、なぜか御仕置とばかり鼻を抓まれて! 一体全体、僕はどうすれば良いのさ!

 ……違うな。留意すべきは、そこじゃない。

 公平にいって、僕も楽しんでしまってはいる。なんというか……こういうのも悪くない。

 問題なのは馬車が静か過ぎるのと、いまやタイヤからスポークに降格したリングスプリングが時折、意味ありげに音を立てることだ!

 大人しくしていれば静かで揺れたりしない馬車になったというのに――

 僕とポンドールの押し殺した声が漏れたり――

 どうしてか車内を動くと、それでリングスプリングが軋んだり――

 ……ちなみに言うまでもなく北王たる僕の前後左右は、護衛のジナダンら金鵞きんが兵で埋まっている。

 そして勤勉な彼らは、あまり雑談などに熱中せず、基本的に沈黙を守っていた。……色々な物音を聞き取れるほどに。



 なぜか大きな、そして執拗なまでにしつこく、ジナダンの咳払いがした。

 ……どうしたんだろう? もしかして疫病インフルエンザを拾い直してきたとか!? やっと終息してくれたというのに!

 が、奥さんは意味?を理解できたようで、あわてた様子で僕の膝から自分の座席へと移る。……あの、ポンドール? そんなことするとリングスプリングが悲鳴を!?

 さらに素早く身繕いを済ませ、澄まし顔だけど……赤面してたら台無しじゃないかなぁ。

 とにかく急の話だったら拙い。ジナダンの用件を聞くべく、小窓を開ける。

「そろそろ休憩の時間? 水場でも近いのかな?」

「いえ、それが……この先で地域的な紛争の真っ最中のようでして」

「……地域的な紛争?」

「地元の農民らで争っているようです、陛下」

 ジナダンの後ろへ控えていたレネが補足してくれた。……最近、ますますトリストン彼の兄に似てきた気がする。



 実のところ農民同士の争いというか――戦争に準じた戦いは、珍しくなかった。なんと世界標準で。

 その中でも特に多かったのが水争い――農業用水の取り合いだ。

 大地と共に生きる者達にとって死活問題であり、そして足りない時は足りなかった。

 さらに誰だって他人と仲良く貧乏を分かち合えはしない。

 結果、話し合いから揉め事へ、揉め事から武力闘争へと発展してしまう。



 しかし、南ガリアへ訪れる度、こじんまりとした勢力にカチち合ってないか、僕は!?

 いや、前回は東ゴートとの国境沿いで、今回は中央ガリア側ではあるけど、結局はトラブルと遭遇なのは変わらないし!

「……水争いか何かで、農民同士が戦争しているってこと? 規模は?」

「双方あわせても、我らが蹴散らせれる程度で。道を開けさせますか?」

 意外と思われるかもしれないが、これも統一者のいない社会に特有な厄介事だ。

 農民達だって誰か偉い人がいれば、その人に訴えるだろうし、揉め事の度に殺し合わなくても済む。

 実のところ支配者階級僕らだって、必要悪程度には社会の役に立てている。

 ……というかドゥリトル家なんてギリギリ赤字を免れてた程度だし、支配者側だって楽ではない。

 溜息と共に行動開始を指示しようとしたら――

「あかん、あかん、そんな乱暴な。それにウチのワガママに兵隊さん達の命を懸けさすなんて、以ての外や。

 ウチらは通り抜けたいだけなんやから、ここは通行権を買ぉたらええ」

 また奥さんってば、妙なことを言い出した。


「絶対に新婚旅行へ行く。死んでも行く。それも外国じゃなきゃ駄目」

 とポンドールが譲らなかったから、僕は四回も新婚旅行の予定となった。

 まあ、だから、この新婚旅行はワガママの類ともいえるけど――

「自分とだけ行くなんてとんでもないし、最初に行くのも正妃たるネヴァン」

 と主張したのも彼女だ。

 ……ワガママ放題に育てられた一人娘かと思いきや、これで妙に筋を通そうとしてくる。意外ではないんだけど……なんというか不思議だ。

 それに外国へ新婚旅行は子供の頃からな夢だから、それも絶対に譲らないとか言う割に――

「一応、南ガリアは北王国デュノーの国外だけど、それでも良いの?」

 と聞いてみれば、意外にも二つ返事で快諾してくれたりする。

 ……もしかしたら僕は、またポンドールに我慢させているのかもしれない。



 そして通行権を購うなんて、日本人には奇妙に思えるかもしれない。

 しかし、驚くべきことに西洋では一般的だ。なんと古くは都市国家時代に確認されている。

 ただ、それも史料を紐解くと、ようするに経済封鎖だったり、戦時の関税強化が殆どだ。

 では、ポンドールが求めたような『戦場を安全に通過する権利』が買えなかったかというと、そうではない。

 むしろ小競り合いに遭遇してしまった商人などは、双方から様々な名目や理由で通行権を押し売りされる。

 ……そうそう人間は、邪悪を極められない証拠といったところか。なんといっても欲望のまま、全てを奪えやしないのだから。



 とにかく、まずは交渉に使者を――



 ――――――――



捕捉


 タンポポからゴムの作り方


1 テレピン油か精油で粉末化したタンポポの根を数時間煮る(100℃弱)


 ※ 最適かつ実証済みな溶媒はヘプタン。前記は原理から逆算して選定

 ※ エタノールでも可能なはずだが、煮る時の温度を抑えねばならない


2 真空ポンプを使って濃縮(理屈的には自然乾燥でも可)


3 木酢液を蒸留してメタノールを得る


4 メタノールを混ぜ、ゴム成分を溶かしこませる


5 ゴム成分の溶け込んだメタノールの方だけ確保(重さで層を作る)


6 メタノールを揮発させ、ゴム樹液代替品を確保



 ――これ以降、ゴムの木と同じ手順――



7 塩酸と貝殻などから塩化カルシウム――凝集剤を作る


8 ゴム樹液代替品に凝集剤を加え、粘度を高める


9 いったん水で洗い、不純物を取り除く


10 一週間前後ほど天日乾燥させる


11 重量に対し3%前後の硫黄を加える


12 なんらかの方法で、望みの形へ加工する


13 最期に表面処理などして完成


※ 十倍を見込めるロシアタンポポより、ゴムの木の方が生産性は高い

※ またゴムと一括りにしてはいるが、その品質はやや劣る

※ 現在は最先端の研究対象止まり



無理矢理にヘプタンを作る方法


1 無煙炭と水素を強力な圧力釜もどきで数時間煮る(10~100気圧、300~500℃)


2 冷やしたものが重質油(タールの親戚)


3 重質油を遠心分離し、重油と軽油に分ける


4 軽油を98℃で湯煎し、へプタンを蒸留分離する

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